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086◆召喚士クレインの日常
(西洋風ファンタジー/原稿用紙約25枚/9000字/18分)
※一瞬だけグロあり注意
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1.フクロウとヘビ
 
「いたいた、クレインさん」
「あー……おはようございます」
「何言ってんのよ、もう昼の鐘はとっくに過ぎてるよ。それよりちょっと頼みがあるんだけどさあ」
 
 ショプロンのおばちゃんはこの町内の顔役だ。
 おばちゃん曰く、まっとうな商売もせず昼まで寝ている俺のようなよそ者がご近所とうまくやっていくためにはたまに役に立っている姿を見せた方がいいそうで、おばちゃんは自分の元に集まるご近所の悩みごとと俺の特技をマッチングさせてはこうして時々仕事を紹介してくれる。
 正直、ありがた迷惑と言えなくもない。
 
「はあ」
「共同倉庫にネズミが出たらしいんだよ。あんたんちのフクロウちょっと貸してくれないか? 前はネズミ避けにネコ飼ってたんだけど、さかりがついて逃げ出してさ。まったく女の尻はそんなにいいもんかねぇ」
 おばちゃんは下町のおばちゃんらしく、下品な話題を好む。
「……ネコと違ってフクロウは垂れ流しですよ。倉庫の中にフンとか吐きだしたネズミの死骸とか落ちてたら町内会の皆さん嫌がるんじゃないですか?」
「おや、そうかね? じゃあどうしようか」
 おばちゃんはひとりごとのように言ったが、さりげなく丸投げの響きが含まれていた。
「……ヘビなら消化に時間がかかるからフンも少ない。ヘビにしましょう」
「さすがだね、クレインさんは」
 おばちゃんがにこりと笑う。若い頃はモテたのよという自慢話もまんざら嘘ではなさそうだと、この笑顔をみるといつも思う。
 
 俺は召喚士だ。魔石を媒体に、命あるものと契約を結んで召喚するのが俺のなりわい(ショプロンのおばちゃんに言わせれば特技)だ。
 戦の絶えない生国を離れてこの国に移り住んだのは二年ほど前のこと。
 はじめは戦のない毎日があまりに平和すぎて何をしていいか分からないでいたが、王都の壁の外にひろがる下町で孤独でいることがどんなに難しいか、俺はすぐに知ることになった。主にショプロンのおばちゃんのせいで。
 
「ネズミを食え」
 あまり大きなヘビだと魔石代で足がでるので、小さなヘビを二匹召喚して倉庫に放した。
 
 そうしたら三日目にフンをしたらしく、おばちゃんに話が違うと怒られた。ごめんなさい。
 
 新しいネコがもらわれてきたところで、ヘビを元いた場所に召還した。
 謝礼のほとんどが魔石代で消えたが、ヘビたちは死なない限りまた召喚できるので損はしていない。
 戦のために揃えた毒ヘビと違って、今回召喚したヘビは毒がないのでこういう仕事には使いやすい。また出番もあるだろう。町内会の頼まれ仕事のおかげで小物の召喚獣がずいぶん増えた。
 
2.マッドゴーレム
 
 ショプロンのおばちゃんに堀浚ほりさらいの日だからいつもの奴を頼むと言われ、マッドゴーレムを召喚した。
 マッドゴーレムは魔物の一種だがどういう生態なのかはっきりしていない。全体でひとつの生き物なのか泥を操る小さな生き物の群体なのか、何を食べているのか。
 しかし召喚できるから生きていることは間違いない。
 
 古いジョークで、浮気の現場に踏み込まれた召喚士が「服は命がないので中身しか召喚できなかった」と言い張るという話がある。じゃあどうしてこの女は靴を履いているんだ、と奥さんが詰め寄ると浮気相手が「靴は女の命ですもの」というオチ。
 
「今日の日没までショプロンさんの命令を聞け。日が落ちたら戻れ」
 マッドゴーレムに命令すると、俺は一人で家に戻ってベッドに横になる。
 堀の底から現れる泥臭い魚達を濃い味で煮て、それをつまみに酒を飲むのが堀浚いの日の楽しみらしいが、座ったきり何もせずに半日近所の噂話を聞いていても仕方ない。ゴーレムの提供で十分地域貢献はできていると思う。
 あんたがここに住むようになってから堀浚いで腰を痛めずに済むようになったよ、召喚士っていうのは便利なもんだねぇと屈託なく言うご近所に持ち上げられるのは居心地が悪くて困る。
 召喚士っていうのはそんなにいいもんじゃない。
 
 そして正確に言えば――命ないもの全てが召喚できないわけではない。
 戦のとき呼び戻した召喚獣が人の一部らしきものと服の切れ端をくわえていたことがある。くわえているものは召喚獣の一部と見做されるらしい。この体験を機に召喚獣の身体の外側と内側の環境について一本論文も書いた。
 というといかにも冷静冷徹に対応したかのように聞こえるかもしれないが、俺はこの後しばらく飯も食えずろくに眠れなくなった。(論文は不眠症の副産物だ)自分が召喚獣を使って人を殺していることを理屈では知っていたが、現実は想像以上にカラフルでリアルだった。
 それから一年近く肉が食えなかったが、今ではその時の景色も色を失って日々の向こうへ押しやられている。
 あれはあれ、もう過ぎたことだ。ただ、今でも生の肉は血の匂いがしてあまり好きじゃない。
 
 いつの間にかうとうとしていたようだ。
 夕の鐘で目を覚ました。西日の熱で部屋が暑い。
 外で物音がした。狭い部屋を横切って入口の戸を開けると、マッドゴーレムの姿があった。頭(があるとすれば)の上にカゴを載せている。
 俺はカゴを取ってマッドゴーレムを召還させた。
「……要らないって言ったのになぁ」
 カゴの中には魚の煮込みと酒の筒。おばちゃんが「ちゃんとご主人に持って帰んのよ」とゴーレムに言い聞かせている姿が想像できる。
 今の俺の現実は、このうるさくておせっかいな町にある。
 寝床に座って酒を飲みながら味の濃い魚の煮込みを食ってまた寝た。
 
 翌朝起きたら口の中がべたべたしていた。安い酒はこれが困る。
 
3.召喚士ギルドと縁談
 
 召喚士のレッゲルトがギルドの組合費を回収に来た。
「クレインさん、たまには召喚士ギルドにも顔を出して下さいよ」
「嫌だよ、遠いんだよあそこ」
「こんな下町に住んでるからですよ」
「上町は汚ない格好で歩いてるとじろじろ見られて居心地悪いんだよ」
 のらりくらりと言い逃れているうちに、あきらめたレッゲルトは溜息と一緒に会報を差し出した。
「また来ますね」
「おう、悪かったな。次は水くらい出すぞ」
 レッゲルトを送り出し、扉を閉めてから寝床に座ってごろんと後ろに倒れ、床についていた足を引き上げる。ごわごわした安物の敷布はこういうことをしても気を遣わなくていいから好きだ。
 
 俺がこの国に来た頃はまだ、他国からの移民は王都の壁の中の上町に許可なく入れなかった。このあたりに居ついてしばらく経ってから、ショプロンのおばちゃんが保証人になってくれてやっと壁の向こうの召喚士ギルドで登録をした時も最初はそっけなくあしらわれた。
 召喚獣を見て手のひらを返されたことを根に持ってるわけじゃない。人間っていうのはそういうもんだと思ってる。平和な国に見慣れない姿、聞きなれない言葉のよそ者が押し寄せてきた不安も理解できるし。
 ただギルドハウスにたむろする召喚用の魔石をじゃらじゃら首から下げた小奇麗な奴らを見ると背中がむずむずするだけだ。
 俺がギルドに属しているのは魔石を買い付けるのに便利だからだ。災害時の非常招集はちゃんと呼び出しに応じて組合員としての義務も果たしている。それ以上に連中と仲良くする理由はない。
 
 召喚獣が契約の時にギルドの組合章を見せろって言うわけじゃないしな。
 そんな獣の姿を想像して、俺は一人でにやりとした。
 
 何か食うものを調達しようと通りをぶらついていたら、ショプロンのおばちゃんに見つかって遠くから大声で呼ばれた。
「クレインさん。ちょっと、こっちいらっしゃいよ」
「はあ」
 断るのも面倒なので、呼ばれるがままおばちゃんたちの輪に近づいた。
「ねえ、見てこの子。酒屋のお嫁さんのピアさんいるでしょ、あのピアさんとこに遊びに来てる妹さんなんだって。あんたの嫁さんにどうかね」
 どうかねと言われても、見ず知らずの相手に良いも悪いもない。
 ついでに言えば、嫁さんが欲しいとも思ってないし世話を頼んだ覚えもない。
「家事とかは得意な召喚?で済んでも男なんだからあっちの面倒みてくれる相手が要るだろう? そういうのは獣ってわけいかないだろう」
 あけすけなもの言いに思わず顔をしかめる。獣って、いったいおばちゃんは召喚獣を何だと思っているんだ。ピアさんの妹も顔を赤くして下を向いてしまった。
「俺にはもったいないお話なので、鍛冶屋のコバックさんにどうでしょう」
 俺はためらいなく通りの向こうにある鍛冶屋を指し、面倒をコバックさんに押し付けることにした。鍛冶屋であることと独身であることしか知らないが、それだけ分かっていれば十分だ。多分俺より働き者だし。
「コバック、コバックねえ。妹さん、鍛冶屋の嫁さんになるのはどう思う?」
 おばちゃんの矛先が逸れたこの隙に、さっさと逃げ出すことにした。やっぱり誰でも良かったんじゃねぇか。
 
 下町は上町より過ごしやすいが、それも時と場合による。
 
4.棚卸たなおろし
 
 しばらく顔を見ていない獣を呼び出すため、馬を召喚して町を離れた。
 この馬は軍にいた頃に召喚獣として契約して使っていたものだが、その後しばらくして呼び出してみたら何があったんだか馬具の跡もすっかり消えて野生馬になっていた。
 裸馬だが契約があるので召喚主の俺を振り落とすようなやんちゃはしない。ただ尻が痛くなるのが難。脱いだマントを背中に敷いて座ると、蹄鉄のない蹄の跡を残しながら馬はとことこと歩き出した。
 
 崖に囲まれた空き地に辿りついたところで、尻をさすりながら下馬した。
 これから呼ぶ獣の中には他の獣を脅かすものがいる。元々が軍馬だったこの馬はなんとか逃げずに踏みとどまれるが、汗をだらだら流されると見ているこっちが暑苦しいのでさっさと召還した。
 
 見張りに風妖ふうようを飛ばし辺りに人がいないことを確認してから服の隠しに入れた魔石を探り、手の中に握り込んで召喚獣を呼び出した。呼び出せた石は反対の隠しに移し、呼び出せなかった石は足元に捨てる。
 魔石の契約があっても、病気や怪我、または狩られることで召喚獣たちは俺の知らないところで命を落とす。ときどきこうやって棚卸をして確認しておかないと、いざという時に強力な獣を呼んだのに来なかったなんてことが起こり得る。
 戦に駆り出されていた頃は毎晩これをやっていた。
 どんな魔石をいくつ持っているかで召喚士の腕が量られる。手の内を晒すことにもなるので周囲の警戒は欠かせなかった。
 この国で魔石を見せびらかして歩く召喚士達を見て、ここは平和なんだなと思った。
 戦を離れて二年経つが、俺は未だに魔石を人目に晒す気にならない。
 
 最後に呼び出したのは俺のとっておき、火竜だ。
 召喚獣としての格は最上級、呼び出す場所を選ぶデカさも最大級。
 
 現れた火竜は、口に女を咥えていた。
 
5.火竜とにえ
 
「おい」
 思わず声をあげた俺。
 竜は咥えた女をぺいっと落とすと呼びかけに答えた。
「久方ぶりだな、我が主」
「挨拶なんかいらねーよ。それどうしたんだ」
「我がにえに届けられたのだ」
「食うのかよっ!」
「食ってはならぬとは言われておらぬ」
 竜は知性が高く、こういう歪んだユーモアの持ち主が多い。
「それを届けてきたのは誰なんだよ」
「知らん」
 火竜は人を食わない。火山の地熱を餌に育つのだ。
「お前、住処を変えたりしたのか?」
 契約で呼び出す時以外は自由な召喚獣の居場所は一定していない。
「前と同じ山にいる。ここのところ温いし居心地も良い」
 あー。ふもとの住人が竜に山を鎮めてもらおうとでも思ったか。
 無駄なことをと思ったが、地熱を食う竜がいないと火山が暴れやすくなるのは本当なので、火竜の機嫌をとること自体は間違ってない。差し出したもの、いや人は思い切り間違っているが。
 
「……とりあえず起こすか」
 意識を失って倒れた女の肩をつついて呼びかける。俺が論文にまとめたとおり、火竜がくわえていた服は無事だが足元は裸足だ。靴は女の命じゃなかったのか。
「おい、起きてくれ」
 何度かつつくと女はまつ毛を震わせて目を開けた。ぼんやりした表情からいきなり覚醒し、俺から視線を逸らして悲鳴を上げたので後ろを向くと、背後から火竜が一緒に覗き込んでいた。
「お前はちょっと離れてろ」
 竜を押しやり、女に向き直る。初めに思ったより若いようだ。
「あー、えーと、あんたを火竜の生贄いけにえに選んだのはどこのどいつだ?」
「わ、私は……あなたは……」
 怯えと混乱でまるで会話にならなかった。
「ここはあんたがいた国とは違う国だ。戻りたいならこいつと一緒に元の場所に戻してやる」
「駄目ですっ。私はにえに選ばれたのです。竜に身を捧げ――」
 身を捧げるというわりに、竜の顔を見て悲鳴を上げていたが。
「あいにくだがこの火竜は人を食わないし、俺の召喚獣だ」
「召喚獣……!? ではあなたがにえを求めたのですか」
「それも違う」
 苛立ちを隠して否定を重ねる。俺をどんな悪人だと思っているのか。
「竜も俺も人は食わない」
「食べない?」
「ひ と は く わ な い」
 馬鹿丁寧にそう言ってやると、女はほっとしたように小さく微笑み……再び気を失った。思わず舌打ちした。
 ああー、この女どうしよう。
 
 火竜のものを取り上げるのは気が進まないが、このまま放置したり元の場所に戻すのは更に気が進まない。
「こいつ俺がもらっていいか」
 消去法で俺が連れて帰るしかなさそうだ。
「それは命令か、我が主」
「命令じゃなきゃ駄目か?」
 火竜がじっと俺を見て、ぺろりと長い舌を出す。
 ぺろり。ぺろり。
 ぺろり。
「――ああああっ、もう分かったよ! こいつと交換でどうだ」
 俺は仕方なく隠しから金の鎖がついたギルドの組合章を取り出す。再発行に金と手間はかかるだろうが、これは火竜の好きな、火で鍛えた光り物だ。
「よかろう。巣に出入りする虫の一匹くらい、主にくれてやっても構わぬ」
「そう思うならタダでくれよ」
 俺の文句を無視して火竜は俺の手ごと鎖を口にくわえた。熱くてべたべたするものに挟まれた手を無理やり引き抜くと、鎖だけが火竜の口の中に残る。
 あー、どっかで手ぇ洗いてぇ。
 
「また変なところに隠してかすなよ」
「主も妙なものを食って腹を壊すなよ」
「食わねえよっ!」
 これ以上火竜に遊ばれてはたまらないので、早々に奴を召還した。
 
 足元に残された女を見やって溜息をつく。
 
6.大蛇と蛇と馬とにえ
 
 これが召喚獣だったら用がなければ放っておいて用のあるときだけ召喚すれば済むんだが、ここにこのまま放置したら女はほぼ間違いなく死ぬと思う。どこか人のいる場所へ連れていかないことにはどうしようもない。
 世話の必要がある生き物を拾うのは初めてだ。勝手が違ってとまどう。
 とりあえず住んでるのが下町で良かった。上町だったら門をくぐるのに一悶着あっただろう。
 あー、ギルドの組合章も何とかしないとな。あれがないと上町に入れないのに、再発行の手続きは上町まで行かないとできないという矛盾。面倒くせえ。
 
 意識のない女を乗せて裸馬に片手で掴まって帰るのはさすがに厳しいので、女が目を覚まさないことに賭けて大蛇を召喚し、背中に乗って途中まで戻る。蛇行するので進みが遅いのと他人に見られると騒がれそうなのが難だが、揺れが少ないのは助かる。
 人のいる場所に近づいてからは大蛇を召還し、綱代わりに召喚した蛇で女を馬に固定して町へと戻った。
 俺は馬と連れだって歩く。普段怠けている身には結構辛い。
 
 へろへろになって町まで戻ると早速ショプロンのおばちゃんに見つかった。
「あらクレインさん、どうしたの珍しいわね馬なんて連れて……あらっ、あらあらあらっ!」
 おばちゃんが大声を上げるから、周りに人が集まって来たじゃねーか。やめてくれよ。
「世話をする人を手配してくれませんか。金は俺が払います」
「とうとう嫁さんまで召喚しちゃったのかいクレインさん!!」
 人垣がどよめいた。俺は周囲の目を恐れて半目になった。
 話を聞いてくれ、おばちゃん。
 俺が召喚したんじゃない、召喚についてきただけなんだ。ほんの少し俺にも責任がある気がするけど、悪いのは火竜と、にえを差し出したふもとの住人だ。
  ……そんなこと言えるわけがない。
「ショプロンさん、よろしくお願いします」
 着せかけたマントごと女をおばちゃんに押し付け、俺は馬と蛇たちを召還して逃げるようにその場を立ち去った。
 
 あの女は行き倒れ、行き倒れ、俺とはもう関係ない。
 
 呪文のように心の中でそう繰り返す。
 
7.女
 
 関係なしとはいかなかった。
 翌朝さっそくショプロンのおばちゃんが俺の部屋の扉を叩いた。
 
「クレインさん。あの人が目を覚ましたんだけど、何言ってるか分からないんだよ」
「あ? ああ、あああ……分かりました。すぐ行きます」
 昨日言葉を交わした時は当たり前すぎて考えもしなかったが、火竜がいるのは俺の生国、こことは言葉が違う。
 いい加減に身支度をして扉を開けると、ショプロンのおばちゃんが待ちかねたとばかりに先に立って歩き出した。
 向かった先はサローダの宿屋。俺もこの国に来てすぐの頃に泊まっていた安宿だ。
 
 女は寝床から身を起こして俺たちを迎えた。
「目が覚める前のことを覚えているか?」
 俺が生国の言葉で話しかけると、女は堰を切ったように話し出した。
「ここはどこですか? ヴィルカーン山ではないのですか? この人達が話している言葉はいったいどこの言葉ですか? 何故私はここにいるんですか? 私は死んだのでしょうか」
 最後の言葉と同時に女の腹がぐうと鳴って、俺は思わず笑った。
「死んでいたら腹の虫は鳴かないだろう。ここはオルサーグだ」
「オルサーグ?」
 女が驚きに目をみはる。名前くらいは知っていたらしい。そんなとか竜はとか、ぶつぶつとつぶやいている。
 女を放置して、横にいるショプロンのおばちゃんに何か食べるものを持ってきてくれるように頼んだ。
 
「この人がどっから来たのか分かったのかい?」
「メッシーゼのようです」
「あんたが来たところだね」
 ショプロンのおばちゃんが、さぐるような目で俺をじっと見る。嫁を召喚した疑いはまだ解けていないようだ。
「この娘さんは独り身なのかい?」
 おばちゃんが何を言ってるのか分からない。一応「家族はいるのか」と意訳して聞いた。
「いいえ。家族を戦で失くして村で世話になっていました」
 女の答えに顔が歪みそうになった。
 嫌な話だ。孤児を火竜のところへやったのは口減らしのためか。育ちの良さそうな喋り方をしているから遺産目当てで親戚にでもはめられたのか。どちらにしてもメッシーゼに返したとしてもろくな目に遭いそうにない。
「家族はいないそうですよ」
 とりあえずそう伝えると、おばちゃんは部屋を出てすぐスープの器を持って戻ってきた。
 
 スープを飲む女を眺めながら、ショプロンのおばちゃんが俺に言った。
「クレインさん、あんたこの子と結婚してやんなよ」
「ショプロンさんっ!? どうしたらそうなるんですか?」
「言葉が通じるのはあんたしかいないんだし、無一文の若い娘が独り身で無事に過ごせるほどここはいい国じゃないよ」
「それがどうして結婚になるんですか」
「若い男と女が一緒に住むならそこらへんはちゃんとしとかないと駄目だろう。普段怠けてるけどあんただって女一人養うくらいできるんだろう?」
 
 いつの間に一緒に住むことになったーっ!?
 
 横目で女を見る。
 女は頭の上の会話を気にもせず一心不乱にスープを口に運んでいる。
 
「……本人の気持ちを聞いてみないと、勝手に決められませんよ」
 
8.ハチクマ
 
 ショプロンのおばちゃんの世話で嫁取りをすることになった。
 相手は元・行き倒れの女、フロリー。
 そうなるまでにはおばちゃんによる、とてもまともに訳す気にならない俺の積極的な売り込みもあったし、久しぶりに食べた故郷の味にほだされた俺の消極的 な賛成もあったが、この国に住むなら誰かこの国の男と結婚していた方がいいというおばちゃんの下世話で現実的な助言が決め手になったんじゃないかと思う。
 
 サローダの宿にフロリーを迎えに行くと、ショプロンのおばちゃんをはじめとした町内会の皆が花びらをまいて見送ってくれた。役所に結婚を届けて金を払えばもうそれで手続きは終いだ。
 今まで暮らしていた部屋を出て、新しく借りた少し広い部屋にフロリーを連れて帰った。
 
 フロリーは火竜と一緒に俺に召喚された時のことは覚えていないらしい。思い出すと俺がかどわかしたんだと誤解されそうなので、できれば忘れたままでいて欲しいと思っている。
 戦が止むことがあればメッシーゼに返してやろうかなとも思っていたのだが、結婚してさほど経たないうちにフロリーが妊娠した。フロリーはこのまま俺と一緒にオルサーグに骨を埋めることになりそうだ。本人もそれで良いと言っている。
「今朝はどうだ、具合は」
「大丈夫よ」
「何か食べるものを持ってこようか」
「あまり食べたくないの」
「冷たいものなら食べられそうか? 雪豹に氷を届けさせようか」
「あなた、甘やかしすぎよ」
「甘やかす他にできることがないからな」
 寝床に腰を掛け、目覚めたフロリーを腕の中に囲い込んで睦言を交わしていたら、大きな足音が近づいてきた。この音はショプロンのおばちゃんだ。
「クレインさん、新婚さんの邪魔をして悪いんだけど今ちょっといいかい?」
 一瞬寝たふりをしてやろうかと思ったが、フロリーにつねられて仕方なく返事をする。
「はい、何ですか?」
「エデーニさんちの軒下にハチが巣をかけたらしいんだよ」
「はいはい、ハチクマですね」
 しぶしぶフロリーから離れ、ハチの天敵であるハチクマの魔石を隠しに入れて扉へ向かう。扉の前で待っていたショプロンのおばちゃんは待ちかねたように口を開く。
「エデーニさんのところは子供がまだ小さいからね、早く追い払わないと」
「すぐ行きますよ」
 フロリーに手を振って扉を閉め鍵をかける。ショプロンのおばちゃんはそんな俺の姿をにやにやしながら眺めていた。
「仲良くやってるみたいだね。妊娠中はあまり無理させちゃいけないよ」
「させてませんよ」
「仲良くしすぎるのも体には負担になるからね。ほどほどにしときなよ」
「何の話をしてるんですか、まったく」
 おばちゃんは相変わらず下品な話が好きだ。
 
 だけど、この下品でお人好しなショプロンのおばちゃんのおかげで俺は、この国に来る前よりもましな人間になった気がしてる。嫁ももらえたし。感謝してる。
 ――本人に言ったらますますこき使われそうだから言わないけどな!
 
end.(2014/06/27ブログ初出・2014/06/29サイト転載)
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