フライディと私シリーズ番外編その8
045◆今日よりいい日の、その先へ(直接ジャンプ IIIIIIIV) シリーズ目次 サイトトップ
(現代・外国/原稿用紙32枚)
※連作シリーズのためこの作品から読み始めるのはお勧めしません。
※シリーズ第一作「フライディと私」のサイドストーリーになります。
 
【 I 】
 
 キャットが戻ってきてからしばらくして、キャットとリーの二人で夕食を作る習慣ができた。リーが遅くなる日にはキャットが、昼間来ている通いの家政婦と一緒に夕飯の準備をするようになった。
 
 その日もキャットと一緒に食事の支度をしていたリーは、隣に立つ娘に声をかけようとし、ラジオのニュースに気を取られた娘の手が止まっているのに気付いた。
 ほんの数分の短いニュースが終わり、再び放送は元の音楽プログラムへ戻った。隣国の王室に関係したニュースは今日もなかった。娘は何事もなかったかのようにまたサラダを混ぜはじめた。リーは下ごしらえの済んだ肉を自分の憤りと一緒にオーブンへ収め、音高く扉を閉めた。
 
 『あれ』がもっとふさわしく振舞っていれば、きっとこんなことにはならなかったのだ。
 
 和やかな夕食が終わり、夫婦の寝室に入ってすぐに夫のジャックがリーに訊いた。
「リー、今日はどうだった?」
 二人はベーカーズというベーカリーを営んでいる。最初はジャックが友人とはじめた小さな店だったが、リーが手練手管を使って共同経営者に納まってから店は発展を続け、今では名の知られるベーカリーになっていた。店から企業になり従業員が増えてからも、小さな店だった頃と同じようにジャックは工房で、リーは事務所でこのベーカーズを守ってきたのだが、ここ数ヶ月リーは店の仕事を他のスタッフに任せたり家に持ち帰り、できるだけ娘を一人にしないようにしていた。ジャックの方は工房を持ち帰るわけにはいかなかったものの、娘を案じる気持ちは夫婦とも変わらなかった。
「いつも通りよ。キャットは相変わらず学校からまっすぐ帰ってきて食事の支度を手伝ってくれて、ニュースのたびに耳を澄ませていたわ」
「そうか」
 短い返事に夫の気持ちを察したリーが、そっと寄り添った。ジャックの方もリーの肩を抱いて言った。
「大丈夫。またそのうち今日よりいい日が回ってくる」
 
 ジャックはずっとそう言ってきた。店がもう立ち行かないだろうという日の夜も、娘が行方不明だと知らされた夜も。そしてその通り、すぐ明日とはいかなくてもいつか必ず今日よりいい日がやってくるのだ。だからリーは今回もジャックが言うとおりになることを疑わない。
 
 キャットが行方不明になった時に二人が絶望しきらなかったのは、その信念のためだけでなく慣れていたせいもあった。二人にとって、キャットが戻ってきたのはある意味で予定調和ともいえた。
 三歳の時、ナニーに連れられて遊びに行った公園でいなくなったのがキャットが行方不明になった最初だ。ナニーは必死にキャットの名前を呼び続けたが、生憎と周囲には迷子の猫を探し回っているとしか思われなかった。その頃のキャットの愛称がキャット(猫)またはキトゥン(子猫)だったから無理もない。
 それでも親切な誰かが一緒に近くの茂みを捜してくれて、猫ならぬキャットが二匹の子猫と一緒に茂みの中にいるのを見つけて腰を抜かしそうになった。
 二人が帰宅して事件を知ったリーは娘を厳しく叱った。どうして一人でいなくなったのかと訊かれたキャットは、子猫が見たかったのにナニーは汚くて嫌だと言ったからと答えた。リーを見上げたキャットの目はさらに雄弁だった。分かってもらえないのなら仕方がないが、ともかく自分はやりたいことができて満足だ、と。
 ――顔立ちで言えば母親似のはずなのに、その目つきは父親のジャックに恐ろしく似ていた。
 
 その時にリーが予感したとおり、キャットはそれからもたびたび行方不明騒ぎを起こした。たいていはごくつまらない理由、つまり帰り道に新しくできたお菓子屋さんの店のひさしが緑だったか青だったか確かめに行こうとしたとか、ツバメの巣を直すために泥を集めていたとかそういったものだったが、捜す方には何故いなくなるのか本人を見つけて問いただすまで分からない。キャットの方は何故いつも叱られるのかが分からない。
 
 例えばこうだ。
 
「だって暗くなったら緑か青か分からなくなっちゃうから、早く見に行かなくちゃいけなかったんだもの」
「もうすぐ暗くなる時間に子どもが一人で外に出てはいけないの」
「大人はいいのにどうして子どもはいけないの?」
「子どもは小さくて、車を運転する人から見えないからよ」
「ふうん、知らなかった」
 
 あるいはこんな風だった。
 
「早くツバメの巣を直してあげなくちゃいけないと思ったの」
「人が泥を塗っても巣は直せないのよ。ツバメは自分で巣を修理するの」
「でももしかしたら、泥がなくて直せないのかもしれないよ」
 
 どうしてこの娘は家でおとなしく過ごせないのかと、リーは何度思ったか分からない。本人にも何度も言った。しかしジャックと同じ目をした娘が、ナニーや母親に叱られたくらいで自分の決心を鈍らせることはない。何かが起こるたびに後手後手で何かを禁止するルールが増えていったが、キャットの行動はいつもその上をいった。
 リーはキャットを産んだ時、ジャックを子育てに参加させるつもりではなかった。パンと店のこと以外でジャックを煩わせてはいけないと思っていたからだ。しかしとうとうある日、ジャックは自分の家で何が起きているのかに気付いた。
 ジャックはキャットと二人だけでしばらく話をした。やがてリーを部屋に呼び戻し、二人に向かって言った。
「今までのルールは一度リセットしよう。キャット、お前はやりたいことをしていい。ただし、最後には説明しなくてはいけなのだから、後からではなく先にやりたいことを言いなさい。できるかどうか、危険なことならより安全な方法がないか、私達が一緒に考える。そうやっていくうちにお前も私達も、お互いの考えを理解できるだろう。それでどうだろう、リー」
「あなたがおっしゃるとおりにするわ、ジャック」
 最後にジャックがリーに指示したとおりナニーを替えると、キャットの脱走はぴたりと収まった。そのかわり新しいナニーとリーはキャットの小さな頭から次々と繰り出される『やりたいこと』の説得に、多くの言葉と時間を費やすことになった。そして二人の報われない努力の結果として、キャットはジャックに相談した方が何事もより簡単だと学習した。
 
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