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フライディと私シリーズ第二十四作
083◆マリッジ・グリーン (直接ジャンプ  1  2  3 
 
 
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8.
 そして――
 ある穏やかな冬の朝。メルシエの第四王子エドワード王子殿下と先王の王孫であるウィカイロム公爵令嬢エリザベス王女殿下の結婚式が厳かに執り行われた。
 花嫁は慣例通りに実家に迎えに来た馬車に乗って大聖堂へ向かった。
 ウィカイロム公爵、つまり先王の息子のアンソニー王子は臣籍に下るときに先王から王宮の一部だった建物を賜っており、ウィカイロム公爵家の屋敷も大聖堂も現在の王宮からは徒歩圏だ。おかげで警備の範囲が小さくて済み警備担当者と周辺住民を喜ばせたが、それをおいても今回は全般的にこじんまりとした式となった。国賓は招かず身内で……と言っても血縁者である他国の王族が多数出席はしたのだが、王太子の結婚とは違い取材の許可も絞り中継も入らない。元々いとこ同士である新郎と新婦を祝うために集まった共通の親戚と互いの友人は、くつろいだ雰囲気の中で二人の結婚を祝った。
 
 そんな中で特筆すべきはウェディングドレスのことだろう。
 迎えの馬車が着いた時、花嫁は侍女の手を借りブライズメイドを従えて、勢ぞろいした使用人と犬たちが並ぶ玄関から、フリルとレースとリボンに飾られたロココ調の白いドレスでヴェールを垂らして現れたのだ。
 
 馬車の様式があともう百年ほど古ければ完璧だったが、よほどの歴史好きでなければそこまで細かいことにはこだわらないだろう。
 今まで公式行事で見せてきた洗練された姿からシックなドレスを予想していた人々は、迎えの馬車に乗る王女の姿に我が目を疑った。世界中のゴスロリファンが喝采を挙げたことは想像に難くない。
 もちろんベスのウェデイングドレスは巷に氾濫する似非ロココ風とは一線を画している。現代のクチュリエが妙な自分流の解釈を加えずに作った最高級のドレスに、年式に合った本物のアンティーク(出所は王室の宝物殿)、コルセットで絞った両手で掴めるウェストからパニエで大きく膨らんだスカート。
 これがベスに似合わなければいったい他の誰に似合うんだ、と熱心に説得したのが祭壇の前で待つ新郎であることはこの時点ではまだごく一部の人しか知らない。人前で乙女趣味を明かすのを渋ったベスを口説き落としたひとことが、プロポーズした夜の君をもう一度見たいんだというエドの囁きだったことは今後も二人だけの秘密だ。
 そしてベスのブーケに大輪の温室咲きの薔薇だけではなく小さな茨が使われている理由はベスだけの秘密だった。
 この日ベスは、茨姫という古い名をブーケと共に投げ捨てて花嫁となった。
 
9.
 エドとベスの結婚式の夜、チップとキャットは手をつないで『九月三十日荘』に戻り、冬枯れの庭が風に枯枝を揺らすのを見ながらソファに並んで暖かいココアを飲んだ。
 今日の式についての話題をあれこれとりあげて笑ったり驚いたりした後、キャットが静かに訊いた。
「前に訊いたこと、もう一度訊いてもいい? ――どうしてベスに優しくしなかったの?」
 チップはそんなキャットを、慈しむように見てから答えた。
「今思えば、たぶん婚約を決定的にしたくなかったんだろうね。ひどい言い方だけど僕はベスより自分の兄弟達をより大事に思っていたんだろうな」
「婚約を断らなかったのもそうでしょ?」
 チップが、ココアの湯気で温まったキャットの頬を指でくすぐって抱き上げ、自分の膝に乗せた。
「いつの間に君はそんなに聡くなったのかな。……ああいう役は僕が一番得意だからね。婚約の話が出た時エドはまだ学生だったし」
 キャットはくすぐられた仕返しにチップの頬をつねった。
「フライディの馬鹿。自分は何でもできると思ってるんでしょう」
「僕の兄弟はそれぞれの分野では優秀だけど柔軟さに欠けてるんだ」
 キャットがようやく悟った、花一輪すら贈らなかった婚約の裏にあった事情。
 それは、ベスを徹底的に避けることでチップがエドにチャンスを残したのだということだった。
 
 チップはその時点でベスに嫌われていた。軍に入隊することが決まっていた。過去に複数の女性と噂になっていた。婚約が順調に進まないだけの理由がいくつもあった。
 しかしよく考えてみれば分かる。チップは嫌われているからというだけの理由で相手を避けたりしない。ましてやそれが婚約者で初恋の相手だったのならなおさらだ。チップがもしベスとの関係を本気で築こうと考えていたら徹底的につきまとって苛立たせ、からかい、褒めたたえてベスの心に入り込んでいただろう。もしチップがそうしていたら、事態はもっと複雑になっていたはずだ。
「当時はまさか王位継承順位といっしょに婚約者までスライドできるなんて思ってなかったけど、もし僕がベスと連れだって出掛けてた実績があったらあれほど簡単にはいかなかっただろうね。僕が行方不明になったと聞いて、アートは僕が自分から行方をくらませたんじゃないかって疑ったらしいから」
 とうそぶくチップが決して口にしないであろう事実にも、キャットは気付いていた。
 チップにとってもベスを避けるのは不本意だったのだ。キャットが責めた時に、あれが当時の僕の精一杯だった、チップはそう言ったではないか。
 悪魔っ子。王室のトリックスター。ホワイトエレファント。様々な言葉で自分を揶揄するチップをエドと一緒になって責めたことを、キャットは今ひどく後悔していた。
 
「失われた記憶の中で一番取り戻したいのは、海に落ちた時のことだな」
 チップはふざけた口調で言ったが、それが心からの言葉だとキャットには分かった。
 海上訓練中に事故で海に落ちたチップは、その前後の記憶を失っている。スポーツ選手にもよくある脳震盪による前向性健忘。一般的に欠けた記憶は戻らないとされている。
「自分があの時に何を考えたか思い出せたらと思うよ」
 キャットはチップに腕を回し、ぎゅっとしがみついて言った。
「大冒険の始まりだ、だよ」
 チップがキャットを見下ろしてにこりとした。
「大冒険の始まりだ、か。良い言葉だな」
 キャットの手から飲み終えたカップを取り上げ、テーブルに戻したチップがキャットを腕の中に抱きしめた。
「僕と冒険に出かけよう、バディ」
「いつでもいいよ、バディ」
「それでこそ僕のバディだ」
 
エピローグ
 
「おはようフライディ、眠そうだね」
 朝食を作っていたキャットは振り返り、けだるげに前髪をかきあげながらキッチンに現れた恋人に呼びかけた。
「ああ。夜中にサキュバスに襲われた」
「エクソシスト(悪魔祓い)呼んだら?」
 チップは小川のせせらぎのように心地よい恋人の声に聴き惚れ……意味を理解した瞬間に覚醒した。
「祓うなんて駄目だよ!」
「駄目なの?」
「駄目だ。僕は彼女が気にいってるんだ」
「そんなに?」
 あっという間に真後ろに移動したチップを、キャットが頭を後ろにそらして見上げた。
 可愛らしくも憎らしい口は細い月のような弧をえがき、瞳は星のように輝いている。
 そう。そこにあるのは明け方の空の、目を離すと薄れてしまう夜の名残だ。
「ロビン、今すぐベッドに戻るんだ」
 チップはキャットの両肩をぎゅっと掴みフライパンから引き離した。
「ベーコン」
「後で僕が豚一頭分焼いてあげるから」
「そんなに食べられないよ」
 くすくす笑うキャットの手からトングをとりあげたチップは、それを使って器用にガスの火を消した。
「僕とベーコンとどっちを選ぶ?」
「ベーコン」
「そんなことばかり言ってるとシーツの間に冷たいベーコンを詰め込むぞ」
 チップはトングをシンクに投げ込み、笑いながら逃げ出そうと身をくねらせる猫をしっかりとつかまえた。
 
 フライパンの中でベーコンがチリチリと不満を訴えたが、それを聞く耳はもうドアの向こうだった。
 ――いつもとだいたい同じ、何も変わったことの起こらない二人だけの休日が始まった。
 
end.(2014/01/25-02/02)
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