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SS#009(single stories)
※以前別サイトで発表した話の改稿です
 
■スロットルはパーシャル
 
 夕食の後、自分の部屋で膝を抱え目を閉じた。よみがえるのは昇降口の景色。今日の午後の、ほんの一瞬の記憶。もう何度リピートしたか分からない。
 お先、って言ってくれた声。驚いた私に向けてくれた一瞬の笑顔。雨の中に飛び出していった制服の背中。
 
 幸せすぎて胸が痛んだ。そしてその痛みは胸の奥で冷たい塊になってしこった。
 
 ――もうとっくに振られてるのにな、私。
 
「お風呂空いたよ。冷めないうちに早く入んなさい」
 廊下から声がしたと思ったら、パジャマで頭にタオルを巻いたままのお姉ちゃんはそのまま部屋に入ってきた。
「どうしたの」 
「お姉ちゃん……あのね」 
「うん?」 
「大事なことがある人って……やっぱり恋愛なんて邪魔なだけなのかな……」
 
 彼に振られたのはもう一年も前のことだ。二年生から進路別にクラスが分かれる、その前にと勇気を振り絞ってした告白はその場で断られた。
 理由もとても彼らしかった。行きたい大学がある、かなり無理目だけどどこまでできるか頑張りたいから、これから二年は勉強に打ち込みたい。だから、誰とも付き合わない――友達としてとか、メールだけならとか、そんな希望も一切持てないくらいにきっぱりと言い切られた。
 
 それはとても彼らしく。私が好きになったのは彼のそういうところで――だから小さな声で「応援してる」としか言えなかった。
 
「誰の話?」
「とっ、ともだちっ。友達の好きな人の話っ」 
 お姉ちゃんが不意に人差し指を1本立てた。注目、ってことだ。 
「フルスロットルって聞いたことある?」
「うん」
「気もちいいんだよぉ。グリップをぐーっと回して、スロットルワイヤーを引いて、スロットルバルブを全部開いて、混合気を思いっきりエンジンに送ってやるの。ぶわーっとスピードが出て、エンジンがいい音立てて、胸がどきどきするよ。坂道なんかだったら、そのまま空まで飛んでいけそうだと思うくらい」
「ちょっとお姉ちゃん、そんなの危ないんじゃないの?」
「いつも全開じゃ走れないよ、もちろん。時間にして何秒、何十秒……普通は何分も走れない」
「……よかった」
 ほっとした。お姉ちゃんは知らないだろうけど、家族はみんなお姉ちゃんがオートバイに乗ってること心配してるんだからね。
 お姉ちゃんはそんな私の心配にまるで気付かないみたいに続けた。
 
「でもオートバイってね。常にアクセルグリップ握ってないと止まっちゃう乗り物なんだよ。アクセル戻しすぎると、スピードが落ちて止まっちゃうの。ギア抜かないとエンジンだって止まっちゃう。オートバイは走ってないと転んじゃう乗り物だからさ、なるべく止まらないように走らなくちゃいけないんだ。じゃあどうする?」
「どうするの?」
「パーシャルで走るんだよ。全開でもなく全閉でもなく、一番その時の道路状況に合って、回転数とギアに合った速度を保つために、パーシャルでスロットルの開閉を調節して、止まらないように走り続けるの。それがぎくしゃくしないでできるのが、上手い乗り方なんだよ」
「そうなんだ」 
 そこでお姉ちゃんは私を見て、にやっと笑った。
 
「だからあんたの恋愛も、フルスロットルで走れないからってアクセル全部戻したら止まっちゃうからさ、パーシャルでいたらいいんだよ。エンジンが止まらないように回転数とギアを合わせて、周りの状況に合わせて走ってたら、いつか全開で走れる時がくるからさ。無理に止まらなくていいんじゃない?」
「そう……かなぁ」
「そうだよ。そのうちその人もあんたのこと見てくれるかもしれないじゃん。そしたらその時はフルスロットルで」
「ちょっと、お姉ちゃん! 友達の話だってば……!」
 
 お姉ちゃんの話にうっかり引き込まれていたら、いつの間にか思いっきり話題が変わっていた。どうやら私が誰の話をしていたかお姉ちゃんにはちゃんと分かっていたらしい。
 
「はいはい。友達の話、友達の話。友達とオートバイと恋愛の話」
「お姉ちゃん! 話聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。あんたの話聞いてたら冷えてきちゃったわ」
「お姉ちゃんが一人で喋ってたんじゃないっ!」
「そういうことにしておこうね。じゃあおやすみっ!」
 お姉ちゃんは部屋を出て行く最後までにぎやかだった。
 
 無理に止まらなくていいんじゃない?
 お姉ちゃんの言葉が、耳の奥でリピートされる。
 
 胸の真ん中にあった冷たいしこりは、お姉ちゃんのおしゃべりで溶けてどこかへいってしまったようだった。代わりに顔が火照ってしょうがない。
 お姉ちゃんの言うような日がくるとはとても信じられなかったけど、今日はもうお風呂に入って寝ることにした。
 あの笑顔が、どうか夢でも見られますように。
 
end.(2011/03/16)

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