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みっつめの偶然シリーズ第二作
025◆偶然と必然 シリーズ目次
(恋愛・日本・20代女×30代男/原稿用紙17枚)
018◆みっつめの偶然 I II 」の続編です。前作を読んでからどうぞ。
 
 
「そっ……それで?」
 美穂がごくっと喉を鳴らした。そんなにおいしい話じゃないって最初に言っておけばよかった。
「それで終わりよ」
「おわりぃ?」
「うん」
 あの時――私は確かに運命を感じた。稲葉主任も同じように感じたと信じた。のに。
「あのおっさんは逃げたのよ、運命の出会いから」
「優子、怖いよその言い方」
 美穂にたしなめられたが、私の失望はこんな言葉では表せなかった。
 
「あ、しまった。タバコ忘れたわ」
 あの時主任は突然そう言って立ち上がり、じゃっ、と片手を上げて挨拶をすると私に背中を向けていなくなってしまったのだ。私の問いかけに答えもせずに。いくじなしっ、て後ろから叫んでやればよかった。
 
「どうしてなのかなぁ。なんで逃げるんだろ」
 溜息をついた。あれは昨日の早朝の出来事だった。一晩うつうつとした私は、最初にアーカイブサイトの捜し方を教えてくれた友人、美穂を呼び出してその顛末を報告したのだった。月曜日にまた主任に会う前に、誰かに話を聞いて欲しかった。美穂がもしつかまらなかったら街角に座る占い師さんのところにでもいって、今後について占ってもらおうかと思ったくらいだ。美穂が言った。
「いくつだっけ、その人」
「さんじゅう……いち」
「三十路過ぎかぁ。うーん、あんたがその勢いで『運命を感じた』って迫ったら逃げるかもしれないなぁ」
「どうしてよ」
「よーく考えてみな。その人にとってはいきなり訪ねてきた昔の彼女に部下との仲を疑われて、何でだろうなーって思って出かけたところで偶然その部下と会ったってだけの話でしょ。それだって近所に住んでるんだからむちゃくちゃ不自然でもないんでしょ」
「でも絶対主任だって何か感じてたよ」
 口を尖らせた私に向かって、美穂がなんだかお姉さんぶった顔をした。
「あんた、今の会社にいつまでいるつもり?」
「えっ、子どもが出来るまでは辞めないつもりだけど……わかんない」
「男の人はさ、定年までずっとその会社に勤めるんだよ、転職とかしなければ。自分の部下とどうにかなっちゃうとかって、そんなに簡単に考えられないんじゃない? だいたいその人フリーなの?」
「えっ」
 一度だけ入った主任の家には、女の人の気配はなかった。でもTakaさん(だと思っていた人)と過去に付き合っていたんだし、年齢的にも彼女がいてもおかしくはない。
「もてそうな感じの人じゃないよ」
「ってあんたが言っても説得力ないよ」
 私の負け惜しみのような一言に美穂が大うけした。笑いながらテーブルを叩き、フォークを落としてカフェの店内に派手な音を響かせた。
 
 翌日の朝。また一週間が始まった。前に座る主任はなぜか私と目を合わせないようにしていた。来期の行動計画の締め切りが近いので、資料のとりまとめが多くて主任から頼まれる仕事が多い日だった。主任はいちいちおどおどした様子で話しかけ、私は私でできるだけ短い返事で仕事を受けた。
「優子ちゃん、今日どうしたの? 具合でも悪い?」
 とうとう昼のちょっと前、隣の席に座る鈴木さんにそう訊かれてしまった。
「いえ」
 そっけなく答えたら、鈴木さんが妙に明るい声で言った。
「メシ外に行かない?」
「へっ?」
 営業マンの皆は外回りが多いから、基本的にお昼は外食だ。でも私は内勤だから普段は社内で同期の友達と一緒にご飯を食べている。
「二人でですか?」
「うん」
 断ろうにも、さっき具合は悪くないと返事をしてしまっている。鈴木さんに昼に誘われるなんて初めてだったけど、断りきれずに一緒にいくことになってしまった。
「何食う?」
「なんでも」
「じゃあ、ここ」
 鈴木さんが指したのは、会社近くのちょっとおしゃれなバーだった。会社に近すぎて今まで入ったことがなかった。
「何でも頼んで」
 そう言われて無難そうな定食を選び、メニューを閉じて周囲を見回した。黒っぽい内装でそれぞれ壁や植物で区切られた空間は、わいわい大人数で騒ぐよりは男女の二人連れが落ち着くようなつくりになっていた。悪いけど鈴木さんには似合わない感じの店だ。
「よく来るんですか、ここ」
「いや、初めて」
 そう言った鈴木さんも私と同じように周囲を見回しおわったところだった。鈴木さんはちょっと見さわやかでいかにも営業向きっていうタイプだから他の部の女の子にはこれで結構人気があるのだけど、ばたばたと落ち着きのないところとか、すぐ動揺するところとかが身近にいると目について、私的にはまったく恋愛対象にならない感じの人だ。
「どうしたんですか、今日は」
 もしかして鈴木さんが何か言いたいことがあるのかもしれないと思って、まず訊いてみた。
「実はさ、課長に言われたんだ。優子ちゃんの機嫌が悪そうだから、メシ食わせて機嫌直してもらえって」
 こういうことをストレートに言っちゃうのとか、営業マンとしてどうなのよ。思い切りへそを曲げた。
「私別に機嫌悪くないし。ランチで機嫌直したりしませんよ、何考えてるんですか課長は」
「俺に怒らないでよ」
「私は全然いつもと変わりませんよ。変なのは主任じゃないですか。おかしいと思いません、あの態度。おどおどして。目そらして」
 怒っていた筈なのに突然涙が出て驚いた。でも私よりももっと鈴木さんは驚いていた。
「なに、何? えっ、嘘。優子ちゃんと主任って付き合ってたの? やめてよ、俺そういうの苦手なんだよ」
 ほんとこの人って男としてもどうなのよ。これじゃもてないわ。そう思いながらもハンカチを取り出して横を向き、マスカラが落ちないようにそおっと目を押さえた。昼休みに鈴木さんと出かけて、マスカラの落ちた目で帰ったりしたら皆に何を誤解されるか分からない。
 結局私は定食が冷めるのもかまわずに、偶然見つけた絵から土曜の早朝までの出来事を全て鈴木さんに語った。鈴木さんは自分の頼んだランチをぱくぱくと食べながらうんうんと適当な相槌をうっていた。さっさと自分の分を食べ終わった鈴木さんが箸を置き、しょうもない感想を言った。
「そういうので運命感じちゃうとかって、なんか、女の子って感じだな」
 鈴木さんなんかに話すんじゃなかった。むっとながら自分の箸を取り上げ、冷めてしまった焼き魚を箸で割った。お茶を飲んだ鈴木さんが再び口を開いた。
「主任、彼女いないよ」
 箸が滑って魚がお盆に飛び出した。思わず見上げた鈴木さんの顔は笑っていた。微笑みというよりはもっとあけっぴろげな笑顔だった。
「運命とかそういうのは俺には分からないけど、ちゃんと聞かないとわかんないことってあるじゃん。言いたいことがあるならちゃんと言った方がいいよ。優子ちゃんは主任のことが好きなんでしょ?」
 いきなり直球がきた。なんというか――情緒がない。
「え、えーと」
「好きですでも、主任のこともっと知りたいでも、はっきり言っちゃえよ。でもとりあえず午後は普通に仕事してね、俺が課長に頼まれたから」
 本当に鈴木さんってもてなそうだ。
「鈴木さん、あんまりなんでもはっきり言い過ぎるのも恋愛的には問題あると思います。気をつけた方がいいですよ」
 決してずばずば言われて傷ついたお返しというわけではなく、ぜひひとこと言わせてもらおうとアドバイスした。すると鈴木さんは真っ赤になった。
「大丈夫。俺の彼女は俺の言うこと全然聞いてないから」
 彼女がいるというのは初耳だった。それはともかく、それって『大丈夫』って言うんだろうか?
 
 昼休みが終わると、鈴木さんはそのまま外出した。一人で戻って課長にお礼を言い、なんとか午後は愛想よく仕事をするように心がけた。受けた電話で今日は元気だねって取引先さんから誉められたくらいだ。何故か主任はいっそうおどおどしていたけど。
 定時が来て、机を片付けて席を立った。お先に失礼します、の挨拶に主任はようやくほっとした顔を見せた。心の中でぷちっと何かが切れる音がした。
 家に帰ってシャワーを浴びた。気分は決戦前のみそぎだ。それからもう一度化粧をして、いつものマスカラの上にウォータープルーフのマスカラを重ね塗りして、自転車の鍵を持って二階の自分の部屋から降りた。
「出かけるの? 夕飯もうすぐできるわよ」
「夕飯いらない」
「えーっ? 先に言いなさいよ」
 そう言って振り向いた母は何故か口を閉じた。もしかしたら私は話しかけられないほど固い表情をしていたのかもしれない。
 タクシーで一度行っただけだけど、多分大丈夫。そう思って自転車に乗り、主任の住むマンションまでひたすらペダルをこいだ。頭の中では自分を励ますように古い歌がくり返し流れていた。
 マンションの下で自転車を降りた。主任の部屋を見上げたけど、真っ暗だった。
 月曜日から飲みに行ったり、しないよね。
「優子ちゃん?」 
 肩が自分の意思ではなくびくんと跳ねた。振り返るとそこにコンビニのレジ袋を提げた稲葉主任が立っていた。主任はしまったというような顔をした。思わず名前を呼んでしまったけど、本当は声なんかかけなきゃよかったというような。
「絵を、見せてもらえますか」
 口から飛び出したのは苦し紛れの言い訳だった。震えを止めようと体に力を入れた。
「ああ」
 ああいいよという意味なのか、ああそうだったのかという意味なのか、ただ口から出た音なのか、なんだか気の抜けた返事をして主任が頷いた。私は道端に自転車を止めて、主任の後についてマンションのエントランスを抜けた。
「どうぞ」
 主任は黙って玄関を開け、先に立って入り、あのアトリエ部屋のドアを開いてそう言った。私が入ると、後ろでドアが閉まった。
 嫌われちゃったかな。
 嫌われて当然だよな。押しかけたりして。
 へなへなとその場に座り込んだ。鈴木さんが言うみたいに簡単に何でも口にできたらいいのに。やっぱり運命なんかじゃ全然ないのかもしれない。
 床の上に何枚もの画用紙が散らばっていた。ただ散らかしたというよりは乾かすために広げたものじゃないかと思うけど、何枚も何枚も、あの青のヴァリエーションが、まるで水面を切り取ってきたように広がっていた。青い水面を泳いでいるような気持ちがした。
 
 運命じゃなくても、嫌われてたとしても。私はやっぱりこの絵が、この青が好きだ。私がそう思うのは誰にも止められない。私は稲葉崇史という人のことをぜんぜん知らない。でもあの人の心の中にこれと同じ青があるなら、やっぱり私はあの人が好きだ。
 
 カチッと音がしてドアが開いた。着替えた稲葉主任は片手に缶ビールを持っていた。
「ビール飲む?」
「好きです」
 するっと口から出た。ここに来るまでは運命とか偶然とか、そういうものから逃げる主任を問い詰めようと思っていた。でもこの人が好きだっていう私の気持ちは運命も偶然も関係なくただ私の心の中にある。絵を見てそれが分かった。
 
「よかった、ここで飲む?」
 また逃げる気らしい。でもいい。逃げたいなら逃げればいい。私は立ち上がり、主任に向かい合った。
「ビールのことじゃないです。稲葉崇史さんが好きです」
 いなばたかしさん、っていう響きが何だか嬉しくて笑いながら繰り返した。
「稲葉崇史さんのこと、もっと知りたいです」
「ただのおっさんだよ」
「ただのおっさんじゃありません。絵をかくおっさんです」
 私がきっぱりと答えると、主任は時間を稼ぐようにビールを開けて一気に飲んだ。でも飲み干せなくて段々下がってきた缶を途中で取り上げて、冷たい唇にキスをした。
 しばらくたってからやっと、腰に控えめな手が回ってきた。喉の奥でぐふふ、という妙な笑い声を上げてしまった。玉砕覚悟のウォータープルーフマスカラの重ね塗りは要らなかったみたいだ。
 
「ちょっとここに座って」
「はい」
 何故かキスの後、主任は床に正座した。私も言われるままに向かい合って座った。主任の顔が赤いのはビールのせいだけじゃない筈だ。
「あの池で会ってからずっと優子ちゃんのことが気になってるんだ」
「はい?」
「仕事がやりにくくなるんじゃないかとか色々考えて迷ってたけど、なんだか頭から離れなくなっちゃって。まともに顔が見られなくなって、思い切り仕事にも影響出てるんだけど――困ったな、」
 散々人をじらして逃げてるのかと思ったら迷ってたとか困ったとか、キスしておいて今更『気になってるんだ』とか、こんなに決断力のない人だったっけ。ふと目を落としたら主任の膝の上で握られた拳が小さく震えているのに気がついた。その片方を手にとった。
 この手があの絵を描いたんだ。こうやって震えたりもするんだ。不思議。
 両手で掴んだ主任の拳をしみじみと見ていたら、頭の上から声がかかった。
……なんで土曜日にあそこにいたの? なんで今日うちに来たの?」
 
 私はもう二週間も前から主任のことが好きだけど、主任はまだ三日目なんだ。迷っても仕方ないのかもしれない。私にとってはみっつめの偶然だったけど、主任にはそうじゃなかったんだ。
 
 目を上げて、迷子みたいな主任の瞳を見つめて、言い聞かせるようにして答えた。
「おとといのは偶然です。今日のは偶然じゃなくて必然です」
 私達がもう一度キスをするのも必然です。
 これは口に出さなくても必然的にそうなった。
 
end.(2009/10/01)
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