フライディと私シリーズ番外編その8
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【 IV 】
 
 翌日の夜、帰ってきたジャックは言った。
「今日、チャールズ王子に会ったよ」
「ジャック、今なんて?」
「もう一度言おうか?」
「……いえ、続けて」
「王子はキャットを騒動に巻き込んで、名誉を傷つけたと詫びてくれた。それから、キャットが元気にしているか気にしていた」
「『この上もなく元気だ』って言った?」
 素早く訊いたリーにジャックが微笑んだ。
「リー。おいで」
 リーは少しためらってからジャックの傍に立った。ジャックはリーを促して一緒にソファに座り、リーの顔を見て笑った。
「リオーナ、リオンソー。そんな顔をするものじゃない」
「キャットのことなんかとっくに忘れてると思ったのに」
「そううまくはいかないようだよ」
 ジャックが話しながらリーを抱き寄せた。リーは素直に頭を夫の肩に乗せた。
「いつか周囲が落ち着いたら、キャットを招いて話がしたいと言っていた。『できれば好意以上のものを得られるように努力してもいいか』と訊かれたよ」
 ジャックの肩に頭を乗せていたリーが、大きく身じろぎをした。
「あなたが何て言ったか分かってるわ。『特に言うべきことはない』でしょ」
「不満か?」
 リーが勢いよく顔を上げた。
「もちろんよ。何か一つでも満足できる点があるっていうの? キャットにはずっと生まれや財産で人を判断してはいけない、大切なのはその人自身よって教えてきたのに、キャット自身にだって自分の気持ちが信頼や憧れじゃない本当の愛情かどうかまだ分かってないのに、よりによって王子なのよ? 試しに一度デートしてみたらって言う気にはとてもなれないわ。だいたい二十三なんて信頼するには若すぎるし十六の娘には大人すぎるわよ」
「君が私の店に初めて来た時も二十三だったよ」
「だからこそ言ってるのよ。ろくでもない年齢だわ」
 きつく眉根を寄せたリーをジャックが愛情を込めて見つめた。
「結果として正反対の道を進むようにみえるかもしれないが、キャットは君の教えをちゃんと身につけたように思うよ、リー」
 
 そして予告どおりある日キャットが王子に招かれ、その日の夕方、幸福に顔を輝かせて帰ってきた後でも、リーはまだ不満だらけだった。表立って反対する様子は見せなかったが王子のことはジャックに任せ、できる限り彼に会わずに済むように予定を引き伸ばした。が、とうとうある日ジャックから彼を家に招待すると言われて逃げられなくなった。
 
 玄関に来客を迎えに行ったジャックが、スーツ姿の男性を連れて応接間に戻ってきた。リーも嫌々ながら笑顔を作り入口まで来客を迎えに立った。
「チップ、こちらが妻のリオーナだ。リー、こちらは肩書きなしのチップだ」
「はじめまして、チップ。ようこそいらっしゃいました」
「お会いできて嬉しく思います、ミセス・ベーカー。何とお呼びすればいいですか?」
 微笑んだチップに、リーは驚いた顔をしてみせてからにこやかに答えた。
「皆さん『ミセス・ベーカー』とおっしゃいますけど、ミセスを使うのがお嫌いでしたらミズでも結構ですわ」
 チップの目が楽しそうに輝いた。リーはその顔を見ただけで、チップが思っていたとおりの人物であることを悟った。内心でもっとくみしやすい人物であればよかったのにとほぞを噛むリーに、チップが言った。
「キャットの話から想像していた通り、素晴らしいお母様ですね」
 
 つまづいた振りをしてハイヒールで踏みつけてやろうかしら、と一瞬考えてリーは思いとどまった。この男ならきっとうまくよけてから「そんなに緊張なさらないで下さい」とか何とか親切ぶった嫌味を言うに決まっている。ああ、窓から突き落としてやりたい。
 
 リーは足を踏む代わりに、極上の笑顔を浮かべてチップに尋ねた。
「もしあなたに会えたら訊きたいと思っていたんだけど、どうしてあなたが『フライディ』でキャットが『ロビン』なの? 後から来た方がフライディじゃないの?」
「彼女を『フライディ』なんて呼んだら、僕の居場所はここではなくあのあたりになったでしょうし」
 チップは窓の外、ちょうどリーが彼を突き落としてやりたいと思ったあたりの中空を指してそう言ってから、リーに負けない極上の笑顔を返した。
「実をいうとロビンソン・クルーソー役に飽き飽きしてたんです」
 リーはぐっと喉の奥の何かを飲み込んだ。
 ――そう、これだけはどうしても言わなくてはいけない。
「あなたが娘の面倒をみて下さったことに、まだお礼を申し上げていなかったわね」
「必要ありません。僕は彼女のフライディですから当然のことです」
 チップはあっさりそう言って話題を変えた。
「そういえば僕もお訊きしたいと思っていたことがあったんです。どうして彼女は『ロビンソン・クルーソー』を読んだことがなかったんですか?」
「冒険小説の類からは注意深く遠ざけておく必要があったからよ」 
 リーが重々しくそう告げた途端、チップが気持ちのいい笑い声を弾けさせた。
 
 その声を聞きながらリーは思った。そう、ジャックのような男性でないことは残念ではあるけれど、ジャックのような男性が二人といるはずがないからそれはやむを得ないだろう。少なくとも笑い声は気持ちがいい。もちろんジャックには敵わないが。
 そこまで考えて目を上げたところで、リーは自分を見守るジャックの視線に気づいた。ぎりぎり及第点よ、と目で語ると、ジャックが微笑んだ。
「では、キャットを呼んできますわ」
 リーはお茶の支度をしてからそう言って席を立った。ドアが閉まったとたんに中で笑い声が重なった。人が部屋を出たとたんに笑い出すなんて、と減点しかけたものの――自分の部屋で呼ばれるのを待っていたキャットの顔を見てそれを思いとどまった。
 恋人の初訪問に緊張して白い顔をした娘に、リーは励ますように微笑んで言った。
 
「キャット、応接間にいらっしゃい。あなたのフライディが来ているわ」
 
end.(2010/11/21)
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時系列続き(並列含む) 番外編→013◆茨姫
(番外編を読まずに本編の先を読む場合)本編→005◆『理想の恋人』と現実 
 
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