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085◆リアル志向で変身を
(現代・日本・20代女/原稿用紙約13枚/4000字/8分)
※3月8日はミモザの日だそうです。
※主人公の自分語りが長いので覚悟してお読みください。
 
 
 小説やドラマによく出てくるシーン。
 冴えないヒロインがお金持ちヒーローに無理やり変身させられて鏡の前で「これが私……!?」ってつぶやくの。
 
 あんなことは現実には起こらない。
 
 これまで二十九年の間、王子様どころか靴屋の小人ひとり私のところにはやってこなかった。二十九歳の誕生日の朝、目が覚めた時にこのまま「本当の私は誰も知らないの」って思いながら、とうとう本当の自分を一度も目にすることもなく死んでしまったらどうしようって急に不安になった。だから、冬のボーナスを全額引き出して、私が私を変身させることにした。
 
 まずプロのヘアメイクさんのパーソナルアドバイスを受けた。化粧水をつけるところからプロはとにかく丁寧。チークも刷毛につけてから少し落として肌にのせて、また刷毛につけてってすごく細かく仕上げていく。チークと目の下のハイライトでモテ顔つくるテクニックはさすがって思った。感心してたら「じゃあやってみて」って言われてひええってなったんだけどね。
 何年も前に免税店で買った海外ブランドの化粧品は処分することになった。変質もしてるし、ラメの細かさも昔と今は違うんだって。かわりに国産ブランドのクリスマスコフレ(毎年気になっては買わなかった)を買って、基礎から同じブランドに統一した。そのうちまた浮気しちゃうかもしれないけど、同じデザインのボトルが並んだメイク棚を見るたびにくふふってなる。
 髪もちょっと切ってパーマをかけた。ずっと前に、好きでもなんでもない職場の男の人が「パーマかけてる女って髪とかさないんだろ、だらしねー」って言ってたのを聞いてからずっとパーマに抵抗があったんだけど、よく考えたらパーマかけた方が全然おしゃれだった。どうしてあんな言葉気にしてたんだろ。
 レーザー脱毛にも行った。「輪ゴムでぱちんと弾いた程度の痛みです」って結構痛いってことだよねって涙目になったし、何週かおきにもうしばらく通わなくちゃいけないけど、これもどうしてもっと前にやらなかったんだろうって後悔した。
 それから「私がもしお金持ちヒーローだったらこんな下着つけてる女は嫌だろうな」と思うくたびれた下着を処分して、新しく買い揃えた。といっても会社帰りにジムに通ってるからセクシーではなくあくまで女らしい路線を狙ったつもり。
 冬服全部買い替え……はボーナスだけじゃさすがに無理なので、ショップのおしゃれで同世代くらい(ここ重要)の店員さんをみつけて、セールになってない梅春ものを店員さんセレクトで上下三組コーディネイトしてもらった。お財布からお札出すときはちょっと(いや、かなり)心拍数上がったけど、今の私はお金持ちヒーロー役だからこれくらいはした金よって心の中で自分をどやしつけた。
 あといい靴を一足買ってジェルネイルに行ったら、本当にボーナス全部なくなった。
 あはは。
 
 財布は軽くなったけど、私の心も同じくらい軽かった。
 なんだ、こんなことだったのかって。
 ヒーローなんていなくても、もっと前にやればできたじゃんって。
 
 これが私……!? じゃないよこれが私だよ。

 知り合いに二度見されるほどの変身じゃないけど、いままでさぼってたこと全部やってバージョンアップした私だ。

 鏡に映る自分(改)の笑顔。
 
 小説やドラマだったらきっと変身したとたんに異性からちやほやされたりするんだけど、そんなことは現実には起こらない。私の変身はリアル志向なのだ。職場の同性たちはもちろん気付いて「どうしたの?」って色々聞いたり突っ込んだりしてきたけど、陰でも何か言われてそうだけど、私の心の中のお金持ちヒーローは「他人の言葉なんて気にするな」って私に囁いたから気にしなかった。今はもう誰も何も言わない。
 あれから三か月たったけど、あいかわらず金曜夜の予定はジムしかないし、週末はすっぴんで家にひきこもって掃除や洗濯にいそしんでいる。
 
 毎週金曜日は翌日が休みだから、普段ジムで一時間過ごすところ二時間かけてマシンもひととおりやって、ストレッチにも時間をかける。
 変身のためにダイエットや整形まで手を出さずに済んだのは予算的にも心情的にも幸いだった。痩せすぎもせず太りすぎもせずほめられもせずな私。ワンサイズの服が着られる体型は維持したいけど、ジムに通ってるのはスタイルや健康のためというより、銭湯代わりっていうのが真実。ほら自宅のお風呂って掃除とかいろいろ手間じゃない? ジムのお風呂は大きいしジャグジーもサウナもあって、家よりずっと快適なんだ。
 サウナにも入ってリフレッシュした肌にフルメイクはもったいないと思っちゃうから、パウダーにアイブロウと口紅だけ塗ってジムを出る。
 この後で立ち飲みのバーに寄って一杯だけカクテルを飲むのが、ジムで頑張った自分へのご褒美だ。
 
 二十歳くらいの頃は、雰囲気のいいバーで一人でもお酒が飲める大人の女になりたいって思っていた。でも二十九の私はバーに長居すると男の人を誘ってると誤解されて値段交渉されちゃったりするという不愉快な事実を知ってるので、立ち飲みで一杯くいっとひっかけて帰るだけだ。
 
 階段を下りて地下のバーの扉を開けると、流れ出たサキソフォンの音が街の音を消した。
 カウンターの向こうに立つ、グレーのシャツに黒いベストを着たバーテンダーの男の子の「いらっしゃいませ」という言葉に会釈を返す。
 いつもならここで、私が口にするカクテルの名前がスイッチになってバーテンダーの男の子が棚のボトルをいくつか下ろして並べ、ちょっとしたショウタイムが始まる。
 でも今日はその前に、彼がカウンターの下から取り出した小さな花束を私に向かって差し出した。
「えっ、何ですか?」
 我ながら、もうちょっと愛想のいい訊き方はできないものか。
「ミモザです。イタリアやフランスでは三月八日は女性にミモザを贈る日だそうなので、一日早いですが」
 なんだー、お店からのサービスかー。
「……嬉しいです。ありがとう。じゃあせっかくなので今日はミモザをシャンパンでお願いします」
 ミモザはシャンパンとオレンジジュースをステアして作るカクテルだ。シャンパン・ベースのカクテルは贅沢でお高い。栓を抜いたシャンパンをそのままにしておくとガスが抜けてしまうから、その分が値段に上乗せされる。このお店では何も言わなければスパークリング・ワインを使うけど、言えば本来のレシピ通りシャンパンで作ってくれる。もちろん値段は跳ねあがるけど、花束をもらった分ちょっとは還元しなくちゃね。
 シャンパンは混ぜすぎるとガスが抜けるから、ステアはほんの少し。滑らかなバー・スプーンの動きを息をとめて見守ってしまう。
 グラスに注がれたミモザが、目の前のコースターに静かに置かれたところでやっと、溜めていた息をはいた。
 よくショートカクテルは三口で飲めと言うけど、ロングカクテルでも、特にこのミモザみたいに炭酸入り氷なしのカクテルをちびちび飲むのは興ざめだ。「ぐびぐび」とか「がばがば」とかの擬音がつかない程度に、素早くスマートに飲み干す。うーん、ほどよい甘さと炭酸の喉ごしがたまらない。
「ごちそうさま。会計お願いします」
「はい」
 いつもならここで金額を言われてお金を渡してお釣りをもらって、見送りの言葉を背にして店を出る。
 でも今日は、始まりも終わりもいつもとは違っていた。
「私、今日でこの店最後なんです」
「えっ、そうなの? 異動とか?」
 思わず訊いてから、会社じゃないんだから異動はないだろうよと自分にツッコミを入れる。
「いえ、就職です。今までありがとうございました。お客様に毎週カクテルをお作りするのは楽しみでした」
 就職が決まったってことは、ここはアルバイトだったのか。学生? フリーター?
 カクテル一杯分の時間で会話が弾むわけもなく、彼とはオーダー以外は天気の話くらいしかしなかったから名前すら知らない。
 
 そっか、そっかぁ。
 毎週金曜日に彼がシェイカー振ったりバー・スプーンをゆっくり引き上げる姿を見るの、けっこう楽しみだったんだけどな。
 
「私も作って頂くのが楽しみでした。メニューにないものを色々頼んじゃってごめんなさい」
「いらっしゃるたびに今日は何をご注文なさるのかと緊張しました」
 ううう、まさかプロのバーテンダーじゃなくてアルバイトだなんて思わなかったんだよう。
 メニューにないっていっても、幻のレシピとか難易度の高いもの頼んでたわけじゃないよ? ホット・バタード・ラムをお湯じゃなくてホットミルクに替えて下さいってお願いして「はい。ホット・バタード・ラム・カウですね」なんて返されたらつい色々頼みたくなっちゃうじゃない? 無茶振りしてたわけじゃないよ? しっかり差額も清算されてたよ?
 
 恐縮する私を見る彼の目は笑っている。
「そういう色々な思いを込めたミモザです」
「はい、戒めとして部屋に飾らせて頂きます」
 彼が何か言いたげな顔をした、けれど私の背後で扉が開いて彼は新しく来たお客さんに視線を移す。
「いらっしゃいませ」
「じゃあ、お元気で」
 一言残してきびすを返し、新しいお客さんと入れ違いに店を出た。
 
 こうして花束を手に帰宅した私ですが。
 花束を水に入れようとラッピングペーパーを外してあらびっくり。
 なんですかこの連絡先つきのメッセージは。
 私の変身はリアル志向じゃなかったの?
 
 ――いつも美味しそうに飲んで、さっといなくなって。どんな人なんだろうって思ってました。
 ――最近お綺麗になったので少し焦ってます。
 
 なあんて書かれてるのみたら顔がゆるんじゃうじゃないの。気持ち良いじゃないの。
 初めて知った彼の名前。
 できれば生年月日も書いておいて欲しかった。
 
 けど。別に結婚してくれって言われてるわけじゃないんだし。
 ここは前に出る場面じゃないでしょうか。
 大きくひとつ深呼吸してからジェルネイルに彩られた手をスマホに伸ばし、十一桁の番号をタップする――
 
end.(2014/03/08)
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