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フライディと私シリーズ第十九作
048◆Nothing Special(直接ジャンプ )
 
【 7 】
 
 実家は商売をしているらしいが、キャットはまだ学生だ。アドバイス料だけでなく全てにおいて、年上で王子でもある恋人とつりあうようにと努力するのは大変に違いない。無理が重なって負担になれば続けられなくなる。キャットは今の自分にできないことは正直に認め、努力を負担に感じないようにしている。
「チップは幸せね」
 アンのもらしたつぶやきに、キャットがまた口をとがらせた。
「チップのためじゃないよ。人のこと牛みたいとか言う人のためなんかに綺麗になろうと思わないよ」
 アンは思わずキャットの頭に手を伸ばしてなでていた。ベスが笑って言った。
「キャットって可愛いでしょう」
「本当に可愛いわ」
「キャット、チップが物足りなくなったらいつでも見限っていいのよ。私とアンは何があってもあなたの味方だからね」
 ベスが嬉しそうに、勝手にアンまで巻き込んで不穏な発言をした。キャットはきっぱりと答えた。
「ううん。離れないって約束したから」
 アンがベスを振り向いた。
「どうしましょう。ハグしたら駄目かしら」
「今は我慢した方がいいわ。記者達からは何があったのかって聞かれるだろうし、チップが騒ぐと面倒よ。パウダールームでこっそりハグするのは構わないと思う」
 自分を無視して交わされる会話にキャットがちょっとすねたが、今度三人だけで家の庭園でお茶会を開きましょうというアンの招待には顔を輝かせて頷いた。
 
 そんな会話から少し離れた場所で、王子達はグラスを片手にくつろいでいた。
「やっぱりキャットは世界一可愛いな」
 チップが満足げにそうつぶやくと、横にいたエドが無言で兄を見つめた。視線に気付いたチップが弟を見返した。
「なんだよ、エド。その可哀想なものを見るような目は」
「どうしてそんなことが言えるのか分からないよ」
「決まってるだろう。それが事実だからだよ」
 チップが冷ややかに言った。エドはあくまで同情的な態度を崩さなかった。
「チップ、思う分には自由だけど、人前で言わない方がいいよ。特にエリザベスがいる時には」
「エド、手袋を投げて欲しいのか? ほら、僕のだけじゃなくてキャットの手袋もあるぞ」
 チップが手袋を二組持ってエドの鼻先でひらひらと振った。むっとしたエドがどう言い返そうか迷っていたところへ、眉根を寄せたアートが割って入った。
「やめろ。女性の容姿に順番をつけたりするな」
「エドが主観と客観を一緒にするのがいけないのさ。非ユークリッド幾何学をユークリッド幾何学に当てはめるようなものじゃないか。アートだって心の中ではアンが一番だと思ってるんだろう?」
 チップのいきなりの問いかけに、アートが答えにつまった。
――別に」
「……そうだよな。ここで『うん』って言ったらアートじゃないよな」
「だから、そんなにおめでたい頭なのはチップだけだって」
 チップとエドの溜息まじりの反応に言い返す余裕は、その時のアートにはなかった。答えた瞬間、アンが身じろぎして赤くなったのに気付いてしまったからだった。
 
 閉会式の後のパーティーは、屋外ステージが設置されていた公園のホールで開かれた。アート達のような音楽祭の支援者に、実務を担当したスタッフ、それに演奏家やその家族などが入り混じってのにぎやかなものになった。ワルツの音楽が流れ出すと、幾人かがフロアの中心にすべり出た。様々な組み合わせの男女が、隣とぶつからないよう小さなステップで踊る姿はいかにも楽しげだった。
 アンの前を年配の男性と踊るキャットが通り過ぎた。チップは自分の胸にも届かない小さな少女をパートナーにしていたので、遠目では人形を踊らせているようだった。エドとベスが踊りながら微笑みあう様子に、アンは胸が温かくなった。
 アンはアートをちらりと見た。最初に一曲踊ってからは、アートの元に入れ代わり立ち代り挨拶に人が現れるので踊りの輪には加わっていない。王太子と直接話ができる機会がそうそうあるわけではないし、人々がこの機会にぜひと思うのは当然だった。
 
「レディ・アン。私を覚えておいででしょうか」
 目の前に立った男性の言葉に、アンはその顔を見上げた。懐かしい顔だった。
「マックス……マクシミリアン・ホフ?」
「お久しぶりです。ご婚約おめでとうございます。元クラスメイトのよしみで一曲踊って頂けませんか?」
 アンはアートの方を向いたが、アートの前に立った誰かの背中で視線を遮られた。断る理由もなかったので、アンはマックスの手を取った。
 ダンスを踊りながら、アンは十五年近く会っていなかったマックスとの共通の話題を探していた。左手の薬指に指輪を見つけて、それを会話のきっかけにした。
「いつご結婚されたの?」
「五年ほど前です」
「お子さんは?」
「四歳と一歳の男の子です」
「それは可愛らしいでしょうね」
「ありがとうございます」
 丁寧な口調を崩さないマックスに、アンが苦笑した。
「普通の喋り方になさって。クラス委員同士だったのだし」
 マックスがほっとしたように笑った。
「よかった。覚えていてくれたんだ」
 それは確かにあの頃アンが憧れたのと同じ笑顔だった。もっとも生え際の方はあの頃よりやや後退していたが。
「……妻の実家がインテリアショップで、そこの共同経営者になったんだ。最近、雑誌でもとりあげられるようになって。『スタイン・アンド・ホフ』っていうんだけど、聞いたことない?」
「あ……ごめんなさい。あまりそういったものは読まなくて。今度気をつけてみるわね」
「相変わらず真面目だね。店はホワイトブリッジの前だから、一度ぜひ寄ってくれ。待ってるよ」
 ダンスの最後に、そう言ってマックスはアンの両手を強く握った。
 
 踊りの輪を抜けて戻ったアンは自然に微笑んだ。運良くアートは一人だった。アートもアンに微笑んでくれた。
「飲み物は?」
「頂くわ」
 アートが手にしたグラスをアンに手渡した。アンはありがたく冷たい飲み物で喉をうるおした。
「少し外に出てみないか」
 アンが頷くと、アートがアンを人込みからかばうように腕を回し、外の芝生に面したドアを開けた。
 
 夜風が、ほてった頬に心地よかった。ホールからは楽しげな音楽が流れてきた。二人は芝生に思い思いに座ったり寝転がったりする人を避けながらゆっくりと散策した。いくつかの屋外灯の他は灯りもなく、ここにいるのが王太子と婚約者であることは近寄らなければ分からなかった。もちろん目立たない場所で警護官が見守っていることも知っていたから、他の恋人達のように固く抱き合ったりはしなかったけれど、アンは暗がりに二人でいる親密さを静かに味わっていた。
 アートが低い声でアンに訊いた。
「さっきの男は君の友人だったのか?」
「いいえ、ただのクラスメイトよ。結婚して子どもが二人いて、インテリアショップを経営しているんですって。ぜひ店に寄ってくれと言われたわ」
 アンは微笑んだ。
 
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