010◆チップとキャット(直接ジャンプ ) シリーズ目次 サイトトップ
 
5.
「キャット、起きてるの?」
 笑い声を耳にしたベスがそう言いながら入ってきた。そしてベッドにもう一人の姿を見つけて悲鳴のように叫んだ。
「チップ、あなたここで何してるのよ!」
「野暮なこと聞くなよ。分かるだろう?」
 そう言ったチップがベッドを降りてベスの方へ向かった。
「どうやって入ってきたのよ!」
「恋の翼で飛んできたんだよ……あんまり追求しない方がいいよ、ベス」
「キャットが自分から会いたいって言うまで会わせないって言ったでしょう?」
「そのことでは僕はかなり君を恨んでるけど、朝まで邪魔しないでくれたら水に流してもいい。ああ、それから朝食は僕の分も追加して。頼んだよ」
 ベスが怒りで口がきけなくなったのを幸い、チップがベスを追い出してドアを閉め、鍵をかけてしまった。それからベッドを振り返ると、キャットはシーツを肩まで引っぱりあげていた。
「ねえ、あの人にあれからも誘われた?」
「ああ、まあね。君よりはずっと積極的だったね」
 キャットがもぐったシーツの間に自分ももぐろうとしながらチップがそう言った。
「僕はハンターにとっては珍しくてデカい……ゾウみたいな獲物だから」
「ゾウは保護動物だからハンティングは禁止なんだよ?」
「よく知ってるね、ロビン。僕も君に保護されたいな」
「男の人は……ああいう女の人が好きなんでしょう?」
「僕が好きなのは君だよ」
 そこまで言われてもキャットは非難がましく付け足さずにはいられなかった。
「パッド入れないといけないのに?」
 からかわれたのは分かっていたけれど、パッドを入れたのは本当だったからキャットの心にはあの時の言葉がずっとささっていた。
「あれは、君があの場所で居心地悪そうにしてたからちょっと元気づけようと思ってからかったんだ。考えなしだった。ごめん、謝るよ。実を言うと君が見せびらかしてた胸骨にキスしたくて君の胸元から目が離せなかったんだ」
「見せびらかしたりなんかしてないよっ」
「いいや。僕からはそう見えたね」
 そう言ってからチップは、キャットのパジャマの開きから喉元に少しだけ触れた。
「……君が携帯切ってたのは、僕がやりすぎて君の機嫌を損ねたせい? ここにキスされるの、そんなに嫌?」
「……わかんない。ぐるぐるしてざわざわするの。でも初めてキスした時みたいにわけわかんないうちにされるのは嫌」
 そう言ってから、キャットが少し不安そうな顔でチップを見つめて言った。
「ごめんね、フライディのことも私が大人だったらもっとちゃんと分かるのかもしれないけど、どうすればいいのか分からなくなっちゃったの。ベスが言ったみたいに怒ればいいのかな? うまく言葉にならないの。でも別れたりしたくない……私が子どもっぽくて、フライディは嫌?」
 チップが複雑な表情で恋人を見返した。
「普通はベッドの中でそんな風に訊かれたら次にやることは決まってるんだけどね。今はまだ子どもでいいよ、僕は君の将来性を見込んでるからね。君となら無人島でも楽しく過ごせるって分かってるし」
 返事をせずにキャットが両腕をチップの首に回した。そのまま上等なシーツの上をずり上がるようにしてチップの頭を胸に抱いた。一瞬にして、二人の関係が変わった。
「……ありがとう。もう君にこんな風にしてもらえなくなるかと思ったよ」
 チップが小さな声でそう言い、そしてそのまま二人で静かに抱きしめあった。しばらくしてチップが言った。
「とりあえず今回の件は片付いたけど、これからもまた君に心配かけたり不愉快な思いをさせると思う」
「皆がフライディのこと追っかけるから?」
「うん。それもあるし、どうしても公務優先になるから。文句言っても暴れてもいいから、もう逃げないで」
 そう言ってから、しばらく間を空けてチップが静かに言った。
「本当は君に僕との将来を真剣に考えて欲しいって言いたいんだけど、風邪をひいて公務を休んだだけでニュースになるような生活が君にとって快適だとは思えなくて、迷ってる」
 キャットがチップを胸に抱いたまま言った。
「フライディ。うちに来てお父さんと一緒にパン作る?」
 チップがいきなり噴き出した。そのまま笑いが止まらなくなって、目じりに涙が浮かぶまで笑った。キャットがむっとして言った。
「ひどいじゃない。そんなに笑うなんて。私、本気だよ?」
「ごめんごめん。僕は君に来てもらうことばかり考えていたけど、君の言う選択肢もあるね。一人で考えるより、君と二人で考えた方がいい方法が見つかりそうだ。急がなくていいから、一緒に検討してくれない? やっぱり君がいないと駄目だ。愛してるよ、ロビン」
 まだところどころ笑いを挟みながらチップがそう言った。それから恋人を抱き寄せて幸せそうに溜息をついて言った。
「本当に本当に、愛してる。ねえ、このまま一緒に寝ていい? ここ数日あんまり寝てないんだ。君と寝たい」
「それって、言葉どおりの意味でいいんだよね? ええっとつまり、ベッドをシェアするって意味でいいんだよね?」
「今日のところはそれでもいいよ、バディ」
「ならいいよ」
 チップは、ちっとも懐柔されてくれない恋人に苦笑した。
「将来についての検討には、ぜひこの件も含めて欲しいな」
 
 今回の工場誘致のための案内というのはただのパフォーマンスだった。あらかじめ企業と政府の間で根回しされていた計画をスムースに運ぶため、ああいう形で公にしただけだ。王子自ら案内をして計画が中止になったらそれこそ王家の威信に関わる。しかし、企業側の担当が仕事も恋愛もやり手だと評判の女性になると分かって、第二王子のベンを案内役にするのに問題が出た。パフォーマンスのためとはいえスキャンダルは困るのだ。時期的にも色々とまずかった。
 関係者にとって幸いだったのは、そのベンに女性の扱いに慣れ、女性と親密にした位では今更皆の関心を惹かず、王位継承権を放棄した、大変代役として都合の良い弟がいたことだった。おまけに今付き合っているのはとるに足りない相手で、ちょっとくらい王子のお遊びが過ぎたとしても周囲を巻き込む大問題にはならない。第三王子にエスコート役を代わらせれば、第二王子の身の回りは綺麗に保てる。
 ……そういった周囲の思惑が最初に全て分かっていたわけではないが、いずれにしてもチップはこの役目を断れなかった。ベンにやらせるわけにはいかないし、他の兄弟でも駄目だ。結局自分がやるのが一番いいことは、自分でもよく分かっていたのだ。どうしても失いたくない恋人がいる時には嬉しくない公務だったが、ともかく義務を果たしたし、恋人とも何とか和解できた。
 自分が例の事故以来、一部でホワイトエレファント(金を食うやっかい者)扱いされていることは知っていたからつい自分をゾウに例えた。キャットがハンターでないことは最初から分かっていたが、狩場から出て家においでと言われるとは思わなかった。
 
(君にならいくらでもハンティングされたいんだけどな)
 チップはそう思いながら恋人の穏やかな寝顔にキスをした。キャットは眠ったまま微笑み寝返りを打ってチップに寄り添った。ベッドには入れてくれるのにキスまでしかさせてくれない、王子という仕事にも全く拘らない唯一無二の恋人を腕に抱いて、今夜はチップもおとなしく目を閉じた。
 
end.(2009/03/22)
拍手する
 
時系列続き(並列含む) 本編→016◆FAQ
 
010◆チップとキャット(直接ジャンプ ) シリーズ目次 サイトトップ

Copyright © P Is for Page, All Rights Reserved. 転載・配布・改変・剽窃・盗用禁止
創作テキスト・説明文・ログを含めたサイト内全文章(引用箇所以外)の著作権はページのPに帰属します

inserted by FC2 system