010◆チップとキャット(直接ジャンプ ) シリーズ目次 サイトトップ
 
2.
「行っちゃった」
 キャットが少し寂しそうに、でも思いがけず会えた嬉しさで少し赤くなってそう言った。やはり少し赤いベスがキャットににっこり笑って言った。
「チップも楽しみにしてることだし、うーんと綺麗にして行きましょうね」
 
 夕方エドとベンが迎えに来た時には、キャットはいつもの小鹿のような元気あふれる様子から一変して、開きかけた蕾のような初々しい淑女に変身していた。
「わぁ、キャット、可愛くしてもらったね。チップは君をエスコートできなくて悔しがるだろうな。ざまあみろ。僕にうーんと甘えてくれ。チップに見せつけてやろう。せっかくならできるだけ悔しがらせてやろう」
 エドがそう言ってまず言葉を尽くしてキャットを誉め、それからようやくベスに向き直った。こちらは逆に短い言葉だったが、声にこもった気持ちで充分その埋め合わせをしていた。
「エリザベス、本当に綺麗だ」
「ありがとう。皆もそう思ってくれるといいんだけど」
「もちろんだよ。ベンもそう思うだろう?」
「そうだな」
 ベンの一言でさっと赤くなったベスを見て、エドは少し面白くなさそうな顔をしたが、その後で恋人が自分を見て恥ずかしそうに微笑んだので機嫌を直した。そこへキャットが横槍を入れた。
「エド。どうして私は『可愛くしてもらった』でベスは『本当に綺麗』なの?」
「妬くなよ、キャット。君の出番はもう少し後だ。きっとチップなら、エリザベスなんか目に入ってないみたいに君のこと持ち上げてくれるからあまり欲張るなよ」
 エドが口を尖らせたキャットにそう言って、皆は笑いながら車に乗り込んでパーティーの開かれるホテルへ向かった。
 
 四人は飲み物を飲みながら、他の招待客が挨拶しにくるのを鷹揚に迎えた。王子とその連れとなるので、どうしても注目が集まった。最初はキャットの存在に興味津々だった周囲だが、『隣国からベスの所へ遊びに来た友人』という簡単な紹介の後では急に関心を失った。彼女がチャールズ王子と一緒に救出されたあの少女だと分かればきっと違う意味で関心をひいた筈だが、キャットについての報道はチップの意向もあってこの国では特にできるだけ控えられていたし、救出された時の真っ黒に日焼けした少年のような姿と、目の前の初々しい淑女を結びつける人はいなかった。
 キャットは周囲から空気のように扱われ、自分がこの場にいていいのかと本気で思い始めていた。何気なく会場を見渡すと、周囲の視線が急に入り口に集まった。キャットもつられてそちらを見た。
「主賓の到着だ」
 誰かがそう言った。
「ゴージャスだな」
「絵になる」
 そんな声も聞こえた。
(フライディってちゃんと格好つけるとやっぱり格好いいかも)
 キャットはぼうっと自分の恋人を眺めた。一緒にいる時と何が違うのか分からないが何だか周囲がきらきらして誰か別の人みたいだった。視察団代表の綺麗な女性が彼の肘に手をかけているから、尚更知らない人のように見えた。
 チップはパーティーの主催者のところへ連れをエスコートし挨拶をしてから、周囲に群がる人々それぞれに連れを紹介していた。
「確かに、こういうのはチップが一番如才ない」
「キャットには悪かったな」
「ううん、大丈夫」
 そう答えながらも、キャットは近づいてくるチップから目が離せなかった。こちらを確認した様子はなかったが、二人は段々にこちらへ近づいてきていた。
「デミ、こちらがベネディクト王子とエドワード王子。ベン、エド、視察団の代表を務めるデメトリアだ」
「お会いできて光栄です」
 そうして紹介を受けた三人が挨拶を交わしている間に、チップがようやくキャットを見てくれた。
「キャット、部屋に入った時からずっと気になっていたんだ」
 微笑んでそう言ったチップが続けた。
「パッド何枚入れたの?」
 キャットがかっとなって何か言い返そうとした時に、チップが耳元で囁いた。
「僕がエスコートだったら絶対パーティーになんか連れてこないで二人だけで過ごすのに。悔しいな」
 そして赤くなったキャットが返事をする前に、近づいてきた他の客に紹介しようとデメトリアを促して行ってしまった。
「そんなに赤くなってチップは何を言っていったの?」
「パッド何枚入れたのって」
 ぼおっとしたキャットがうっかりそのまま答えたせいで、パーティー会場にあるまじき笑い声をあげかけた三人が必死で笑いを堪えた。
「可愛いがってるくせに、いつもひどすぎるよな」
「キャットが怒るから余計に面白がって」
 そんな会話も右から左へ抜けていき、キャットはチップが手を置いているデメトリアの背中を見つめた。
(あの人の背中には下着の線が見えない。ということは、あの人の胸はパッドじゃない)
 きっとチップはそれにも気付いてるんだろう、そう思ったキャットは胸がもやもやとした。
「何かすっきりしないな」
 そう呟くと、エドが素敵に美味しいフルーツパンチを持ってきてくれた。
「これ美味しい。甘いのにすっきりしてる」
「ちょっとだけアルコールが入ってるみたいだけど、キャット大丈夫?」
「ちょっとなら平気。ワイン一杯くらいなら飲めるから」
「大丈夫ならもう一杯飲む?」
「うん」
「エド、食べ物も取ってきてあげて」
 キャットはそうやって三人に甘やかしてもらい、飲むのも食べるのも充分堪能した。
「ちょっとお化粧を直してくるね」
 そう言ってキャットは一人で会場を離れた。鏡の前で粉を刷いて口紅を直してパウダールームを出たところで、いきなり腕をつかまれた。声も出せず少し窪んだ電話用のブースに引っ張り込まれた。驚いて抵抗しそうになったキャットも、相手が誰か分かるとすぐチップに体を預けてキスを受けた。
 
「このまま二人で抜け出したい」
 熱っぽくそう囁かれて、キャットは思わず頷きそうになったが、返事を待たずにチップの唇が耳もとから首筋をつたい降りてきたので慌てた。声が裏返ってしまった。
「ちょっ、ちょっとっ! フライディ!」
「君たちは楽しそうに過ごしてるのに僕だけ真面目に仕事してるんだから、ちょっとくらいご褒美が欲しいな」
 チップが悪びれた様子もみせずに笑顔でキャットを見上げ、指でドレスの胸元に触れた。
「ここにキスしていい?」
「駄目っ!」
 チップがキャットの頬に手を添え、もう一度唇にキスをした。
「強情な小娘だ。ところで口紅はもう一度直した方がいいよ」
 そう言ってチップは自分のポケットから出したハンカチで口を拭ってキャットに見せた。そこに移ったルージュを見て真っ赤になったキャットを残し、チップはにやっと笑うと挨拶なしにいってしまった。ほんの数分の出来事だった。
「もう……フライディってば。ふざけてる」
 キャットはパウダールームにふらふらと戻って鏡の前の椅子に座り込み、そう呟いた。それほど胸元の開いたドレスではなかったが、指で触れられた場所を鏡で見たらまた胸がざわざわした。本気だったのかからかわれたのか、はっきり聞き質せばよかった。いかにも手馴れた様子だったのも気になった。やっぱりチップには何でもないことで、自分はからかわれていたんだろうか。そんなことを時の経つのも忘れて考えていた。
 結局キャットは心配したベスが迎えに来るまで椅子に座ったまま、さっきキスされそうになった場所に手を置いて動悸を手のひらでうけていた。
「キャット、どうしたの? 大丈夫? 顔が赤いわ。酔ったのかしら?」
「そうみたい」
 キャットはチップに会ったことをベスには言えなかった。
「どこかで休む? 少し外の空気でも吸う?」
「うん。エド達は大丈夫かな」
「あの人たちなら大丈夫。話をしたいって人が押し寄せてるだろうから」
 
「チップとキャット・3」
010◆チップとキャット(直接ジャンプ ) シリーズ目次 サイトトップ

Copyright © P Is for Page, All Rights Reserved. 転載・配布・改変・剽窃・盗用禁止
創作テキスト・説明文・ログを含めたサイト内全文章(引用箇所以外)の著作権はページのPに帰属します

inserted by FC2 system