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行こう、城塞都市! 街歩きと大人向け

 工房を出たところで、人の悪そうな笑顔のチップが隣のキャットをつついた。
「ねえロビン、もし僕が蛇を捕まえてきて心臓パウダーを君の食事に混ぜたらどうする?」
「そんなことしなくても私もうフライディのこと大好きだよ」
 キャットはにこりと笑ってチップを見た。
 チップの瞳に一瞬、複雑な色が差した。
「……って言ってからお皿を取り換える」
 キャットがさらに笑顔を深く、チェシャ猫のようにして続けると、チップは笑い出した。

 しばらくしてからチップはフードを直すふりをしながら言った。
「ああ、なんだか自分が試し行動にはしる子供になったみたいで恥ずかしいな。でも君がまず僕を優先してくれて、何て言えばいいのか、すごく嬉しかった。
 もちろん君の愛情を疑ってるわけじゃないよ。さっきのは、得体のしれないものを振りかけて出される女性はたまらないだろうなって思ってふざけただけなんだ」
 チップの懺悔をキャットは聖母の慈愛で優しく受け止め……たりはしなかった。
「えー、得体のしれないものを振りかけられるのが女性ばかりとは限らないんじゃない? フライディはしばらく私が出す料理に気を付けた方がいいかもねー」
 生意気な口調で言い返すキャットが自分の恋人である奇跡を神に感謝しつつ、チップは宣言した。
「君が作ってくれるなら、蛇一匹丸々出されたとしても僕は食べきるよ」
「え、やだ」
 真顔になったキャットが断った。
「作る方が? 食べる方が?」
「どっちも」
 キャットは力を込めて答えた。
 最初にチップがふざけた時同じように答えてもよかったのに、彼女がそうしなかったことを思い出して彼はまた微笑んだ。
 それはそれとして、彼女に物事の多面的な見方を紹介するのは年上の彼の役割だ。
「エスニックフードとして食べている人たちがいるから、そこまで嫌わなくてもいいとは思うけど。確かフクロウも昔は食べる地域があったはずだ。どちらも肉食だから一般的に家畜にはしないけどね」
 チップの話に、キャットはふと気づいたように言った。
「そっか。カタツムリの話もみんなうめいてたけど、エスカルゴは普通に食べるもんね」
「うん。ホーエンヘイム女史は本当に危ないレシピは紹介してなかったと思う。昔の錬金術では毒性のある鉱物を薬として飲むこともあったけど、そういうものは紹介されていなかったし」
「毒性のある鉱物って?」
「水銀とか。毒性はないけど金や銀も薬にしていた……これらは今でも飲んでいる人はいるんじゃなかったかな」
「へえー! 真珠は聞いたことあるけど、綺麗なものを食べたら綺麗になるって思う人は昔からいたんだね」
「たぶんね」

 ふたりは錬金術工房の並ぶ通りをひやかしながら歩いていた。大きなショウウィンドウはないが、店の前の板戸が開け放たれて中の大きなフラスコがぼこぼこと泡だっているのが見えたり、道に面した窓の下に陳列台が置かれてこまごまとした商品が並べられたりしていた。
 ちょっとしたインテリアによさそうな小物や実験に使う薬剤、乾いた薬草などが置かれているのは予想通りだったが、鮮やかな色の布類が置いてあるのはちょっと意外だった。これは錬金術で合成された染色剤を使って作ったものらしい。
 入城時にレンタルされるガウンや伝令使見習いの時に行った古着屋さんの服のほとんどはオーガニックな印象の落ち着いた色合いだったが、時々目立つ色の服が混じっていたのは錬金術由来のものだったようだ。これらのおかげで午前中に会ったショーンのように外部から持ち込んだ衣装も景色から浮きすぎないのだろう。
「錬金術ってつければ何でも許されるってどうなのって思ってたけど、ちょうどいいくらいのバランスになってるのかもね」
「そうだね。不便さを楽しんでる人もたくさんいそうだけど、あまりがちがちに考証通りだと実際に生活している人たちにとっては暮らしにくいだろうから」
「清潔さとか安全も大事だもんね。ここってどういう人が住んでるの?」
「第一に従業員とその家族、第二に手工芸や生活史などを専門にしている研究者、第三は第一と被ってるけど、さまざまな理由で現代の社会生活が困難な人とその家族、かな」

 話しているうちにふたりは錬金術師通りの端まで来ていた。キャットが訊いた。
「この後はどうする?」
「そろそろ夕飯の店の様子を見に行ってみようか」
 チップの提案に、キャットは空を見上げた。
「まだ早いんじゃない?」
「うん、でも日が落ちたら街灯もないし暗くて歩きにくいかもしれないだろう? 予約しているわけじゃないし、店の様子を見てもう食べられるようなら軽く食べてもいいかなと思って。他にも店はあるみたいだし」
「場所どっちの方か分かる?」
「こっちだよ」
 チップがキャットの手を引いて進んだ。
「伝令使見習いの時に前を通ったんだ。オスカーに聞いた話では大人向けのお楽しみがあるみたいだよ」
「大人向けのお楽しみ?」
 チップがにやりと笑った。
「バーとか、賭博場とか」
「うわぁ、フライディ悪い顔してる」
「どうせここで使うリーブラは外に持ち出しできないんだ。どんなに勝っても中で使うだけなんだからいいだろう?」
「勝つつもりでいるし」
「腕がなるね」

 大人向けエリアとの境には都市への入城門よりも小さいが門があり、門番が立っていた。
「この先は未成年立ち入り禁止だ。年齢を証明できるものは?」
 ふたりが襟元から引っ張りだした身分証を見せると、門番は頷いた。
「あんまり酔ってたりすると、中で夜を明かさなきゃいけなくなるから注意しろ」
「そんな決まりがあるの?」
「酔っ払いが寝転がってるところに子供を遊びに行かせたい親なんていないだろ」
「確かに」

 門を入ったところは、狭い広場になっていた。
 広場の端、壁のそばにいくつかぼろ布を被った人影があった。
「ロールプレイなのかな」
「中世の職業としては確かにいたはずだけど、うん、外の町で再現するのは難しい役目だ」
 キャットとチップが囁き合っていると、座っていたそのうちのひとりが急に立ち上がり、ふたりに近づいてきた。
 チップがとっさにキャットと位置を入れ替える。
「なんだよお前、女の子かばうとか王子様かよ! 王子様だよ!」
 ぼろ布を被った男は自分で自分の言ったことに受けて笑い出した。キャットは驚きに固まっている。チップが額を押さえて言った。
「――ここで何してるんだ、ハーヴェイ」
「隠しジョブについたんだよ」
「どうやって」
「手持ちの金全部すると、最後の最後に入城時についてきたガウンを賭けて勝負ができるんだよ」
 チップが額を片手で押さえたまま言った。
「キャット、僕の友達を紹介するよ。ファインアファインの代表をやってるハーヴェイだ」
「初めまして、よろしく」
 ハーヴェイは、笑顔でぼろ布の間からキャットに向けて手を差し出した。

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