004◆ロビンと僕(直接ジャンプ ) シリーズ目次 サイトトップ
 
3.
 ある晩。稲光か雷鳴で目を覚ましたのだろう。僕を見つけたロビンが低い声で訊いた。
「フライディ? どこか痛いの?」
「大丈夫」
 自分でも無理があると思った。稲光に照らされて僕が縮こまっているのは隠しようがなかったから。ロビンは僕の手を握った。
「どこが痛いの?気持ちが悪いの?」
「大丈夫……ちょっと、雷の音がね」
「嫌いなの?」
「事故を思い出す」
 どんな事故だったのかと訊かれたらどうしようかと、僕は身を硬くした。僕には事故直後の記憶が抜けていて、それは僕にとって非常に悩ましい問題だったので、できれば触れて欲しくなかった。
 ロビンは質問をする代わりに、僕に手を伸ばした。
「……ありがとう」
 女の子って皆こうなんだろうか。こんな子どもがどうして一瞬で聖母みたいになれるんだろうか。僕はロビンの胸に抱かれていた。こんなの駄目だ。僕は君を守らなくちゃいけないのに。
 でもその腕の中はあまりに安らかで、僕はどうしても彼女から離れたくなくてロビンの子どもっぽい腰を抱き寄せていた。ベッドの中で女性を抱き寄せたことなら何度もある。でもこれはそれとは違う。今の僕に必要なぬくもりはこのロビンからのものだけだった。
 ロビンの腕の中にいても、爆発の音に似た雷鳴が時折響いた。そのたびに身を硬くする僕の頭をロビンは静かに撫でてくれた。
 やがて、雷鳴も稲光も間遠になり、いつの間にか消えた。ロビンの手は時々びくっとしてはまた段々に脱力しながら熱くなって、手の主の眠気を伝えてきた。僕はそっとロビンの手を外し、彼女から離れた。これ以上傍にいると、よこしまな思いを抱いてしまいそうで。そしてそれは彼女のしてくれたことにはふさわしくなかったから。
 それからもロビンは、雷が鳴る夜には黙って僕を抱きしめた。僕はロビンの腕にすがって自分を支えた。それに馴染むことに危うさを感じないわけではなかったけど、僕はどうしても自分からは大丈夫だから離してと言い出す気になれなかった。ロビンは何も訊かず、ただ黙って僕を甘やかしてくれた。男同士の友情とは違う、でも男女の愛情とも違う、この島で、僕ら二人の間でしか成立しない何かがそこにはあった。
 
 僕とロビンの関係は一言で言えばバディだった。お互いに相手の命を握ってサポートしあう関係。ロビンのバディはダイビング中にロビンをサポートしなかった。僕は何としてもロビンを最後までサポートするつもりだった。
 それなのに。僕は一度大きなミスをした。そしてそのミスをリカバリーしてくれたのはロビンだった。
 それは僕の誕生日のことだった。いつものように眠り込んでいたロビンと僕は、その朝、場に全くふさわしくないちゃかちゃかした電子音に叩き起こされた。
「何これっ!?」
 ロビンが叫んだ。僕は腕時計のスイッチを押して、ハッピーバースディのメロディを止めた。
「誰かが勝手にセットしてたみたいだ」
 それは僕が軍に入隊する前から使っていた、安物だけど丈夫なのがとりえの耐圧耐衝撃の腕時計だ。誕生日にメロディが流れる設定を誰がしたのかは分からない。同じ部隊の連中の誰か、それとも兄弟の誰か。そんなことをしそうな連中の顔を順番に思い出していったら、急に会いたくてたまらなくなった。
「もしかして、フライディの誕生日なの?」
「ああ。……誕生日パーティーをすっぽかしちゃったな」
 そううそぶくと、ロビンが横になったまま僕を見つめて言った。
「30歳の誕生日?」
「えっ……ああ、ああそうだよ」
 そうだった。僕は最初に会った時ロビンに29歳だと言っていたんだっけ。
「おじさんだ」
 16歳というのは容赦ない年齢だ。お返しにロビンの柔らかい頬をむにーっとつまんで返した。
「生意気なガキだ」
「ガキじゃないもん」
「僕の半分じゃないか」
「フライディがおじさんなだけ……わわっ、やめてよ」
 ロビンは笑いながら転がって、僕がぺしぺし叩く手から逃れた。
 
 予定外の早起きはしたけど、その日も普段と変わらない一日だった。僕等は貝を集め、果物を薄く切って日に干した。ドライフルーツ作りは傘なしでは外出したくないような嵐の日や、万一どちらかが動けないような怪我でもした時に、当座の食料にと思って始めたことだった。塩もないし火が使えないので魚や貝を干すのは無理だった。一人の時に試したことがあるが(この時は動けなくなった時のための備えは切実だった)、腐って捨てることになったので、それから魚は捕っていない。本当は蛋白源として摂った方がいいのだが、赤い血のしたたる生の魚を調味料なしで食べるのはなかなか辛いのだ。
「誕生日、おわっちゃうね」
 ロビンがその日の夕方近くなってからそんなことを言い出した。君と違って、もう僕は誕生日を誰にもお祝いしてもらえないからって拗ねるような子どもじゃないんだよ。
「まあそんなに嬉しい日でもないからね、もう」
「お誕生日おめでとう、フライディ」
「ありがとう、ロビン」
「お誕生日プレゼント」
 ロビンがそう言って僕の頬にちゅっと音を立ててキスをした。
「……こっちがいいな」
 僕は無分別にもそう言ってロビンをひきよせ、唇にキスをした。ロビンが僕の腕の中でがちがちに硬くなったのを感じて、僕は自分のした大失敗に気付いた。ロビンを離し背中を向けた。今すぐこの場から離れなくちゃいけない。
「ごめん、ちょっとふざけすぎた」
「今の、なに?」
「なんでもない」
「待ってよ、ねえ、フライディ……どこ行くのよ」
「どこでもいいだろ」
「よくない! 分かんないよ、今の何だったの?」
 ロビンが駆け足で追いかけて僕に食い下がった。僕は馬鹿だ、大間抜けだ。ロビンはどうして僕を放っておいてくれないんだろう。
「私達、明日も明後日も二人きりなんだよ。ちゃんと言ってくれなきゃ困る。分かんない」
 キスした後でどういう意味か追いかけて訊いてくるような16歳にキスをした僕は大馬鹿野郎だ。僕は自分に腹がたって仕方なかった。
「多分、ストックホルム症候群とかと同じなんだ」
「何のこと言ってるの?」
「二人で仲良く協力した方がこの事態を乗り切りやすい。異常な状況をやりすごすための思い込みだ。そうじゃなきゃキスも返せない子どもに関心なんて持つわけない」
「そんな言い方ひどいじゃないっ! それじゃ私全然魅力ないみたいっ!」
 ロビンは容赦なく僕を追い詰めた。そろそろギリギリなんだ、勘弁してくれ。
「じゃあ何て言って欲しいんだよ。君と寝たいって言われたいのか?」
「言えばいいじゃないっ!」
「冗談じゃないよ、勘弁してくれよっ!」
 もう耐えられなかった。僕は自分への苛立ちをロビンにぶつけていた。つまりはやつあたりだ。
「ひどいじゃない……どうしてキスされて怒鳴られなきゃいけないの?」
 ロビンがその場にしゃがんで顔を覆って泣き出した。
 僕は最低だ。自分がしたいっていうそれだけの理由で、ふさわしくもない相手にキスをして、そのことで腹を立ててやつあたりして、女の子を泣かせるなんて。こんなに女の子相手に余裕がなくなったのも初めてだ。
「ごめん、怒鳴ったりして」
「私がお荷物なのは分かってるけど、いいとこないみたいな言い方しないでよ。私だってせいいっぱいやってるんだよ」
「分かってるよ。君は頑張ってる。数学もサバイバルも」
「大人じゃないけど私だってちゃんと女の子なんだよ。キスだってはじめてだったのに、ふざけてされたなんてあんまりだよ」
 泣きながらロビンが精一杯僕に訴えてくる内容は、いちいち僕の胸を刺した。ロビンが心の中に抱えては一人で泣いて吐き出してきた、ロビンが自分なりに守ってきたプライドを僕がさっきどうしようもなく傷つけたのだということが骨身に染みた。
「ごめん……ふざけてたわけじゃない。僕は……ただ君にキスしたかったんだ」
「どうして?」
「よく分からない」
 キスした後でも友達でいられるような余裕のないこんな島で、どうしてあんな馬鹿な真似をしたんだろう。自分でも分からなかった。分かっているのは、こんなにロビンを泣かせている最中にも、まだ僕はロビンにもっとキスがしたくてたまらないってことだ。何か違うことを言おうと焦った僕は、また馬鹿なことを言った。
「婚約者がいるんだ」
 
 これじゃロビンが好きだって言ってるようなものだ。
 僕はずっとロビンの庇護者かつ家庭教師かつバディとしてやってきた筈なのに、こんなことを唐突に告白されてもロビンも困るだろう。それがどうしたのと訊きかえされる前に言葉を継いだ。
「君は子どもだし、偶然ここで会っただけだ。島を出たら離れることも分かってる。君にそういう気をおこしてもお互い困るだけだから、できるだけ気をつけてたのに。さっきのキスはふざけてしたわけじゃない、でも色んなことをあの時だけちょっと忘れてた。泣かせてごめん」
「ごめんじゃすまない」
 自分でもあんまりひどいと思う告白と謝罪を、当然ながらロビンは受け入れなかった。ロビンは泣き濡れた瞳に力を込め、僕を見返して言った。
「やりなおし。最初から」
「ロビン」
「お誕生日おめでとう、フライディ。お誕生日プレゼント。受け取って」
 ロビンはそう言って手を前につき、僕の方に身を乗り出した。唇が震えていた。
 濡れた瞳を閉じたのは効果を考えてのことじゃないと分かってる。だから余計にどきどきした。
「ありがとう、ロビン」
 そう言って僕はロビンがくれたプレゼントを受け取った。自分の心臓の音が数え切れないくらい聞こえてから、唇が離れた。
 
to be continued ... 「ロビンと僕・4」
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