052◆孤島のシンデレラ(3rd.セメスター I)
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2.
「フェリスのおばあちゃんのコレクションって、いつもすっごいレアものが出てくるわねぇ」
「そりゃあ、集めはじめてからの年数が違うもの。同じの持ってるからこれはキャットにあげるって」
そこに写っていたのは公式写真の甘さのある微笑みとは違う、軍人らしい精悍な顔つきのチップだった。キャットがリアルタイムでこの姿を目にしたことはない。
「ああ、もうこの姿は見られないのよねぇ。ちょっと残念」
「やっぱり制服っていいわよねぇ」
「制服着てたら誰でもいいんじゃない?」
「誰でもって訳じゃないのよ! 似合う人に限るのよっ」
皆が熱心に感想(とは言いがたいものまで)を口にする中、絵葉書を受け取ったキャットだけは無言で写真の中の恋人をじっと見つめていた。
「そうだよ」
キャットの小さなつぶやきを、隣にいたフェイスだけは耳にした。
「え?」
「軍人だったんだよ――今も予備中尉だけど」
細かいことだが一応過去形を言い直して、再びキャットは口をつぐんだ。しかしその目はフェリスが今朝最初に見た時とは違い、普段には及ばないもののいくらか輝きを取り戻していた。
詳しい事情は分からないまま、フェリスは自分が渡した『元気の素』がキャットの役に立ったことを知り、キャットと同じように無言のままにっこりした。
「今度いつ会える?」
その日の夜の電話で、キャットがそんなことを口にした。
とたんにチップの声はぐっと甘みと深みを増した。
「今夜これから、一緒に夕食をどう?」
「忙しいんでしょ?」
チップはいつもの声に戻って、キャットの心配を軽く笑い飛ばした。
「君と一緒でも一緒じゃなくても、食事くらいはとるよ。おいでよ。迎えを回す」
「いいよ、自分で運転して行く」
「それじゃ飲めないだろう? うちのコックががっかりするよ」
こんなことで言い合うより一刻も早くチップに会いに行こう、そう思ったキャットはそのままチップの提案を受け入れて電話を切り、急いで着替えを始めた。
最後のチェックに鏡を覗き込んだキャットは、自分の頬が赤くなっているのに気付いて、照れたように自分に向かって笑いかけた。
門を通った時に連絡を受けていたのだろう。玄関の外で待っていたチップの前で、キャットの乗った車が停まった。運転手がドアを開けに回ろうとするのを手で制止して、チップが後部座席のドアを開けてキャットを迎えた。
チップに手を取られた瞬間、キャットの指先から全身に熱がひろがった。指先に口づけたチップが顔を上げて微笑んだ。
「急に誘ったのに来てくれてありがとう。嬉しいよ」
「忙しいのに誘ってくれてありがとう」
チップはキャットの遠慮を無視することに決めたらしかった。
「社交辞令はこれくらいにして、食事にしよう。二人きりで」
最後のひとことを、チップが秘密めいた囁きではなく普段通りに告げたのが嬉しくて、差し出された肘に手をかけたキャットが一瞬だけチップの腕に頬を寄せた。
「わぁ。脂の香りが違う。森の香り」
切り分けられたメインのゲーム(狩猟肉)が目の前に置かれ、キャットが歓声を上げた。背の高いコック帽をかぶった王宮厨房チーフが目に喜色を浮かべたのをおかしそうに眺めながら、チップが手にしたグラスのワインを回した。
キャットは作り手側に近い立場だけあって、美味しい料理には感動と賞賛の言葉を惜しまなかった。直接、あるいはチップ経由で日頃からそれを耳にしているコック達が、キャットに好意を抱かない方がおかしい。
もちろんコック達もミス・ベーカーがミシュランの調査員のような舌を持っているとは思っていない。いないが、食べっぷりのいい彼女のために腕を振るうのを楽しみにしているのをチップは知っていたし、喜んでもいた。
ゲームと重厚な赤ワインとの絶妙なマリアージュを喜んだキャットは、初物の林檎で作られた素朴なノルマンディ風の焼き菓子ブールドロ(パイ皮で包んだ焼き林檎)の美味しさを味わった後でまたメインの話題に戻り、味わいを舌に甦らせてうっとりした。
「本当に美味しかった。私もともとゲーム好きだけど、あんなに美味しいのはチップのところでしか食べたことない」
王宮を『チップのところ』と言われたチップが楽しげに答えた。
「光栄だよ。そんなに喜んでもらえると、誘った甲斐がある。デザートもっと要る?」
「ううん」
ナプキンで口許を押さえたキャットが、首を横に振った。
「じゃあ話して」
チップが笑顔のまま言った。
「何を?」
動揺したキャットが訊きかえした。
「何もないのにあんな声で『今度いつ会える?』なんて訊くタイプじゃないだろ、君は。何もない時にもそう言ってくれたら、もちろん僕は嬉しいけどね。ちゃんと話すまで君を帰すつもりはないし、どうせ話すならさっさと言っちゃった方が早く楽になるよ」
それでもキャットはためらって、目の前のカップから紅茶を一口飲んで時間を稼いだ。キャットが紅茶を飲み込んで、カップをソーサーに戻して手を離すまでのほんの一瞬を狙って、チップが言った。
「『孤島のシンデレラ』」
キャットは危うく御用窯が国王一家のために焼いた手彩色のティーカップの取っ手を粉砕しそうになった。
「何でっ」
言葉に詰まったキャットの瞳を見つめ、チップはわざと深刻そうな顔をつくって言った。
「あんな濃厚な恋愛小説を読んで僕に会いたくなるなんて、恋人としては君をどうするべきかな」
「フライディも読んだのっ!?」
全てに傍点がつきそうな勢いでキャットが叫んだ。
チップが笑い出した。
「ああ、興味があったんでね。いくら美人でも頭がカボチャでできてるようなヒロインにはあまり魅力を感じなかったけど」
「そんなことじゃなくてっ!」
キャットがたかぶった感情のまま立ち上がり、一気にテーブルを回り込んでチップの横で拳を強く握りしめた。
「フライディは腹立たないのっ!?」
チップは穏やかに答えた。
「ロビン、あの本の最初にちゃんと書いてあっただろう? 『この本はフィクションで、いかなる人物や団体とも関連がありません』って」
「でもっ!」
その場で足でも踏み鳴らしそうな勢いのキャットを、チップは片腕で抱き寄せ、背中を撫でてなだめた。
「バディ。君が腹を立てるようなことじゃない。少なくとも僕は腹を立ててない。あれは僕じゃない」
穴の開いた風船のように、キャットの体から怒りが抜けていった。それでもやりきれない思いは残った。
キャットがチップの頭に腕を力なく回した。
「不敬罪で訴えればいいのに」
「不敬罪が最後に適用されたのは二百年前だよ」
そう言って軽く笑ったフライディは、キャットの腕の中で表情を改めた。
「君に不愉快な思いをさせることは、申し訳ないと思ってる」
「フライディ……フライディ、私は不愉快なんじゃなくて悔しいの。駄目王子みたいな書かれ方されて。あの『島での体験を公表しない』って誓約書さえなければ、私が代わりに本を書きたいくらいだよ。フライディはすごく頭が良くて何でも知ってて頼りになる人だったし、ちゃんとサバイバル訓練を受けた軍人だったし、本当に最高のバディなのに」
べそをかいた恋人を、チップが一瞬で自分の膝に乗せた。
「君にそう言ってもらえるのはどんな勲章よりも嬉しいよ。そう言ってもらえる人間として君に会えたことを、いつも神様に感謝してるんだ」
微笑んだチップがキャットの濡れた瞳を見つめた。二人とも本能的に次に自分がすべきことを理解していた。つまり、いったんお互いの抱擁をゆるめて唇の位置を調整し、改めて抱き合った。しっかりと。たっぷりと。
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