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064◆楽園までは何フィート(直接ジャンプ  1 2 3 4 5 6 )
 
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 往々にして現実というのは想像通りにはいかないものだ。
 
 エドはあきらめ顔でそう思いながら、周囲を嗅ぎまわる二匹のドーベルマンの注意を惹かないようただじっと堪えていた。
「ゴク、マゴク。もう匂いは覚えたな? そろそろ行くよ。ここにじっとしてると寒くてしょうがない」
 エドの兄、チップはにこやかに、しかし自分が上であることを明確にして犬たちに告げた。
 黙示録から貰った名前にふさわしい恐ろしげな顔つきのゴクとマゴクは、渋々といった様子でエドを通した。無駄吠えしないよう訓練された番犬は、表情やしぐさで自分たちがどう思っているかを言葉以上に明確に伝えてみせた。
 チップはリーダーより上でエドは下、しかしエドが今チップの庇護下にあることは認めた、と。
 
「やっぱり僕が一緒でよかっただろう?」
 得意げなチップの言葉に、エドもゴクとマゴクに負けないくらい渋々と同意した。
 
 エドは最初、子どもの頃からアンソニー伯父の屋敷に自由な出入りを認められている兄に、人目につかずに庭へ回るルートを相談するだけのつもりだった。しかしチップは一緒に来ると言い張っただけでなく、エドの計画に修正を加えた。エド自身の計画はベスの窓の下でセレナーデを捧げるだけだったが、チップはエドに、ベスの部屋のバルコニーまで登るよう勧めた。
 バルコニーに向かってプロポーズの言葉を叫んだりベスに一階まで降りてきてもらうより格好がつくし、邪魔者は僕が下で食い止めてやるよ。猫ならともかく犬はバイオリン好きかどうか分からないから――チップはそう言った。
「……庭に番犬が放してあるなら、先にそう言ってくれたらよかったのに」
「せっかくの計画を中止させたくなかったんだよ」
 確かに、庭にドーベルマンが放されると知っていたらエドは違う手段を考えていたかもしれない。さっき犬に嗅ぎまわられていた時は特に、王宮の音楽室にエリザベスを呼んでもよかったんじゃないかとひどく後悔した。
 しかしエドはもう庭の中にいた。ここまできて何事もなかったように帰るのも面白くない。
 
 と思ったエドはすぐにまた冷たい現実と向き合うことになった。
 それは冷たいだけでなく目の前に文字通り立ちふさがっていた。
 
 バルコニーまで続く石の外壁は、見上げると思いがけない高さまでまっすぐにそそり立ってみえた。ところどころに飛び出した出っ張りは装飾ではなく、砲弾の直撃から壁を守るためのものだが、これを手がかりと足場にすれば登れなくはないだろう。(庭に番犬を放す理由のひとつだ)
 でももし途中で指に怪我をしたら、セレナーデを捧げるのを中止して戻ることになるかもしれない。怪我をしなかったとしても、こんなところを登った後で指がちゃんと動かせるだろうか。
 
 難しい顔でバルコニーを見上げて考えていたエドに、チップが陽気に告げた。
「参考までに教えておくと、バルコニーの手すりまでは十三フィート(約四メートル)ある」
「じゅうさんっ!?」
 エドは思わず振り向いて訊きかえした。
「おいおい、縁起の悪い数だとか言い出すんじゃないだろうな?」
 真面目くさってそう言う兄を一発殴れたら、とエドは思った。
 しかし今チップを殴るわけにはいかなかった。第一に手に怪我をしたくなかったし、第二にチップを殴った途端にゴクとマゴクがあっという間に戻ってきてエドの喉首にとびかかるのはまず間違いなかったからだ。犬たちはあくまでチップの連れとしてエドを通したに過ぎないのだ。
 
 エドは覚悟を決め、この日のためにわざわざ用意したソフトケースのストラップを肩から斜めにかけ、大切な楽器を背中に回してからどこかにぶつけたりしないようにストラップを調整した。続いてかさばるバックパックを背負った。
「もし落ちそうになっても下手に楽器を守ろうとするなよ。お前が怪我でもしたら、宝物庫にあったその古い木のおもちゃをお前に貸した皆の夢見が悪くなるからな」
 本気なのかふざけているのか分からない忠告を聞き流しているうちに、エドはふとさっきの十三という数字を思い出した。
 何故チップは正確な高さを知っていたのか。
 エリザベスの元婚約者だったチップが。
 
 自分でも馬鹿げた考えだと思ったが、エドは登っている最中にこんなことで気を散らしたくなかった。
 エドは一度だけ振り向いて訊いた。
「チップも登ったことあるの?」
 
 人の悪そうな微笑を浮かべてチップが答えた。
「ああ。僕のラプンツェルが意地悪な魔女に閉じ込められていた時に、ゲストルームのバルコニーにね。余計な心配してないでさっさと登れよ」
 これからプロポーズしようとする恋人を意地悪な魔女呼ばわりされエドは憤然としたが、途中で手を滑らせてチップの助けが必要にならないとも限らない。
 いつか覚えてろよと思いながらも、少しだけすっきりした気持ちでエドは、忠告に従って登り始めた。
 
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