010◆チップとキャット(直接ジャンプ ) シリーズ目次 サイトトップ
 
3.
 ベスと二人でホテルの中庭に出て夜風に当たると、キャットの火照りも少しひいてきた。
 パーティー会場のまばゆい明かりが中庭を照らしていた。一定の距離で置かれた何組かのベンチに、それぞれ一組づつ男女が座っているのを見てキャットはくすっと笑った。
「どうしたの?」
「なんだかカップルシートみたいじゃない?」
 ベスもその言葉にくすくすと笑った。
「本当ね。こっちから見るとちょっと恥ずかしいけど、きっと座ってる方は他の人のことなんて気にしてないわね」
「ベスもそうだった?」
「何が?」
「カップルシートに座った時」
「経験ないわ。私、エドが初めての恋人なのよ」
 えっ、と驚いた顔をしてキャットがベスを見直した。
「でもチップと婚約してたんでしょう?」
「父から『チップでいいか』って聞かれただけで、一度もデートはしてないわ、幸いにも」
「へえ」
 キャットは何と答えていいか分からなかったが、少し嬉しかった。たとえチップが過去の恋人の存在をことあるごとに強調してみせたとしても、それは霞の向こうのぼんやりとした想像でしかなかったが、ベスには妬いたことがないと言えば嘘になった。チップとベスはよく喧嘩をするが、それだけ二人が親密だからとも見えるのだ。
 一度もデートしてないんだったら、本当に気にしなくてもいいのかもしれないと思ったキャットだが、次の瞬間にとんでもない光景を目にしてしまった。
「どうしたの、キャット?」
 急に立ち止まったキャットを心配して声をかけたベスも、同じ光景を目にした。男性の方は女性の肩に両手をかけ、女性は男性の腰に両手を回していた。二人は抱き合っているようにみえた。ベスは無言でガーデンライトの光から少し外れた暗がりのカップルの元へ静かに近づいた。
「チップ、何をしているの?」
 見間違いだと言い訳できない距離まで迫ってから、普段より一オクターブは低い声でベスがチップに問いかけた。チップはびくっとしてベスを見たが、連れの肩にかけた手のひとつはまだ残していた。
「パーティーだけじゃなく違うエスコートも引き受けたの?」
「そういう言い方はやめて欲しいな。ちょっと親睦を深めていただけだよ」
 そう言ったチップがデメトリアの肩を抱いて、ベスの刺すような目線から庇うようにしてその場を立ち去りかけた。キャットに気付いた時にはさすがに一瞬驚いた顔をしたが、すぐ目を逸らしたキャットにあえて声はかけなかった。デメトリアは顔をあげ、隠れるでもなく胸を張ってチップと並んでその場を離れた。
 二人が消えてしばらくして、ベスがキャットに声をかけた。
「キャット」
「戻ろうか。エド達が心配してるよね」
 キャットがさっきの出来事には一切触れずにそう言ったので、ベスは頷くしかなかった。
 キャットは少し顔色が悪いもののエド達のところへ戻って笑顔を見せた。帰りの車の中でもキャットは笑顔だったものの殆ど口をきかず、ベスはキャットを気にして上の空で、エドは二人の様子を気にして話を盛り上げようとしては空回りし、ベンは普段と変わらない無口のまま、和やかとは言いがたい空気のままベスの家に着き、キャットとベスはそこで車を降りた。
 玄関を入ったところでベスがキャットに向き直ったが、キャットが笑顔のままでベスをかわした。
「先に休ませてもらってもいい?」
「もちろんよ。もし眠れなかったりしたら、いつでも部屋に来ていいのよ」
「ありがとう。ごめんね、せっかく誘ってもらったのにあんまりお喋りしなくて」
「キャット!! そんなこと気にしないでよ。だって」
「おやすみなさい」
 
 キャットはいつも泊まりに来た時に使っている部屋に入って、明かりをつけずに窓辺に立った。チップにされそうになったキスのことと、チップがしていたかもしれないキスのことが頭の中をぐるぐると回って熱が出そうだった。
「今日は寝よう。明日考えよう」
 誰か綺麗な女の人がそう言ってた。テレビで見た古い映画の中で。そう思ったキャットは化粧をいい加減に落としてパジャマに着替え、ベッドに入った。携帯電話を手に持って少し考えてから、電源を切った。
 夢を見て一度夜中に起きたキャットは、目をごしごしっとこすってからまた寝なおした。
 
 前夜が遅かったので翌日は昼過ぎまで寝て、午後はキャットとベスでテニスをした。キャットは珍しくミスを連発して「ちょっと体が鈍ってるから走ってくる」とそれからベスの家の広い敷地を走った。夕飯の後でキャットは早々に部屋に戻りベッドに倒れ込むようにして寝たので、夜のニュースで映ったデメトリアとチップの姿は見なくて済んだ。
 
 その翌日はベスとキャットで買い物に行った。キャットが珍しく大人っぽい服を気にいって、店員の勧めで試着した。しかしカーテンを開いて出てきたキャットを見て、店員もベスも何と声をかけようか戸惑った。キャットがぼろぼろと大粒の涙を零していたからだ。
「ベス、どうしよう。全然似合わない」
「そんなことないけど……」
「やっぱりやめる」
 そう言ってキャットがまたカーテンを閉めた。試着室の中から泣き声が漏れた。この様子では服は買取ったほうがいいだろうと、ベスが店員に後で家に届けるようにと言い、着替えたキャットを連れて車に乗った。
「キャット、海でも見にいきましょうか」
「海は……駄目。いろいろと……山がいい……ごめんね、ベス……」
 タオルを握り締めたキャットがしゃくりあげながらそう答えたので、二人で見晴らしのいいドライブウェイを走り、山頂の城跡にやってきた。
「ここは400年くらい前のご先祖さまが作ったお城の跡。戦争の時には篭城できるように昔はここに」
 そう言いかけたベスが言葉は途切れさせ我が目を疑った。デメトリアと腕を組んだチップを先頭に、視察団があと二人、案内役と政府関係者、あとはSPやプレスなどが脇を固め、目立つ集団が駐車場からこちらへ向かってやってきた。公式予定になかったこの寄り道を思いついたのが誰か分かれば名指しで呪ってやる、ベスは心の中でそんな穏やかでないことを考えた。
 城跡を見上げるようにしたチップが確かにこちらに気付いた、そう思ったベスがとっさに自分の脇を見直すとキャットは壁に隠れるように小さくしゃがみこんでいた。
「キャット?」
「逃げよう」
「逃げるって」
 キャットが頭を低くしたまま広場の端に向かって移動しはじめたので、ベスは仕方なく追いかけた。ベスは一度後ろを気にして振りかえり、チップがこちらを見ているのに気付いて思い切り顔をしかめてみせた。
「キャットが逃げることなんてないのよ?」
「う、うん。でもお仕事中みたいだし」
「キャット、一昨日の夜のことが気になるなら説明を求めるべきよ、ううん、チップには求められなくても説明する義務があるわ」
「ベス、お願い。大きな声出さないで」
「あの女にだらしのないいとこには私からも言いたいことが色々あるのよ」
「私……私、よくわかんないの」
「キャット、そんな風じゃチップの思う壺よ」
 そう言っている間に車にたどり着いてしまった。
「お願い。今日はもう帰ろう」
 キャットにそう懇願され、ベスは折れた。慎重派のベスにしてはずいぶんとラフな運転で家まで帰り、キャットが夕飯は要らないと言ったので軽い夜食を部屋に届けさせると約束してキャットを部屋に残し、ドアを閉めた。
 
 翌朝の朝食も断ってキャットは部屋で休んでいた。昼も食べないと言うのでベスが心配してキャットの様子を見にいくと、キャットは熱っぽい顔をしてベッドの中にいた。ベスが額に手をやるとやはり熱があった。ベスはそばについていようかと思ったがキャットが断ったので、代わりにエドに話を聞こうと呼び出した。
「チップはいったい何を考えてるの? 今回の『公務』ってあんなことまで入ってるの?」
「僕も詳しくは教えてもらってないんだ」
「チップから納得のいく説明を聞かせてもらうまで、キャットには会わせられないわ。私はご両親からキャットをお預かりしてるんだから、あんまりチップがキャットをないがしろにするんだったら、お付き合いについても考え直すように説得するつもりよ」
 話しながら段々声が低くなっていくベスを見て、エドが複雑な顔をして言った。
「ねえ、エリザベス。本当はエリザベスもチップのこと好きだったんじゃない?」
「えっ!?」
「そんなに怒ってるのは、もしかしてキャットのためだけじゃなくて」
 少し目を伏せてそう言うエドの手を、ベスが両手で握った。
「馬鹿ね、エド。そんなことないわよ。いつも私だけ無視されてたから口惜しかったのは本当だけど、私は本当に本当にチップのことが嫌いだったのよっ!」
 ベスが力を込めてそう言った。
「告白どうもありがとう」
 エドが開けておいたドアの向こうからそう言う声がした。エドとベスが目を見張った。
 
「チップとキャット・4」
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