フライディと私シリーズ第九作
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(現代・外国・10代女×20代男/原稿用紙40枚)
※連作シリーズのためこの作品から読み始めるのはお勧めしません。シリーズ第一作→「フライディと私
 
【 I 】
 
プロローグ
「ただいま。はいお土産」
 キャットはそう言って寮のルームメイト、フィレンザに紙袋を差し出した。キャットとフィレンザがルームメイトになってちょうど一ヶ月経ったこの週末、キャットは初めて実家に戻り、フィレンザは寮の部屋で一人レポートに取り組んでいた。
「お土産? ありがとう」
 フィレンザは受け取った紙袋を笑顔で開きながら中を見た。次の瞬間に袋に顔を突っ込む勢いで覗き込んだ。
「フィレンザ、お家で食べてたパンが懐かしいって言ってたでしょ。お父さんに言ったら作り方知ってたから焼いて持ってきたの。まだあったかいでしょ?」
 そう言ったキャットは、フィレンザの様子をいぶかしんで声をかけた。
「フィレンザ?」
 フィレンザは袋を覗き込んだまましゃくりあげはじめ、やがてパンを机に置くと両手で顔を覆った。慌てたキャットはすぐにフィレンザのところへ飛んでいって、フィレンザを抱きしめた。
 涙の理由を聞き出して慰めを言うより無言の抱擁が役に立つことも多い。フィレンザはずいぶん長い間泣き続けたが、ようやく落ち着いてきたのを見計らってキャットが彼女に回した腕をほどいた。
「ありがとう……キャット、ありがとう。あなたって本当に天使だわ」
「いいえ、ただのパン屋の娘よ」
 キャットが澄ましてそう答えたのでフィレンザはようやくくすりと笑った。
 
1.
「レポートがうまくいかなくてへこんでたの。ちゃんと書けているのか不安になって、でも同じ講義を取ってる男の子たちとは親しくないし他に聞く人もいなくて。急に、私なんでこんなところに一人で来て勉強しようなんて思ったんだろうって思ってしまって。そしたらキャットがあんまり優しいから、何故だか分からないけど涙が出ちゃった」
 二人は仲良くフィレンザのベッドに並んで座り、キャットの焼いてきたパンをちぎって食べていた。同じ留学生同士とはいえ、キャットは車で二時間も走れば実家に帰れるし言葉の問題もない。フィレンザは飛行機に乗らないと帰れない距離だし、言葉の違う外国での留学だ。急に心が折れることもあるのだろう。今まで愚痴らしいものを口にしなかったフィレンザが思いがけず弱っている様子にキャットは胸を痛めた。しかしどうやらフィレンザはレポートのために食事もおろそかにしていたようで、お腹にパンが入るにつれ、元気も回復してきたようだった。
「すごくおいしいわ。キャットってパンを焼くのが上手なのね」
「よかった。元のパンを食べたことがないからこんな風でいいのかどうか心配だったんだけど。また焼いてくるね」
 キャットはさらりと答えた。父から「そんなパンを持っていかせたら店の恥になる」と何度もやりなおしをさせられた苦労はそのうち笑い話にできる時に言えばいい。キャットはちょうど必要な瞬間にフィレンザに届けられたことに大変満足していた。
 フィレンザが真面目な顔になって、キャットの手を取った。
「キャット、あなたはやっぱり天使よ。パンは神様からの贈り物だもの。あなたの親切は忘れない。もしあなたが助けを必要とする時は、私だけじゃなくディリヴォーリ一族が皆あなたの力になるわ」
 その大仰な口ぶりにキャットは驚いたが、すぐに笑顔で答えた。
「ありがとう。そんなに言ってもらえるほどのことじゃないし何もないのが一番だけど、フィレンザがそう言ってくれたことは私も忘れないわ。ねえ、ひとつお願いがあるんだけど!」
 不意にいいことを思いついたという顔でキャットが言った。
「あのね、今度お家から戻ってくる時でいいから、パン持って帰ってきてくれない? 私もフィレンザのお家のパンが食べてみたい」
 フィレンザがキャットの手を取ったまま、キャットの方に身を乗り出した。
「ええ、必ず。でもせっかくだったら家まで食べに来ない? 次のセメスターエンドでもいいし、夏休みだったら一週間でも二週間でも、あなたさえ良ければいつまででも」
「嬉しいけど、構わないの? お家の人に訊いてからの方がいいんじゃない?」
「構わないわよ。私の友達が遊びに来てくれるんだから皆もちろん大歓迎するわよ」
「じゃあ、ぜひ」
 キャットが答えるとフィレンザが歓声を上げてキャットを抱きしめて、頬に音を立ててキスをした。
「なんだかレポートもうまくいきそうな気がしてきた」
「よかった」
 
2.
 元気を取り戻したフィレンザに頼まれて、キャットはレポートを読み始めた。
「スペルや文法ミスはできる限りチェックしたんだけど、言い回しが不自然じゃないか心配で。書いてあることが正確に伝わるか不安なの」
「……ごめん。私じゃ力になれそうにない。読んでも書いてあることが分からない」
 キャットの言葉にフィレンザがまた泣き出しそうな顔になった。
「ちがうのっ、フィレンザのせいじゃなくて、私、理系じゃないしこういう文章読みなれてなくて」
 数学コンプレックスはスパルタな家庭教師にしごかれたおかげでだいぶ克服したものの、キャットは未だに理系の勉強が得意な方ではなかった。普段読み慣れない硬い専門的な文章、加えてレポートに書かれているテーマの概要を理解していないため、キャットは文節がどこにかかっているのかも読んでいるうちにこんがらがってしまった。
「知り合いに頼んでみようか? 数学が専門だから私よりマシだと思う……多分」
 危うげにそう付け足したキャットに、フィレンザがすがるような目をして頷いた。キャットが電話をしてからメールでレポートを送った。30分後には手を入れたレポートの半分が、更に30分後には残りの半分が戻ってきた。横から覗いてみてもキャットにはよく分からなかったが、フィレンザは一人でうめいたり頷いたりしながら戻ってきた文章と元の文章を比べて、レポートの原稿を直していった。
「何てお礼を言っていいか分からないわ。本当にありがとうって伝えて」
「うん、分かった」
 キャットはレポートを添削した『知り合い』がどんな人なのか訊かれたら、いったい何と答えようかと身構えていたが、フィレンザに追求されなくて済んだのでほっとした。二人はルームメイトとして仲良くやってはいたが、キャットはまだ交際している相手がいることも言っていなかった。
 キャットは色々と人に話しにくい事情を抱えていたので、最初に会った時からフィレンザの踏み込みすぎない態度が嬉しかったのだが、フィレンザ自身にもあまり踏み込まれたくない様子が見てとれたので、仲が良いわりにはお互いについて打ち明けあうことはまだなかった。でもいつも考え深げにゆっくりと話すフィレンザと一緒に過ごす穏やかな時間がキャットは好きだった。
(家に招待してくれるって言ってたのは、フィレンザがもっと内側に私を入れてもいいって思ってくれたってことかな。なんだか嬉しいな。それにお父さんがいつも言ってるとおりパン屋ってみんなに感謝される幸せな仕事なんだ。神様からの贈り物って言ってもらえて嬉しかったな。お父さんにも報告しなきゃ)
 そんなことをしみじみと考えながらキャットは微笑んだ。
 
3.
 次の日の昼。キャットは、頭の上を通り過ぎる母音の多い会話に一人だけ混じれず置き去りにされていた。
(なんだかみんな今にも歌いだしそう。何を言ってるのかは全然分からないけど)
 そんなことを思いながら、キャットはぼんやりとエスプレッソを飲み終えたデミカップの中を眺めた。
 
 レポートを無事提出したフィレンザが、お礼と言ってランチに誘ってくれたので、二人で大学近くのイタリア料理店に来たところだった。一階はメニューも値段もカジュアルなトラットリア、二階はやや高級なリストランテになっていて、まだ学生の二人はもちろんトラットリアの方に来たのだが。
 キャットとフィレンザがデザートまで食べ終えた頃、リストランテの方からスーツの二人連れが降りてきた。そのうちの一人はチップだった。お互いに気付いた時、チップは目を躍らせキャットは眉を上げた。もし大学構内で出会ってもハグやキスはもってのほか、人の大勢いるところでは呼び止めたりもしないでくれと、かなりつれないルールをキャットが設定していたが、この場所は大学構内ではないからそれが適用されるかどうか心配で、キャットは眉を上げたままチップの次の行動を見守った。
 
 連れを残して近づいてきたチップの姿に、キャットは一層眉を上げた。が、チップの目はキャットに一瞬微笑みかけたもののすぐに隣のフィレンザに移った。
「失礼。ドンナ・フィレンザ・ディリヴォーリでいらっしゃいますね? 以前に一度パーティーでお会いしたことがありますね」
「まあ覚えていて下さったんですか、殿下。光栄です」
 その会話を聞いて、キャットは目が飛び出しそうになった。が、そのキャットを置き去りにしてチップが連れにキャットの分からない言葉で呼びかけ、フィレンザを交えた三人は言葉を切り替えて先ほどから仲良く談笑をしていた。どうやらイタリア語らしかった。
 やがて、話の中で自分の名前が出た気がしたのでキャットが顔を上げた。皆が自分の方を見ていたので愛想笑いを浮かべてみた。皆が微笑み返してくれて、そしてまたお互いの会話に戻った。
 そろそろ戻らないと次の講義に間に合わない、そう思ったキャットは一人で先に戻ることにした。フィレンザがどうするのかは分からないが少なくとも自分がここにいる必要はないだろう、そう思ってフィレンザにだけ話しかけた。
「講義があるから先に戻るね」
「ごめんなさいね」
「ううん。それではお先に」
 微笑んで挨拶したキャットに皆がまた微笑み返した。チップが微笑みながらキャットにすばやく片目をつぶってみせたので、キャットの顔がぱっと明るくなった。
 
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