004◆ロビンと僕(直接ジャンプ ) シリーズ目次 サイトトップ
 
2.
 一時間経ってロビンのところへ戻ると、彼女はまた僕を見て悲鳴を上げた。そんな歯を鳴らすほど怯えなくても……と思ったところで思い当たることがあり、ロビンの腕を掴むと思った通り、彼女は熱を出していた。
 
 さっきロビンが脱いだウェットスーツは、中が乾いていなくて着心地は悪そうだ。だが他に羽織るものもないのでそれをもう一度着せた。中は自分の体温ですぐに暖まるだろう。他に何か保温できるものがあればと思ったが、日も落ちて星明りでは捜せないし、ロビンを一人にできなかった。腕に抱えて、泣き言のようなうわ言のような言葉に答えながら励ました。
 どうか普通の熱でありますように。神様、さっき名前を呼ばなかったことなら謝ります。せっかくこの島に辿りついて、僕と会話まで交わした彼女を、僕から奪うような真似をしないで下さい。いや、僕のためじゃなく、こんなに健気に頑張っている彼女をこれ以上辛い目にあわせないで下さい。平和な国で、この時代に、毛布一枚なく薬もなく、家族も友達もいない場所で、たった16歳の女の子が受ける試練としてはちょっと厳しすぎやしませんか?
 やがて熱が上がりきった彼女が今度は熱いと言い出したので、ウェットを脱がせてあおいだ。昔の話でこういう奴隷が出てこなかったっけ。フライディなんて名乗ったせいで下僕らしい仕事がやってきたんだろうか。そんなことを考えながらひたすらあおいだ。
 どれ位そうしていたか。彼女の呼吸が穏やかになったことに気付いて額に手を当てた。まだ少し熱っぽかったけど、あの熱はもうなかった。
 ほっとした僕もウェットスーツを放り出し、彼女の横に転がった。
 
 誰かに呼ばれる夢を見て目を開けると、前に女の子がいた。微笑む女の子を見ながらまだ夢を見ているのかと考えた。
「フライディ」
 そう呼ばれて、一瞬で目が覚めた。昨日の記憶も甦った。あわててロビンの額に手を当てたが、もう僕の手のひらの方が熱かった。
「よかった。下がったみたいだ」
「ありがとう」
 眠そうな目をしたロビンに水を飲ませ、もう少し眠るように言った。僕も寝るつもりだったが色んなことを考え始めたら目が冴えてしまったので、一人で起きて道に出た枝を払ったり、運動をしたり……要は今やらなくてもいいようなことをしながら今後について考えた。
 
 昨日歳を聞かれた時は、とっさに29と答えた。あまり若いと頼りにならないと思われそうだと思ったのもあったし、素性が知られるとやっかいだという計算もあった。ロビンは「歳のわりに若く見えるのね」とも言わず、素直に受け入れていた。さすが16歳、自分と同世代以外に関心はないらしい。
 あとは何を答えたっけ。隣国の軍人だということは話した。王子だというのはとりあえずここにいる分には関係ないし、このまま言わずにいるつもりだった。僕は若い女性が(若くない女性も)王子様に抱く数々の幻想のおかげで今まで何度もやっかいな目に遭っていたので、この点では慎重にならざるを得なかった。
 そろそろ戻ろうかと思ったところで、そういえば髭が怖いと言われたなと思い出した。サバイバルナイフのハサミで長いところを切り、ナイフの刃を当ててみたけどこれは痛いばかりでちっとも切れなかった。この島で刃物は貴重だから、こんなことのために刃をつぶすのも勿体無い。これで何とか許してもらおう。
 戻るとロビンがまた人の顔を見て悲鳴をあげた。ひどい。でもその後から人の顔をまじまじと見つめてひやっとすることを言い出した。
「私……あなたと会うの初めてだよね?」
「デジャヴっていう奴かな。僕と君は生まれる前から出会う運命だった……なぁんてね」
 そう言って茶化すと、赤い顔で目を逸らした。できればそのままずっと目を逸らしたままでいてくれよ。
 
 さすが16歳というか、昨日の熱は何だったのかと思うくらいにロビンは回復していた。食欲も旺盛。果物を美味しそうに食べると、何かやることはないかと訊いてきた。僕は紳士としてではなく、新兵訓練の教官式でロビンと付き合うことにした。まず自分のトイレの場所を決めろというとかなり動揺していたが、大切なことだ。軍隊経験があって良かったとしみじみ感じた。入隊前の僕だったら、レディに首から下の話題をしてはいけないというマナー教師の教えに従ってお互い困った事態になっていたかもしれない。
 
 最初の数日はロビンが慣れない手つきで刃物を扱う様子や足元を見ないで歩いて躓く様子に、いちいち心臓を押さえながら後ろをついて回ったが、やがて僕もロビンが特に不器用でもなく、運動神経が悪いわけでもなく、ついでに言うと大人の一方的な命令に反発を感じる年頃であることを理解して、お互いにバディ(相棒)としてやっていく距離が測れるようになってきた。
 そしてまた、気が抜けないわりに単調な毎日が戻ってきた。でもロビンがいる分、以前よりずっといい。僕はあまり自分のことは話さなかったが、それを補って充分なほど、ロビンが喋ってくれた。僕がふざけると「もうっ、どうしていつもフライディは私が言ったのと違うことを答えるのよっ!」と怒ってふくれるくせに、黙っていられなくてまたすぐ僕に話しかけてくる。人懐っこさは犬並みだ。
 それでも時々、ロビンは一人でいなくなった。一人の時間が欲しいこともあるだろうと追いかけないことにしていたが、ある日あまり長い間戻ってこないので、どこかで怪我でもして動けなくなっているんじゃないかと心配で捜しに行った。
 ロビンは狭い砂浜の端の方に隠れるようにして、一人で声をあげて泣いていた。一人でいなくなった時の全部が全部、泣くためだったとは思わないけどきっとこれが初めてではないだろう。
 最初に会った日にロビンは二度ほど泣いたけど、それから僕の前で泣くことはなかった。
 ロビンはスーパーガールじゃない。普通の女の子だ。僕達はお互いにちょっとづつ相手に腹を立てることもあったけど、大きくぶつかることもなく、小さな楽しみを見つけて二人で笑ったりもできた。僕は時折、ロビンの命まで預かっている重圧に押しつぶされそうな気がすることもあったけど、でもやっぱりロビンという相棒がここにいてくれて本当によかったと思っている。
 だからこそ。
 僕はそのまま一人で泣くロビンを残して立ち去った。子どもだとか女の子だとか、そういうみくびりは彼女に失礼だ。彼女はできる限り、自分の面倒を自分で見てる。僕は自分がこの島に先に着いて、いわば彼女の露払いをして、彼女が一番助けのいる時に手助けができたことを誰にともなく感謝した。
 ロビンは多分泣いた後の顔を見られたくなかったのだろう。日暮れ前になって、ようやく戻ってきた。僕もロビンの腫れた目には気付かない顔をした。翌朝にはロビンはまたいつもの元気でおしゃべりで人懐っこくてちょっと生意気なロビンに戻っていた。
 
 ロビンがうっかり「数学が苦手」と口を滑らせたので、僕はロビンに数学を教え始めた。正直に言って僕とロビンには共通の話題が少なかったので、お互いについての打ち明け話よりもずっと勉強の方が暇つぶしになった。
 加減乗除の算数以上のいわゆる数学の場合、理屈に納得がいかないと解けない頭脳派と、理屈では理解できなくて練習問題をひたすらやらないと身につかない肉体派と、おおざっぱに二つに分けられる。ロビンは肉体派の方だったから、文句を聞き流してひたすら問題を解かせた。最初はひーひー言ってたが無視したら、やがて閾値を越えて解けるようになった。本人も何故自分が解けるようになったのか分からないらしくて首をひねっていたから可笑しかった。
 勉強は砂浜でした。船影を見つけて救助を頼めるかもしれないから、僕は海にも目をくばりながらだった。一日砂浜にいてただ船を待っているのが、かなり落ち込む時間の過ごし方だということを僕はよく知っていたので、勉強のためにここにいるという言い訳はお互いにとって良かった。数学の楽しみを知っていて良かった。そう言ったらロビンには数学の苦しみだと言い返されたけど、時間を潰すには数学はとてもいいものだった。(と思っていたのは僕だけだったかも知れないが)雨の日は建物の中、元のホテルロビーの薄汚れた床に拾ってきた棒で僕が問題を書き、ロビンが解いた。
 僕達が夜寝るのも同じロビーの床にその辺の枯れ葉を敷いた寝床だった。ロビンが一人じゃ怖いと言うので並んで寝ていた。実を言えば僕もロビンと一緒なのがありがたかった。一人で真っ暗な中で目が覚めて、世界戦争が起きてもう誰一人として人類が生き残っていなかったらどうしようとか、この地域一体が原潜の放射能漏れで隔離されてたらどうしようとか、そんなことを考えた時に隣で寝息をたてている誰かがいると、自分の馬鹿さかげんを笑ってまた寝直すのがずっと楽だった。
 雷の鳴る夜もロビンがいるおかげでいくらか楽に過ごせた。
 
to be continued ... 「ロビンと僕・3」
004◆ロビンと僕(直接ジャンプ ) シリーズ目次 サイトトップ

Copyright © P Is for Page, All Rights Reserved. 転載・配布・改変・剽窃・盗用禁止
創作テキスト・説明文・ログを含めたサイト内全文章(引用箇所以外)の著作権はページのPに帰属します

inserted by FC2 system