TOP(全作品) SS恋愛濃度別 FI時系列 BLOG ABOUT
088◆ハートビート・イン・ピンク
(ゆるSF/原稿用紙約17枚/5300字/10分)
ゆるゆるSF企画2参加(開催期間:2014/10/01-2014/12/26)
※小説家になろうさんの方が読みやすい方はこちらから(広告表示多)→http://ncode.syosetu.com/n8484ch/
 
 
 残業続きで忙しかった今週もなんとか今日で終わり。
 
 週末の仕事終わりにはいつもの、ちょっと贅沢なお楽しみがある。
 駅の改札を抜けプラットフォームに降り、近くの柱に携帯端末を押し当てて次の電車のビューア券を購入する。
 ピッという音と同時に残席僅かの点滅が消えた。最後の一席だったのか、ふう、ぎりぎり。
 
 滑り込んできた電車のドアが開く。ぱらぱらと空いた席は、並んでいた乗客の数とちょうど同じだ。
 ドア近くから埋まっていくすきまの、一番遠い最後のひとつに私がついたとたんに電車は動き出した。
 携帯端末を押し当てると座席を覆うバイザーがするりと開く。シートに深く腰掛け両手をアームレストに乗せ、色が濃くなった偏光バイザーにぼんやり映る自分の顔を眺めて待つ。
 やがてそこに3つのS( "Sense of Sight and Sound" の頭文字)を三脚巴(トリスケル)型に組み合わせたロゴが浮き上がった。それと共にヘッドレストから送られる信号に感覚神経の一部がハックされ、むくんできつくなったパンプスの痛みから開放される。これはレム睡眠の時とほぼ同じ状態なんだとか。
 
 何もない空間に浮かぶメインメニューにサムネイルで表示されているのはお気に入りに入れたイメージだ。その横には新着が、下にはお勧めが同じように表示されている。
 私の好みは自然の風景だ。何もない美しい場所を歩く速度で移動するのがいい。
 木漏れ日が網目模様を描くひび割れた廃道を延々歩くとか、真白くて何の跡もない雪を一足一足踏みつけて歩くとか、早朝の砂浜を漂着物を捜しながらビーチコーミングするとか。
 こういうイメージが好きな人は結構多いらしく、それなりのペースで新作がアップロードされるのが嬉しい。
 友達はいろんな都会の雑踏を歩く方が好きだと言ってたけど、私はあのプライバシー保護のぼかしがあまり好きじゃないので人のいない景色の方がいい。また別の友達は同じ人のいない景色でも野鳥をぼーっと眺めたりする定点イメージがいいと言っていた。人それぞれだ。
 新着のリストに『浜辺を歩く #11』というタイトルを見つける。
 #1から全部同じ人がアップロードしているこれは、同じ浜辺を色々な季節や時間に歩くシリーズだ。
 選んだタイトルが明るくなったのを確認してアームレストを左手の中指でとんとんと二回叩くと、再生が始まる。
 
 最初の30秒は企業の広告だ。目の前の鉄板で分厚いステーキが焼かれる光景に低くうめいた。お腹もぐうと鳴く。
 この30秒のおかげでイメージビューアが『ちょっと贅沢』くらいの負担で使えるのは理解してるけど、この時間、帰りの車内でこの手の広告はほんとやめて欲しい。我慢できずに週末の夜に一人でステーキ食べに行ったりしたら、周りから「あの人一緒に来る相手いないのかしら」って思われるじゃないか。いや実際いないけど。そう思いながら残り時間をカウントする。
 やっと広告が終わり、じゅうじゅういう音も白い煙もおいしそうな匂いも消えた。
 
――――季節や時間ごとに海は色を変え、砂浜も形を変える。【私】がこの同じ浜辺を訪れるのは、旅行のような非日常ではなく、日常の中で繰り返される動作のひとつだ。
 
 たぶん早朝、引き潮の時間。風は凪いでいる。
 うねうねとした波形を残す乾いた砂を裸足で踏みつける。指の間にさらさらした砂粒が入り込んで一歩進むごとに足が沈み体が左右にかしぐ。
 【私】は波打ち際に近づいて少し前までは海だった、濡れた色の濃い砂を踏む。重たくて少し冷たい踏み心地。足が沈まないので歩きやすくなった。
 ずっと前方に向けていた視線を海へ転じる。
 水平線の向こうにはオレンジ色の太陽がある。歩きはじめた時はもっと低い位置にあったから、やっぱり今は日の出の時間だったようだ。
 今度は後ろを向いて砂の上に残した足跡を見る。子供の殴り書きみたいな歪んだ点線が砂の上に描かれている。
 高くなった波の音に再び海へ視線を向けると、遠くにボートが見えた。あのボートの立てた波が遅れてここまで届いたみたいだ。波の到達速度からあのボートの位置を計算する式がありそうだけど、【私】も私もそれを知らない。
 
 しばらくそうして海を眺めてから、【私】は再び歩き出した。
 視界の隅にはきらりと光るおもちゃみたいな飛行機と、後ろに延びる飛行機雲。少し目を離していただけなのにもう太陽はぎゅっと絞ったみたいに小さく眩しく――――
 
 目覚めた後の夢みたいに空と海と砂浜の記憶は薄らいで遠ざかり、目の前には再びメインメニューが表示された。まだ現実には戻りたくない。
 太陽の残像を眺めて余韻に浸りすぎたらしい。メニュー画面が自動的にビューアの紹介に切り替わった。
 
――――人には見たもの、体験したことを『誰かに伝えたい』という欲求があります
文明の進歩と共にツールが変わっても、その欲求が心から消えることはありません
そんなツールの中で一番新しいのがこの3SイメージRWです
 
あなたの心の中に、誰かに見せたい景色、伝えたい思い出はありませんか――――
 
 イメージRWという装置の主な機能は脳内で伝達される情報の記録と再生だ。
 元は脳科学の研究用に開発されたものらしいが、この『脳内で伝達される情報』に過去の記憶も含まれることが明らかになり、さらにその情報に暗号のようなぼかしを付加できるようになって今のような一般利用が認められた。ただし一般向けは頭に3Sのついた、つまり視覚と聴覚だけの機能限定版だ。
 
 視覚ぼかしは、人の顔や法で規制された事物をはっきり見ようとすると認識がずらされる技術だ。聴覚ぼかしも同様に、音として聞くことはできるが言葉の意味をとることはできないようになっている。
 どちらも脳機能障害の研究から偶然生まれた技術だそうだが、これがなければ一般利用への道は開かれなかっただろうというのはよく理解できる。どこの誰がアップロードしたかも分からない記憶に自分の姿が記録されていたらと思うと怖いもの。
 『自分の記憶は自分のもの』と訴える団体はぼかしの強制付加の廃止を求めているが、個人で楽しむならともかく一般向けのイメージはこのままぼかし続けて欲しい。レコーダもビューアも市販されていない現状では所詮机上の空論だけど。
 
 個人で所有するには大型すぎる高額な装置を公共の場所や電車内に設置してこうして誰もが使えるようにまでしたのは、新しい広告媒体として注目したいくつかの企業が設立した民間団体だった。
 過去の他のツール同様に目新しさから飛びついたごく少数の、トレンドに敏感な人々が口コミで評判をひろめ、普通の人も恐る恐るビューアを利用するようになり、そのうちに自分の記憶を外部に記録することへの心理的抵抗が薄れて自分のとっておきの『誰かに伝えたい』記憶を脳内から引っ張り出して公開アップロードをしはじめた。
 
 ちょうどその頃、あの隕石災害が起きた。
 都市から出るのに特別な装備が必要になり、都市外の風景の多くが誰かの記憶としてしか見られなくなってイメージRWの需要は爆発的に増えた。普及を目的とした民間団体に参加する企業が増えるのに比例してビューアも増えていった。
 もともと都市外にひんぱんに出かけていたのはごく一部の人だけだったとはいえ『行かない』と『行けない』には大きな違いがある。
 この装置がなければ過去数年と、都市外の環境が改善するまでのもうあと数年を耐えるのは、今よりずっと困難だったに違いない。
 幸いなことに私たちは、30秒の広告に耐えさえすれば自分の好きな景色をいつでも楽しむことができる。現実では行けない他の都市の街角を歩くこともできる。
 
 不思議なのは、ビューアを利用すると記録には含まれていない筈の「美味しそうに焼けた肉の匂い」や「足の指の間に入り込んだ砂」を感じるという現象だ。夢の中で匂いや味を感じるのと同じように、再現の度合いには個人差があるらしい。
 これがどうして起こるのかはまだはっきりと解明されていないそうだ。視覚野聴覚野以外への信号が僅かに混ざっているのか、ある記憶野への刺激が別の記憶野を活発化させる一種の共感覚ではないかとも言われている。
 
 共感覚と言えば、学生時代に好きだった矢木島(やぎしま)君をほろ苦く思い出す。すごく頭の良い子だったけど、急に不機嫌な顔をすることがあって、席が隣になった最初はとまどった。「嫌な音を聞くと目の前に黒い影が見えてイラっとするんだ」と言われて更にわけが分からなくなったが、今思えばあれは天然(というのも変だけど)の共感覚だ。
 当時はまだイメージRWもなかったし共感覚についても知らなかったからそのまま聞き流していたけど、もし彼の記憶からイメージを記録したら色つきになるんだろうか。
 そんな連想から思い立って、メニュー画面の検索窓に『共感覚』と入れてみた。
 
 おお、これは。
 もっと前に思いつかなかったのが残念だ。
 全体の数からすれば多くはないが、共感覚タグつきのイメージは私が想像したよりずっとたくさんあった。
 並んだサムネイルの中からタイトルにひかれて「ハートビート・イン・ピンク」というイメージを選び、またもや再生される嫌がらせのようなステーキのイメージに30秒間耐えると、
 
 ――――【私】は学校の廊下に立っていた。
 廊下の真ん中に引かれた白線、誰も守らないセンターライン。壁に貼られた展示物の数々。
 
 目の前の教室の入口は閉まっている。覗き窓の向こうに並んだ机が見える。
 ドアにかけた手から、【私】は制服を着た男子学生だと分かる。
 ドアと桟の隙間を埋めていた充填剤がにちゃりと離れる音に、薄い緑が被さった――――
 おおおお、これが共感覚かっ!
 ――――教室内には女子学生が一人。【私】に気付いた彼女の胸のあたりでピンク色が点滅する――――
 あれはもしかして心臓の音か!
 おおおお、これが(以下同文)
――――女子がこちらに向かって何か話しかける。
 控えめにふくらんだ胸に見えるピンク色の点滅。
 点滅するピンク色に意識がいくと、それと呼応するように視界全体にピンク色がぶわあっと広がった。どくどくと耳の間から響く【私】の鼓動に合わせ、この全体ピンクのもやもやもまた短いサイクルで濃淡の脈動を繰り返す。
 【私】は彼女から視線を反らして廊下に向ける。
 野球部の男子がお揃いのバッグを背負って走る足元に、水たまりを踏んで歩くような青いしぶきがあがる。 そのしぶきにも、白いバッグにも、脈打つピンクのフィルターがかかっている。
 女子に呼ばれた【私】は、再び視線を教室内に戻す。と、ピンクの脈動が早くなる――――
 
 ……えーと、これってもしかして両片思いの場面デスカ?
 恋をすると世界がバラ色になるって言うけど本当だったんだねー。
 昔の人はすごいねー。へー。ほー。ふーん。
 
 正直に言わせてもらえば、独り身の女が残業帰りに見るのはちょっときついものがある。
 けっ、青春しやがってとかやさぐれた感想を抱いてしまう私悪くない。
 私だって学生時代にこんな甘酸っぱい思い出が欲しかった。ちくしょう、やっぱり誰もいない風景を見るべきだった。途中だけど再生止めようかしら。
 左手の中指でアームレストをとんと叩いてから、直前に見た光景の意味に気づいて私の心臓が。
 
 ばくんってした! 今、心臓ばくんってしたっ!
 
 あわててアームレストを二回叩く。続きから再生がはじまった。
――――【私】は手に持ったチョコレートブラウニーを女子生徒に差し出す。ラッピングも何もされてない、コンビニで売ってる個装そのままだ。
 女の子が【私】に何か言っている。「義理返しにしても、これはひどいんじゃない」と文句をつけているのだ。
 でも女の子の胸のピンクの点滅は見ているこちらがいたたまれなくなるような速度でちかちかして、彼女の本心を露顕している。
 それを見ている【私】の視界にかかるピンクのもやもまた、彼女の心臓と競争してるみたいに脈動を繰り返して――――
 イメージはここで思わせぶりに終わった。
 
 でも私は知っている。
 この後【私】は「キモい」と吐き捨て、その辺の机にブラウニーを放り出してぷいっと教室を出ていくのだ。
 【私】は知らないだろうけど、この後で教室に残された彼女は余計なことを言って【私】を怒らせたと一人べそをかくのだ。
 そして胸に苦い思いを残したまま【私】とはクラスも別れ、【私】を見かけると物陰に隠れるようになり……
 
 ぎゃあああっ、恥ずかしいっ! 死ぬ!
 私だよ!
 ここにいる女子、私っ!! 
 
 どういうことだよ、矢木島(やぎしま)っ! お前なに考えてこんな恥ずかしい場面アップロードしてんだよっ! あの時のピュアピュアだった私が心臓ばくばくだったの知ってたのかよっ!! 殴るっ! もう絶対殴るっ!!
 矢木島、頭いいんだからこんなのアップしたら私が恥ずかしさで転げ回るって分かってただろうに。
 
 分かっててアップしたとか言わないよね?
 私が見つける確率なんてほぼゼロだって分かってたはずだもんね。
 でも、もしあの時矢木島が逃げるようにいなくなった理由が、目の前をピンクに染めた鼓動にあるのだとしたら……
 
 待って。
 矢木島のイメージがこのビューアで見られるってことは、矢木島はここにいるってことだよね? 他でもないこの都市のどこかに。
 ということは会おうと思えばいつでも会えるってことだよねっ!?
 
 斜め後ろからオーボエのA音が聞こえる。
 続けて、様々な楽器が音出しを始める。
 オーケストラのチューニングは降車駅が近づいた合図。
 
 さあ。早く現実に戻ろう。矢木島を見つけて、ピンクの鼓動の理由(わけ)を聞かなくちゃ。
 
end.(2014/10/01)
web拍手 by FC2    Tweet
088◆ハートビート・イン・ピンク
TOP(全作品) SS恋愛濃度別 FI時系列 BLOG ABOUT

Copyright © P Is for Page, All Rights Reserved. 転載・配布・改変・剽窃・盗用禁止
小説本文・説明文・ログを含めたサイト内全文章(引用箇所以外)の著作権はページのPに帰属します

inserted by FC2 system