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SS#019(single stories)
 
■魚の国の王子さま
 

 もう何年も前の話だ。

 その頃の私は大学生で、大学の駅前にあるビルの、細い階段を上がった先にある居酒屋でバイトをしていた。
 居酒屋と言っても私達のような学生向けのにぎやかな店ではなく、手酌で日本酒を飲みながら刺身や焼いたししゃも、お浸しやひじきの煮物を黙ってつつく大人のための店だった。お客さんはほとんどがスーツ姿のサラリーマン、それに近所に住んでいるらしいおじいちゃん達。

 週に一、二度やってくる男性がいた。たまに他のお客さんと軽く挨拶をかわす様子から、近くの会社に勤めるサラリーマンらしいと分かった。スーツがよく似合ってて、いかにも仕事できそうな感じの人だった。
 彼は店に来ると必ず魚料理を頼んだ。たいていは焼き魚か煮魚。それを綺麗な箸使いで、美味しそうに食べる。
 一緒にバイトしていた先輩がお皿を片付けるときに「こういうのを『猫またぎ』っていうんだよ」と教えてくれた。猫も食べるところが残らないくらい綺麗に食べるって意味らしい。

 彼に憧れた。
 彼の食べ方に、彼のまわりの空気に憧れた。

 そんな私の気持ちは周囲にすぐバレた。おかげで彼は店のバイト達から陰で『(私)ちゃんの王子さま』と呼ばれるようになった。
 でも私のっていうより魚の、いや、魚の王子さまじゃ半魚人みたいだから、魚の国の王子さまって呼んであげて。

 私はまかないで出る魚の食べ方に気を使うようになった。店の皆が面白がってよってたかって食べ方を教えてくれた。唇や頬の肉も、目玉の周りのプルプルも、ここで食べ方を教えられた。初めて『鯛の鯛』が上手に取れた時はやたらと誇らしい気持ちになった。

 そうやってうまく食べる自信がつくと、海の近くに行けば魚の美味しい店に入りたくなる。
 でも当時付き合っていた彼は魚が好きじゃなかった。

「おまえ最近、魚ばっかりだよな」
 そう言った彼の前にはかつ丼があった。
「美味しいよ、魚。ヘルシーだし」
「ヘルシーってか年寄りっぽい。若さがない」
「せっかく海の近くに来たんだから、そんなこと言わずに魚食べればいいのに」
「やだよ、面倒くせー。骨とかちまちま取るの面倒くさい。かつ丼の方ががっつりいけて美味い」
「もったいなーい」
「全然まったく。俺、一生魚食わなくても生きていけるし」
 しつこく魚を否定されて不愉快だった。ついこうつぶやいてしまった。
「ふうん、つまんない人生」

 それからお互いにひとことも口をきかずに食事を終え、会計を別々に済ませてデートも彼氏彼女の関係も終わる最後に、彼が残した捨て台詞。

「魚食ってる女は口が魚くせーんだよ」

 今思えば私も悪かったんだと思う。
 教わったばかりの魚の食べ方を得意気に見せびらかすように食べていたから、嫌味っぽかったんだろう。
 もしかしたら他の男(王子さま)の影響だと気付いて妬いていたのかもしれない。
 ただ単に自分らしさを捜すお互いの道が、分かれ道に差し掛かっていたのかもしれない。

 けれど私が

「ばーかばーか、お前なんか肉の食いすぎでメタボでハゲろ!」

 と叫んだために彼との別れが口汚い罵り合いで終わった、あれは私だけが悪かったんじゃないと今でも固く信じている。

 それからしばらくして私は就職活動のためバイトを辞め、大学を卒業して就職した。
 職場で出会った彼も魚の食べ方が綺麗な人だった。やがて彼からプロポーズされ、はいと答えた後で大学時代の彼のことをふと思った。
 一生肉しか食べない人とは、やっぱり結婚してもつまらなかっただろうなって。

 そして今日、結婚式のために集まってくれたお互いの親族紹介で。
 なんと、王子さまに再会した。

 魚の国の王子さまは私の彼の従兄なんだそうだ。
 王子さまは結婚して今では魚の国の王さまになっていた。お妃さまと小さな王子と王女が一緒だった。
 私が彼に惹かれたきっかけはもしかしたら、王子さまの面影がどこかにあったからなのかもしれない。
 ということは王子さまは私と彼の縁結びの神さまでもあるのか。ありがたや。

 親族控室の廊下で閉まった扉を拝んでいたら、彼に不思議そうな顔をされた。
 たぶん王子さまに出会ってなければ、私はこの人の隣にいなかった。
 あとで彼にも教えてあげよう。
 それから、二人は魚の国の住民としていつまでも幸せに暮らすのだ。

end.(2013/06/01ブログ初出・2014/06/29サイト転載)

 

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