フライディと私シリーズ第八作
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(現代・外国・20代男×10代女/原稿用紙16枚)
※連作シリーズのためこの作品から読み始めるのはお勧めしません。シリーズ第一作→「フライディと私
 
「フライディの恋人って何人くらいいたの?」
「いつも一人しかいないよ」
 僕はにっこり笑って答えた。ロビンが上目遣いに僕を見ながら質問を変えた。
……言えないくらいたくさんいたの?」
「肯定も否定もしない」
 もしここで本当のことを答えたとしても、次にはロビンは誰がその相手か訊きたくてたまらなくなるに決まってる。そして相手との付き合いの深さとか、僕がそれぞれの彼女を今どう思ってるかが気になって……要するに、きりがないってことだ。過去は変えられない。昔のことで妬かれても僕にはどうしようもない。恋人が100%満足できる答えなんてありはしない。僕が過去の失敗から学んだ真理だ。だからもうこの手の質問には一切答えないことに決めている。
 しかしロビンも頑固だった。
「どうして教えてくれないの?」
「恋人の過去を根掘り葉掘り訊き出そうとするなんていい趣味じゃないから」
 とうとう僕がそう言って渋い顔をつくって見せると、ロビンが顔を背け、僕の膝から降りた。
 
 もしかしてまた泣かせてしまったんだろうか。
「ロビン」
「パーティーまでちょっと休むね」
 ロビンは僕を振り向くことなく、隣の寝室へ入ってしまった。僕は溜息をついて、閉まったドアを透視できないものかと無駄に念を込めて見つめた。 
 ロビンは今日、ベスの家で開かれるパーティに出席するため僕の家に泊りに来ていた。いつもはベスの家に泊まっているが、今日はベスの家はいろいろ落ち着かないからと珍しく僕の家に泊まってくれた。僕はロビンをエスコートするので張り切っていたが、他に色々期待してたのも事実だ。ロビンもそれなりに……前向きな姿勢だったんだけど。ついさっきまでは。
 
 楽しく過ごせる筈だった時間を一人でもんもんと過ごしてから、僕は自分の身支度を整えた。ロビンの部屋へ迎えに行くと、彼女の身支度を手伝うように頼んだ侍従のエレンが取り次ぎに出てきた。
「もう少しお待ち下さい」
……彼女の機嫌はどう?」
 弱気になって小声で訊いた。エレンも小声で答えた。
「喧嘩なさったんですか? ちょっとお元気が足りないなと思ってたんです。それ以外は申し分ありませんからそうおっしゃって下さいね」
 そう言って彼女はまたロビンの待つ寝室に戻ってしまった。やがて、衣擦れの音が響いてシルクタフタのドレスを着たロビンが部屋から出てきた。
「殿下、いかがですか?」
 緊張で白い顔をしたロビンの代わりに、エレンが僕にそう言った。
「……よく似合ってるよ」
 いつも洗いざらしの髪は柔らかく巻いてあった。化粧で煙ったような目元と合わせて何だかずいぶん大人っぽく見えた。ドレスは十代にふさわしく開きの少ないもので、どきつくないオレンジ色がロビンの日焼けした肌の色によく合っていた。
 今夜は――わおっ!――僕がこのロビンのエスコートだ。
「ではパーティーには遅れずにお連れして下さい。お美しいパートナーをお美しいままにね。お化粧が崩れるようなおいたは駄目ですよ」
 エレンは僕にそう釘を刺してから、僕たちを二人にしてくれた。いまだに僕を子ども扱いすることを除けば、エレンは本当によくできた侍従だ。
「ロビン、綺麗だ。注意されてなかったら、めちゃめちゃになるまで抱きしめてキスしたい」
「なんだか落ち着かない」
「パーティーなんてやめて、ずっと二人でいようか」
「ねえ、本当に変じゃない?」
 僕の提案は聞いてもくれなかったが、見上げた顔の可愛らしさに文句も出なかった。化粧を崩さないようにそっとキスだけした。
「最高に素敵だ。誰にも見せたくない」
「……口紅ついてる」
 そう言って僕の唇に触れたロビンの指を、そっと口に入れて甘く噛んだ。ロビンの頬に、緊張で引いていた血の気が戻ってきた。
「早く出て、早めに抜け出そう」
 
 ベスの家でまず主催者である伯父と伯母に挨拶をしてから会場で知り合いにロビンを、いやキャサリン嬢を紹介した。ロビンは冷やかしと賞賛を浴び、その度に初々しく赤くなって相手を喜ばせた。
「ちょっと飲み物を取ってこようか」
 ロビンが扇子を取り出し、ほてった頬をあおいでいるのを見て、僕はそう言った。
 
 飲み物を取りにいったところで知り合いにつかまってしまった。戻るのが遅れた間に何が起こったのか正確なところはよく分からない。が、ベスが珍しく小走りで僕のところにやってきた。
「やあ、ベス。こんばんは」
「お話中ごめんなさい。ちょっとチャールズ殿下をお借りするわね」
 話の相手に断ってからベスが僕の腕を引いた。エドが見たら睨みそうだと思ったら案の定エドがこっちを見てた。
「ベス、エドが睨んでるよ」
「そんなことよりこっちにいらして」
 
 ベスが僕をひっぱっていったのは女性用の、上品に言えばパウダールーム、要はトイレだった。廊下には中の様子を伺う数人の女性がいた。中からロビンの声が響いた。
「あなたは意地悪な魔女よっ!」
 女性達が忍び笑いを漏らしたのに一瞬遅れ、ドアの向こうから平手打ちの音がした。僕は礼儀を振り捨てて女性用トイレに飛び込んだ。
 そこで僕が見たのは、妖艶な美しさで知られるマダム・某が怒りに目を吊り上げ、自分の手を胸の前で押さえた姿だった。そして僕のロビンは両手を握り締め肩を怒らせ、恐れることなくマダムに立ち向かっていた。
「マダム、こんばんは。ご機嫌うるわしくとはいかないようですね。僕のパートナーが何か失礼を申し上げたのなら僕からも謝罪しますが」
 ロビンが勢いよく振り向き、こいつは何を言うのかという顔で僕を睨みつけた。
「まずは彼女に謝罪なさって下さい。理由は何であれ手を上げるのはやりすぎです」
 マダムはしばらく口をぱくぱくさせてから、手を下ろすと聞き取りにくい声で謝罪の言葉を述べ、それから気を取り直し頭を振り上げて出て行った。
 
「ロビン、大丈夫? ベス、何か冷やすものは」
「その前にチップ、あなたはここから出て行って。後で呼びに行くから、それまでに挨拶してない人に挨拶して帰れるように準備して」
「ああ」
 僕は気もそぞろに、でも一応押さえなくてはいけない相手全てに挨拶をして、ついでにエドに言い訳をしてから、再び呼びにきたベスに小部屋に案内された。ロビンはそこで、氷水の入ったパックを頬に当てて半べそをかいていた。
「ごめんなさい、フライディ。せっかく連れて来てくれたのに」
「ロビン、……ああ、ロビン。君は最高だ。最高のバディだよ」
 僕は不謹慎にも笑い出してしまった。ベスが呆れた顔をした。
「可愛い恋人を慰めもしないで笑い出すってどうなの? 本当にあなたと結婚しなくて済んでよかったわ」
「そうだね、ベス。エドにふざけたところはないからね」
「ええ、おかげさまで。本当にありがとう、チップ」
 これで何回目か、機会があるごとにベスは僕に礼を言うが僕は男としてちょっと複雑だ。そんなことを言うとロビンに怒られそうだけど。
「ロビン、挨拶は済ませたから帰ろう。頬を冷やした方がいいし、後は僕が君をひとりじめするよ」
「エドが言ってたわよ。チップはキャットを家に泊まらせるためだけにパーティーに誘ったんだって」
「もちろんその通りだよ。じゃあ失礼するよ、ベス。ご両親に宜しく」
「ええ、またね」
 僕はロビンをエスコートして裏口から抜け出した。正面から帰るにはまだ少し早い時間だったから、ベスに裏に車を回してもらっていた。
 
 ロビンの泊まるゲストルームで、僕はロビンを膝に乗せた。
「さあロビン、何があったか話せる?」
……あの人、フライディと……何度も楽しく過ごしたって」
「それで」
「お下がりで悪いわねって。だから私、信じないって言ったの。そしたらあの人今度は王子が子どもに本気になるなんてとても思えない、もしかしたらからかわれてるんじゃないかしら、可哀想にって……」
 悔しさが甦ったのだろう。ロビンはぽろぽろと涙を落としてタオルに顔を埋めた。
「確かに綺麗な人だけど、フライディがあんな意地悪な人の恋人だったなんて嘘よね?」
 
 ロビンはせっかくの化粧が半分落ちていたが、勇敢で愛らしく生意気で、そして、とてつもなく可愛かった。
 
「ロビン。昼間の質問には僕はこれからも答えないよ。でも僕のことで意地悪された挙句に叩かれたお詫びに今回だけは特別に告白する。彼女は僕の恋人だったこともないし、寝たこともない」
「へっ?」
 ロビンが落ちたマスカラでパンダのようになった目をまん丸くして僕を見上げた。
「楽しく過ごしたって、何をして過ごしたとは言ってなかっただろ。せいぜい何度かダンスの相手を勤めたくらいだ」
 正確に言えば本気か冗談かは知らないがずっと昔に迫られて、危機一髪逃げ出したことはあるが、それは言わなくてもいいだろう。僕はロビンが大きく開いた目を覗き込んだ。やがてロビンは目を細くして拳を握った。
「どうして殴り返さなかったんだろうっ!!」
 僕はロビンを抱えたまま笑い転げた。
「ロビン、ロビン……君が勇敢なのはよく分かってるけど、殴らなくてくれて助かったよ」
「あんなこと言わせてていいの?」
「いちいち、僕と寝たことがあるってほのめかす女性の話を『この人の話は本当ですがこの人は違います』って言って回れっていうのか? やめてくれよ。聞いた相手が好きに解釈できるようなあいまいな話に正面から抗議したって、どうせウナギみたいにするっと逃げられるだけだ。僕の方が恥をかかせたお詫びをしなくちゃいけなくなる」
 ロビンは「王様は裸だ」と口にしてしまった。いかにも子どものやりそうなことだ。だが、こんな子どもにかっとなって手を上げたとあってはマダムこそ評判を落とすだろう。
 周囲に毒を吐いて回る彼女には確かに意地悪な魔女の役がふさわしい。彼女を知る皆もきっと同意してくれる。但し本人に面と向かってそう言えるのはこの勇敢なロビンくらいのものだ。ずいぶん前に真っ赤になって半泣きで逃げ出した少年の僕に教えてあげたい。君にはいつか素敵なジャンヌ・ダルクが遣わされるよって。
 
 ロビンが額を僕の肩に乗せた。
「フライディが王子だって分かった後で、色んなところで色んなこと書かれてたよ。しょっちゅう恋人が変わるとか、女の人が好きだとか」
「男の人が好きだったら君は困るだろ」
 僕がまたそう言って笑ったら、ロビンがむっとした声を出した。
「どうしてフライディはいつもそうやってふざけるの。ちゃんと私の話を聞いて」
「ごめん、もうふざけないよ」
 僕はそう言って、できるだけ真面目そうな顔をした。まだ殴り返すロビンの幻が目に浮かんでは笑い出しそうだったけど何とか堪えた。
「ああいう人、たくさんいるの?」
「真実っていうのは噂よりも伝わりにくいものだよ。これからはそう思ってにっこり笑ってやりすごして。君の頬を犠牲にするほどの価値はない」
「でも、本当に本当の恋人だった人もたくさんいるんでしょう?」
「僕の悲しい失恋の数々をそんな風に数え上げたくはないな」
「失恋?」
 ロビンが顔を上げた。僕はにっこりと微笑みかけて答えた。
「僕の評判は『理想の恋人』であって『理想の夫』じゃないからね。短期間付き合うにはいいけど、議会の承認を得ないとできないような結婚にあまり魅力はないらしいよ。君も知ってる通り積極的な女性に囲まれる機会が多いから、誠実さを疑われることもあるしね」
 まあ全てがその範疇ではないが、中身によっては相手が誰だか分かるような理由もあるから、その辺は追及してほしくない。
「浮気したことは?」
 僕はやめた方がいいと分かっているのにどうしても誘惑に耐え切れず、申し訳なさそうな顔を作ってロビンに告白した。
「実は……一度だけ……婚約者がいるのに他の子にキスしたことが」
 虚をつかれたロビンが一瞬無表情になった。それから目を潤ませ僕にキスをねだるような唇を少し開き、それから我に返ったように真っ赤になって鋭く息を吸うと叫んだ。
「フライディの嘘つきっ!!」
「僕が嘘つきだって本当に思うのなら、最初から質問なんかしなきゃいいじゃないか」
 僕は少し拗ねたようにそう答えた。ロビンが更に声を大きくした。
「その嘘じゃなくてっ……ふざけないって言ったのにっ!」
 そう叫んで暴れるロビンを今度は笑いながら抱きしめた。
「ごめんね。僕にふざけるなって言うのは息をするなっていうのと同じだよ。この24年、聖職者のように過ごしてきたとは言わないけど、決まった相手のいる時に他の誰かと遊んだりはしてない」
……本当に?」
「まだ疑うの? 婚約解消まで君を口説かなかっただろう? 『なのにどうしてキスしたの』って追及はするなよ。僕自身も未だによく分からないんだから」
 ロビンが急におとなしくなった。
「そうなの?」
「うん。確かめようと思っていつも君にキスしてるんだけど。未だに分からない」
 ロビンが誘うように目を閉じ顎を上げた。唇と唇を重ねると、ロビンが僕にぴったりと身を寄せてくれた。僕は深い溜息をついてから言った。
「それで……許してくれる?」
「ふざけたこと?」
「それから……
 
end.(2009/05/01)
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時系列続き(並列含む) 番外編→S03◆お礼SS#003
(番外編を読まずに本編の続きを読む場合)本編→014◆入学初日
 
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