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067◆ただ一人(直接ジャンプ  1 2 3 )
 
 
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「チップと待ち合わせていたレストランのクロークでぶつかったのが、ニコラとの出会い。その瞬間この人が私の『ただ一人』だって分かったの。会ったのはその時が最初で、まだ彼の名前も何も知らなかったのに。ぼうっとしたままウェイティングバーにたどり着いてチップにそう言ったら、チップはすぐに私のピアスをひとつ外してタクシーに押し込んで、運転手にニコラの車を追うように言ってくれたの」
 ニコラが後を続けた。
「何も知らない僕は宿泊先のホテルに着いて、部屋に戻ろうとエレベーターに乗ったところで、閉まりかけたドアを押さえて乗り込んできた彼女に腕を掴まれたというわけです。見知らぬ美女から『あなたとぶつかった時に、祖母の形見のピアスを落としたみたいなんです。お願いですからポケットの中を捜してみて下さい』と懇願されては、とても断われなくてね」
「ポケットにピアスが?」
 キャットの疑問には、チップが笑いながら答えた。
「あるわけない。僕が持ってたんだから」
 ニコラが更に続けた。
「僕は当然そんなことは知りませんから、リンダが困っている姿を放っておけなくて(本当はその後どうすればいいか分からなくて困っていたようなんですが)ホテルのジュエラーから代わりのピアスを取り寄せてプレゼントしました。リンダからお礼にと次の日の夕食に誘われて……三週間の出張が終わるころには婚約指輪をプレゼントしていました。
 チャールズ王子から頂いた結婚祝いのジュエルボックスにリンダが失くしたはずのピアスが入っているのをみて、ようやく二度目の出会いが仕組まれたものだったと知ったわけです」
 その幸せそうな様子からみて、ニコラは仕組まれた出会いに不満はないらしかった。
「彼は外国に住んでいたから、チップがいなかったら二度と会えずに終わっていたかもしれないわ」
 そう言ってリンダはチップに感謝の笑みを向け、チップは舞台を終えた手品師のように一礼してみせた。
 キャットがニコラに訊いた。
「ニコラも会った時から……?」
 ニコラは苦笑した。
「僕はそういうことに鈍感らしくて。ぶつかったのが彼女だったことも、言われるまで気付きませんでしたから」
 今度はリンダが、期待に満ちた顔でキャットに訊いた。
「チップに会って何か感じなかった?」
 チップとキャットは目を合わせた。
 初めて会った時と同じようにチップがにっと笑った。キャットはふきだした。その後必死に逃げた自分を思い出すと、抑えようとすればするほど笑いがこみ上げた。
 笑いが止まらないキャットの代わりにチップがリンダに答えた。
「もちろん僕たちはお互いに『ただ一人』だって、一目会った時に気付いたよ」
 キャットは笑い涙をハンカチで押さえながら、頷いて同意した。チップは正しい。他に誰もいなかったのだ、間違えようがなかった。リンダとはちょっと違う意味でだけど。
 チップはキャットに回したままだった腕に力を込め、キャットもチップに身を寄せた。その時チップが小さなため息をついたのに気付いたのは、キャットだけだった。
「『ただ一人』に」
 そう言ってニコラがグラスを挙げると、泡が消えかけたグラスがそこに集まって涼しい音を奏でた。
 
 友人夫妻と一緒にパーティー会場に戻ったチップたちはまた知り合いに次々と声をかけられ、帰りの車に乗り込んでやっと二人きりに戻った。
 
「ロビン。リンダたちが来る前のことだけど」
 運転席に乗り込んだチップは、エンジンをかけずに助手席のキャットに顔を向けた。
「君の話をちゃんと聞きもせずに腹を立てたりして悪かった。許してくれる?」
 キャットは質問にこたえる代わりに、チップの顔をまっすぐ見て訊いた。
「リンダは『僕の歴代の彼女』?」
「違う」
 すぐに否定したチップは、かすかに微笑んで続けた。
「彼女未満の友人。長い付き合いでお互いに気心も知れてるし、付き合ってみようかって話になったこともあるけど」
 自分から訊いたとはいえ思いがけない言葉を聞かされて凍りついたキャットに、チップがそっと手を伸ばした。
「その最初のデートの日に、レストランの入口で彼女はニコラに出会ってね」
 凍りついた手にチップの手が触れたとたん、魔法が解けたようにキャットの体に熱が戻ってきた。と同時にチップの言葉を理解した。
「じゃあフライディ、振られちゃったの?」
「まあ、そういう見方もできるかもね」
「かわいそう」
 キャットの言葉が、チップ自身も忘れかけていた傷跡に触れた。
 あれはチップがひどい失恋をした直後、リンダは好きになれる人がみつからなくて悩んでいて、いるかどうかも分からない『ただ一人』を捜すよりもっと現実的になろうと二人が考えた時期だった。
 あの時にチップが感じたのはキャットが想像しているような失恋の痛みではなく、自分には奇跡が起こらないという諦念だった。
 
「……前に話したかもしれないけど、僕は恋人としてあまり魅力的ではないらしい」
「嘘でしょう?」
 その一言に込められたキャットの絶対的な信頼に、チップは傷跡をやさしく撫でる手を感じた。
「僕の外側を気に入った相手は中身が気に入らないし、僕の中身を気に入った相手は外側が気に入らない。僕には『ただ一人』なんていないんじゃないかとずっと思ってた」
「ここにいるよ」
 そういって頼もしく微笑んだ六歳年下の恋人に、傷跡を含めたチップの全てが包まれた。
 
 チップは静かに息を吐いた。
――君は僕を甘やかしすぎだ」
 どこか苦しげなチップのつぶやきにキャットは黙って腕を伸ばし、チップを抱きしめて唇を重ねた。
 他の車が通るたびにヘッドライトに照らされて車中は明るくなったが、今度こそは気を散らすこともなく二人はキスだけに集中した。
 
 唇が離れてずいぶんたってから、キャットが思い出したようにバッグを捜し、くしゃくしゃになった紙をチップに差し出した。
「読んで」
 チップは一瞬迷ってから、メモに目を落とした。チップはそこに繊細で美しい筆跡で書かれた単語を読み上げた。
「ホールウィート(全粒小麦粉)、サワークリーム、レモン、オリーブオイル……何のレシピ?」
 キャットはとびきりのしかめ面になって答えた。
「ジャスティンがお祖母さまから私にって預かった、そばかすに効くパックの作り方」
「子爵夫人から?」
 チップが一瞬あっけにとられた顔をして、それからくすくすと、やがて高らかに笑いだした。
「僕はこんなメモ一枚で何を血迷っていたんだろう。おばあちゃん秘伝のそばかすパックで」
 チップは、キャットが気付いていないであろう事実を伏せたままで自分とジャスティンの両方を笑った。
 メモの中身が何であろうと、あの時のジャスティンは気安さを通り越してキャットに接近しすぎていた。無意識に異性に惹きつけられる年頃とはいえ、ジャスティンはやりすぎた。チップの態度で本人がそれに気付いて顔色を失っていたから、これ以上の警告は必要ないだろう。余計なことを言ってキャットに変に意識させる必要もない。
 それにしてもそばかすパックとは。
 
 キャットは怒ったような口ぶりで続けたが、目は笑っていた。
「こんなのいらないって言ったのに、チップのせいで受け取るしかなくなったんだからね。一度しか話したことない人にまで心配されるほどそばかすが目立つとは思わなかったよ」
 口をとがらせたキャットの頬に、チップが指で触れた。
「僕は魅力的だと思うよ。でもそれが僕のせいなら、責任とらなくちゃな。材料を買って帰ろう」
「材料?」
「君はエステのつもりで目を閉じていればいい。僕に任せて」
 チップの指が肌をすべり、キャットは思わずうっとりと目を閉じた。
 が、次の瞬間にぱっと目を開けた。
「駄目っ、顔中白くなったとこなんか見せたくないっ!」
「ロビン。『ただ一人』はね、見た目に惑わされたりしないんだよ」
 チップは心をとろけさせる甘い声で言い、キャットは思わず頷きそうになった――そのチップの目にいたずらっぽい輝きさえなければ。
「絶対に嫌っ、私が嫌っ!」
 
 周囲の車はもうとっくにいなくなっていたが、二人が乗った車が動き出すまでにはまだまだ時間がかかりそうだった。
 
end.(2012/06/27)
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