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行こう、城塞都市! 飲用ポーション

「上のように、下もまた同じ。わたくしは錬金術師ホーエンヘイム。ともに世界の成り立ちを解き明かしましょう」

 黒いガウンをまとい颯爽(さっそう)と現れた錬金術師ホーエンヘイム女史が言った。
 どうやら錬金術師の挨拶はこれらしい。

「まずポーションとは何かということからお話したいと思います。
 何らかの薬効成分をもつ液体、水薬と言われるものはすべてポーションです。惚れ薬のラブポーションは有名ですが、毒(ポイズン)も元はポーションと同じくラテン語の飲むに由来します」

 キャットとチップが参加しているのはここホーエンヘイム工房の見習い修行、『飲用ポーション作成』だ。
 ふたりは念願の錬金術系の修行をうけることができたのだ。しかもチップが(一瞬だけ)欲しがっていたポーション作成だ。発酵によりアルコールができるため成人限定、完成までに時間がかかるので宿泊客限定というふたつの縛りがあったおかげでうまく依頼を受けることができた。

「錬金術の究極の目的、霊薬エリクサーもポーションだと考えられています。身近な咳止めシロップもポーションです。このようにひとくちにポーションと言っても材料、製法、効果も様々ですが、今回はハイドロメルと呼ばれる蜂蜜を使ったポーションについて学んでいきたいと思います」

 今までの実践的な修行と違い錬金術には座学があり、筆記用具持ち込み可となっていた。錬金術を学ぶ見習いは字を書けて当然ということだろう。あちこちからペンを走らせる音が聞こえてくる。
 ある見習いは午前中に自分で作ったという羽根ペンを、別の見習いは同じく自分で作ったという金属製の尖筆(スタイラス)を持ち込んでいた。
 みなそれぞれにオルチャミベリーを楽しんでいる様子がうかがえて楽しい。
 ちなみにキャットは何も持ち込まなかった。細かいレシピの類は一緒にいる数字好きの恋人が覚えてくれるだろうとあてにしている。

「ハイドロメルとはギリシャ語で蜂蜜水を意味します。一世紀のギリシャの博物学者、大プリニウスの『博物誌』では蜂蜜に未発酵のブドウ汁を加えたものをハイドロメルと呼び、蜂蜜酒(ミード)との違いは水の代わりにブドウ汁を使うことだと書いています。
 現在フランス語化したイドロメル(語頭のHが発音されない)は何故か蜂蜜と水だけで作るお酒になっていますが、十世紀に編纂された『ゲオポニカ』には砕いたリンゴとリンゴの搾り汁を使う二種類のハイドロメルの作り方が載っています。
 ワインと蜂蜜で作るオイノメル、ワインビネガーと蜂蜜で作るオキシメル、果物と蜂蜜で作るメリメロンまたはメロメリー、これら全てハイドロメルのバリエーションです。スパイスやハーブを加えたメセグリンは効果と状態からの命名で「癒しの液体」といった意味になりますが、これも一種のハイドロメルと言えるでしょう。変わったものでは蜜蝋を細かく砕いて水で煮て作るものもあります。
 このようにして作られたハイドロメルは病気の予防や治療の他、食物の長期保存にも使われました。
 四世紀ローマのレシピ本『アピシウス』では新鮮なブドウとかぶるくらいの雨水を煮つめて密閉し冷暗所に保管した液体をハイドロメルと同様に病人に与えるとあります。
 蜂蜜酒(ミード)と同様に自然発酵でアルコールができた場合もあったでしょうが、煮つめて量を減らし密封して冷暗所にしまうように書いてあるレシピでは、長期保存のため煮沸することで発酵を止め糖度を保っていたと考えられます。
 どちらにせよハイドロメルがいかに滋養強壮に優れた飲み物であったか、ご想像いただけますでしょうか」

 そう言われてキャットが想像したのがエナジードリンクと酵素ドリンクだった。
 微量のアルコールと炭酸が入った甘い飲み物といえばエナジードリンクそのものだし、甘く濃くとろみがついた酵素ドリンクは寮の友達が毎朝スプーン一杯ずつ飲んでいる。
 なるほど、ああいうものは昔からあったんだな、とキャットは納得した。

「ハイドロメルの基礎となる蜂蜜の効能は皆さんもご存じかと思います。栄養豊富で喉や胃腸の調子を整え疲労を回復し、肌に塗れば怪我や火傷にも効く。もちろん火傷には生きているカタツムリでこするという治療法もありますが」
 見習いたちがうめいた。女史はにこやかに続ける。
「カタツムリを探しにいくよりも蜂蜜の方が早く用意できそうですね。カタツムリの方もただの迷信ではなく実際に効果が認められていますが、寄生虫が怖いですから医療用のものに限った方がいいでしょう」
 ポーション作成についての修行でカタツムリに詳しくなるとは思わなかった、とキャットは少し遠い目をした。これは中世の話なのか、それとも現代の話なのか。
 真面目な見習いたちはカタツムリについてもメモを取っているようだ。確かにもし理解度チェックテストがあったら問題に出そうなネタではあるが。

「発酵したワインと蜂蜜で作るオイノメルは痛風に効果があるとされていました。
 他に痛風に効くとされているレシピでは『フクロウを開いて綺麗に洗い、塩をまぶして黒焼きにし、イノシシの脂と混ぜて患部に塗る』というものもありますが、もしあなたが現在痛風の治療を受けているのでしたら、どちらかを試す前に必ず医師に相談してくださいね」
 またさらっとひどいレシピが紹介された。ガリガリとペンを走らせる音が続いているのが不穏だ。
 ガリガリと順調なのはまだしも、隣から聞こえるガリッガリンという不規則な音は違う意味で穏やかでない。
 質の悪い古布や藁からできた紙を持ち込んだ彼は、中世において公文書に高級な羊皮紙が使われた理由を実感しているところだろう。ついでに羽根ペンが何本も必要だった理由も。

「さて、座学の方はこれくらいにしてそろそろ作成に入りましょう」
 そう聞いてキャットはほっとした。
「今回はハイドロメルの一種、ロドメールを数時間で完成するインスタントレシピで作ります。
 ロドンはギリシャ語で薔薇を意味します。薔薇もまた古代から薬として知られてきたものです。
 香りは頭痛やストレスを和らげ、花は胃腸に良いとされています。実も栄養が多く肌をきれいにすると言われていますね。古くは狂犬病の薬になるとも信じられていました。
 本来のロドメールのレシピでは常温で一週間そのまま蓋をせず置いてから花びらなどを漉し、さらに発酵させます。
 そこから最低でも二週間はガス抜きをしながら常温で保管し、その後一年ほど置くと非常に美味しいものになるのですが、最終的にかなり強いお酒になりますので注意が必要です。
 一応本来のレシピでできたものをお見せしますね、こちらです」
 助手の女性が用意したグラスを女史に手渡した。
「このように泡を含んだ薔薇色のポーションになります。綺麗でしょう?」
 あちこちから同意の声や頷きが返される。

 透明なグラスに半分ほど注がれた液体は、薔薇と言ってもいわゆるローズレッドではなく、都会の花屋さんが揃えているようなアンティークローズの色だった。確かに何か特別な効果が認められそうな雰囲気をもっていた。

「色がよく見えるよう水晶製のグラスを使っています」
 今度は驚きの声があがった。キャットも声をあげたひとりだ。
 澄んだ薄いガラスを作る技術がないからといって、中世に透明なグラスがないというのはただの思い込みだった。
 女史は見習いたちの素直なリアクションに満足した顔で続けた。
「ロドメールやその他のハイドロメルの完成品はこの工房で、このグラスや錬金術で使う水晶製のフラスコは隣の『哲学者の卵工房』さんで取り扱っているので興味のある方はぜひこの後でお立ち寄りください。
 ではみなさんの机の上に用意されたものを一緒に確認していきましょう。布袋が入った手つきの壺、海綿(スポンジ)、カゴに入った新鮮な薔薇の花びら、乾燥した薔薇の実、ポマース(ブドウの搾りかす)……全部ありますね? なかったら手を挙げて」
 誰も手を挙げないのを確認し、女史は満足そうに頷いて続けた。
「手元の壺に漉し布の袋をかぶせて、その中に薔薇の花びらと実、ポマースを好きな分量で入れて下さい。花びらは香り、実は酸味、ポマースは色や味の深みの元になります。苦手なものがあったら少な目に、最低でも半量までは入れて下さい」
 キャットとチップはすべての材料を壺に入れた。
「追加でスパイスを入れたい方は、壁際のテーブルにある効能を書いた小皿から気になるものを一匙ずつ足してみて下さい。高価なスパイスで王侯貴族の気分が味わえますよ。ただし入れすぎると苦くなるので注意を」
 キャットはレシピの基本の味が知りたかったので何も入れなかった。チップは王侯貴族という言葉に紫の血が騒いだのだろうか、またも全種類を薬さじで加えていた。ショウガ、クローブ、シナモン、アニス……見ているキャットの方が入れすぎなんじゃないかとはらはらした。
「よろしいですか? では自分の壺を持ってかまどの前に並んで。ひとりずつ蜂蜜水を注いでいきます。古代のレシピでは何年も溜めた雨水を使うよう書かれていますが、今回は汲みたての水と蜂蜜を四対一で混合しています」
 
 この講座を受けた時キャットはどうせまた錬金術窯という名前の電気コンロでも使うのだろうと思っていたが、工房に来てみれば予想に反して本物のかまどが用意されていた。
 今そこには大鍋がかけられ、講義の間に助手の女性がかき混ぜていた蜂蜜水がふつふつと湧きたっていた。
「壺をここに置いて」
 かまどの前の低い台に壺を置くと、レードルで熱い蜂蜜水が注がれた。ふわっと湯気にのって蜂蜜と薔薇の香りがたちあがる。
 更にその上からもう一杯、今度はかまどの手前に置かれた水瓶(みずがめ)の中身が注がれる。こちらは普通の水のようだ。
「まだ少し熱いから気を付けて。今度は壺を先生の前に」
 キャットは取っ手を持って壺を持ち上げ、ホーエンヘイム女史の前に置いた。女史は腕に抱えた木鉢から泡立つ液体を壺に足した。
 キャットはその液体にとても見覚えがあった。
 栄養分の少ないリーンなパンを作るときに使うイースト液だ。スターターとも呼ばれている。これで発酵を早めるのだろう。パン用のイーストとは餌が違うのか、ワインの香りがした。
「席に戻って漉し布の袋の上を紐で縛り中身が出ないようにしたら、海綿で蓋をしてあちらにいる助手に壺を渡してください」
 木鉢を置いた女史が見習いたちに声をかけた。

「今晩皆さんの宿に、完成したインスタントロドメールが届けられます。微量のアルコールを含みますので苦手な方やお子様の誤飲にはご注意下さい。万一届かなかった場合は明日の朝九時の鐘以降にこちらまでお越しください。最後に本来のレシピをお配りします。ご自宅で作る際にはガス抜きをお忘れなく。何かご質問は?」
「惚れ薬(ラブポーション)の作り方講座はないんですか?」
 友達同士で来たらしい若者がふざけた口調で訊いた。女史が笑顔で答える。
「ポーションではありませんが、パウダーで良ければ特別にレシピをひとつお教えしましょうか?」
「お願いします!!」
「蛇を捕まえてきて心臓を黒焼きにしてから粉になるまですりつぶし、好きになってほしい相手の食事にふりかけます。蛇は種類によって心臓の場所が違いますから、下調べはしっかりしてくださいね。樹上生活の蛇は頭のすぐ下、人間でいうと喉のあたり、水蛇はこのあたり、草蛇は中間くらいです。捕まえる時には間違って心臓をつぶさないように気を付けて」
 若者の顔には後悔が張り付いていた。友人たちは友達甲斐なく大笑いしている。
 キャットは絶対この先生は生物の解剖とか好きなタイプだと思いながらそれを見ていた。
「他にご質問は? ございませんね、ではご清聴ありがとうございました。皆さん良い午後を」
 笑みをうかべたホーエンヘイム女史はガウンを翻(ひるがえ)して去っていった。
 本当に、本当にこのオルチャミベリーで働く人はみんな楽しそうだ。

「身分証に刻印を打ちますのでこちらへお持ちください」
 助手の女性に言われて見習いたちが再び列を作った。
 更新され仮がとれたキャットとチップの銀色の身分証に今回打刻されたのは、ポーション瓶の形をしたしるしだった。
一番簡単なロドメールの作り方;
①蜂蜜を同量の水と耐熱容器に入れて2分レンチン
②そこにローズティーのティーバッグ(+好みのスパイス)を投入
③冷めたらスパークリングワインか炭酸水で割って飲む

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