015◆ファースト・セメスター(直接ジャンプ III) シリーズ目次 サイトトップ
 
《 II 》
 
6.
「キャットって、持ってるのが同じような服だから余計にいつも同じ服着てるみたいに見えるのね」
「確かに、この学校では逆に目立つかも」
「だから目をつけられちゃったのかしら」
 ローズとフェイスは、本人のいないカフェテリアでキャットについての噂をしていた。二人はキャットが服に気を使わない−−あるいは気を使いすぎる理由を聞いて知っていた。
(何もないところで一ヶ月暮らした後、服とか食べ物とかCDとか見たら何見ても素敵に見えてちょっと皆には言えない位に買いまくったの。でもそのうち、たくさん持っててもちょっとしかなくても同じだなって思ったら、なんかあれもこれも欲しい気持ちが冷めちゃって。またそのうち欲しくなるかもしれないけど、今はまだ……)
 キャットはいつも日常をすごく楽しんでいるように見える。人一倍楽しんでいる。でもやはりそれは一方で日常の退屈さにまだ馴染めていないようにも見えた。ローズ達はキャットと一緒に行動することで、つまらない日常が思いがけず興味深いものになるという体験もできたけれど、時々キャットを抱きしめて大丈夫だと言ってあげたくなることがあった。そんなに一生懸命に楽しまなくても大丈夫だよ、あなたには時間がたっぷりあるんだよ、と。
「キャットってテニスがすごく上手なのかしら」
「普通よりはもちろん上手いんでしょう」
「大丈夫なのかしら」
「負けたからって、辞めたりしないわよね?」
 何もしてあげられないことにお互い胸を痛めながら、二人はキャットの心配を続けた。
 
7.
 試合は、予想外の接戦になった。パワーと打点の高さはもちろんリチャードの方が上だ。普通なら男子と女子の試合でこんなに接戦にはならない。リチャードも最初から本気で打ってはいたが、やはり女だと舐めている油断があった。最初のうちはキャットはパワーよりはコントロールで決めるサーブや、まぐれのようなボレーでポイントを取り、2ゲーム先に取った。そこから絶対に負けられないと巻き返しをはかったリチャードが2ゲーム追いついて、接戦になった。
(足が速い)
 キャットはパワーでは叶わないが、体の軽さを最大限に利用した。ひたすらボールに追いついて返す。その中に時折全身で打ち返すスマッシュもあれば、ただ当てるだけのボレーもあった。相手を振り回す、リチャードの嫌いなテニスだった。
(生意気だっ!)
 力いっぱい打ち返した重たいボールを、キャットがなんとかラケットだけ間に合わせて受けた。ボールは高く打ち上がった後、ネットの上で一瞬迷ってからリチャードのコートに落ちた。
「くそっ!」
 リチャードが思わず悪態をついた。キャットは衝撃が響いたらしく、利き腕を反対の手で押さえたがまたグリップを握り直した。
 次のサーブをキャットが打った。リチャードが返したボールを、ネットぎりぎりまで出たキャットがボレーで返し、リチャードが拾いに出た。
 
 いきなり背中から息が止まるような激痛が襲い、リチャードが思わずその場に倒れた。ギャラリーが口々に彼の名を呼んだ。
「リックッ!?」
 メディカル・タイムアウト(治療時間)が取られた。周囲が慌ててコートに入り、リチャードを助けようとしたが、背中に痙攣を起こしたリチャードは立ち上がれなかった。治療を受けるリチャードから目をそらして時計をにらんでいたキャットが、ジャッジが終了を告げると同時につかつかとネットの前へ出た。
「棄権するんでしょ? 私の勝ちでいいよね」
「待てよっ!」
 そう言ったものの、リチャードは立てなかった。ただの痙攣だ、治ればまだ続けられる、そう言い訳をしようとしたが、不意に気力が尽きてしまった。
「棄権する。でも、お前のテニスに負けたわけじゃないからな」
 悔しさのあまりそう言ったリチャードに、不意にキャットが笑いかけた。
「うん。認める。また試合してね」
 リチャードは悔しさも忘れてキャットの笑顔に見とれた。リチャードだけではなく、他の皆もそうだった。そのまま心配して見守っていた友達のところへ戻るキャットの後姿は、実に晴れ晴れとしていた。
 
8.
 夜になって開かれた新入生歓迎パーティーは、教授や学校関係者なども出席する盛大なものだった。今年からベネディクト王子に代わって理事に加わったチャールズ王子も出席するというので、女子学生はシンデレラもかくやという姿で着飾っていた。
 リチャードはその会場でキャットを探し回った。あちこち訊いてまわり、ようやく目立たない出窓の前の椅子に一人で座るキャットを見つけた。ぴんと伸びた背筋やしっかり筋肉のついた腕に華奢という印象はないが、細いこの体で自分と互角の試合をしたというのは、色々としゃくだがやはり相当のものだと改めて見直した。
(ドレスだってちゃんと持ってるんじゃないか)
「おい。壁の花」
 リチャードがキャットにそう呼びかけた。キャットはむっとした顔でリチャードを見上げたが返事はしなかった。
「ダンス踊れないのか。それとも誰にも誘ってもらえないのか」
「違うわよ」
 そう言って顔を背けたキャットが、しぶしぶ理由を告白した。
「試合で足を使いすぎたの」
 リチャードが小さく笑った。キャットがちらっとリチャードを見上げた。
「あなたこそどうして踊らないのよ。私は誘われても無理だから」
「誘う気ない」
「あなたもどこか痛いの?」
「あんな痙攣くらい、あれからすぐに治った。お前と一緒にするな」
 キャットは鼻を鳴らして横を向いた。
「でも……試合は、お前の勝ちだ」
 そう言ってリチャードが、コートでは差し出せなかった手を差し出した。キャットは横を向いたまましぶしぶとその手に向かって自分の手を差し出し、二人はようやく試合終了の挨拶を終えた。
 
9.
 そこへ、タキシード姿の男性が近づいてきてキャットに微笑みかけた。
「こんなところで密会? 踊らないの?」
「この人と先約があるのっ」
「おっ、おいっ」
 いきなりダンスの相手にされて横にいるリチャードが慌てた。その二人に向かってチャールズ王子が笑いながら言った。
「本当は二人とも踊れないぐらい疲れてるくせに」
「どうして知ってるのっ?」
「ご存知なんですか?」
 キャットとリチャードが口々に問いかけた。王子が人の悪そうな微笑を浮かべた。
「僕に勝つために秘密練習までする君が、僕にテニスを教えてくれって言い出したからいったい何が起きたのかと思ってね。リック、ごめんね、君が苦手なボレーの特訓をつけたのは僕だよ」
 キャットが座ったまま王子を睨み上げた。
「……教えてなんて言わなければよかった! 実力で勝ったのにこんな恩着せがましい言い方されるなんて!」
「でもぎりぎりだっただろう。相手の弱点を突くのは別に卑怯じゃない。君はフットワークに甘えて試合の組み立てが下手だ。もっと頭を使えよ。テニスは高度に数学的なスポーツだよ」
「私は数学マニアじゃないもん。いったいどこに隠れてみてたのよ」
「ひどい言い方だな。僕の名誉のための決闘に、知らん顔できるわけないだろう?」
 リチャードは呆然と二人の口論を見守った。ありえないと思いつつも何となく事情を察し始めていた。
 
10.
「ダンスしないのなら、この場所にいる必要ないだろう。行こう、そこの窓から抜け出そう」
「断ったら?」
「力づくで抱き上げて会場の真ん中を突っ切って連れて行く」
「それじゃ選びようないじゃない、どっちにしろ連れて行くんでしょ」
「もちろん」
 そう言った王子をちらっと見上げてから、キャットが不意に微笑んだ。
「いいよ。連れて行って」
 キャットが王子に手を差し伸べた。王子がうやうやしくその手を取り、キャットが立ち上がった。
「殿下……?」
 その場に残されるリチャードが弱々しい声で王子を呼んだ。
「ああ、ごめんね。もう紹介は必要ないと思うけど、彼女が僕の最愛の恋人」
 王子の言葉にキャットがさっと頬を染めた。リチャードは最後の疑問を口にした。
「ロビンって……?」
「うん、それも彼女の名前。……でも君はそう呼ぶなよ」
 最後にリチャードにそう釘を刺してから、王子が先に立ち、辺りを見回すと窓枠に足をかけた。
「じゃあ僕達はお先に」
 そう言った王子が、頬を染めたキャットを抱き上げて窓から出て行った。
 
 自分がはめられたような気がしてならないが、リチャードはどうやら間違った相手にケンカを売ったらしいことに今更気付いた。それから彼女がその気になれば別にテニスの試合などしなくても自分をへこませることができたことにも、今更気付いた。
「悔しいけど負けだ」
 決して殿下の恋人だからではなく。あの生意気なキャットって女に負けた。女としては全然いいと思わないけど、男っぽく真っ直ぐな奴らしい。まあ人の好みはそれぞれだから。殿下の趣味についてはもうとやかく言うまい。
 
エピローグ
 だからといってリチャードがそのままおとなしくなったと思ったらそれは思い違いだ。リチャードはそれからもキャットに身なりに気を使えと言い続けたし、キャットはうるさそうにそれを聞き流し、時には噛み付いた。
 が、傍目には二人は仲がよさそうにみえた。
「キャットってリックと付き合ってるの?」
「彼氏いないんじゃない? 部屋の壁に貼ってあるの、王子達だったよ」
「へえ……じゃあ付き合ってはいないのかな。それにしては仲いいよね」
 そんな無責任な会話の中身を知ったら、多分ロビンは赤くなって、リックは青くなって反論したことだろうが、幸か不幸か二人はその噂を知らなかった。(が、何でも知っているキャットの恋人はもちろん知っていた)
 
end.(2009/04/23)
拍手する
 
時系列続き(並列含む) 本編→019◆Venerdi(金曜日)
 
015◆ファースト・セメスター(直接ジャンプ II) シリーズ目次 サイトトップ

Copyright © P Is for Page, All Rights Reserved. 転載・配布・改変・剽窃・盗用禁止
創作テキスト・説明文・ログを含めたサイト内全文章(引用箇所以外)の著作権はページのPに帰属します

inserted by FC2 system