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フライディと私シリーズ◆シークレット・ゲスト
(原稿用紙約11枚/3200字/7分)
 
 

ショートショート■シークレットゲスト

「ねえロビン。今度の週末はちょっと遠出しない?」
「いいよ。どこ行くの?」
「湖畔の別荘なんてどうかな」
「うん、いい!」
 キャットが乗り気になったとみたチップが、いつもの人の悪そうな笑みを浮かべた。

「ついでに十キロほどマラソンしない?」
「えっ! フライディと!?」
 キャットが聞き直すと、チップがわざとらしい憂い顔をつくった。
「残念なことに、僕は走れないんだ」

 もちろんキャットは理由を聞いた。チップは憂い顔をぺろりと剥がして答えた。

 女性特有の病気についての意識啓発イベントとして、今週末に女性ランナー限定のウィメンズマラソンが開催される。
 しかしシークレットゲストとしてランナー達をゴールで迎える筈だった人気バンドのボーカルが数日前に暴力事件の容疑者として逮捕され関係者が困っているというので、急な話だが代役を引き受けようと思う。
 ついては君も一緒に泊りに出かけ、ついでにマラソンにも参加しないか……という話だった。

「『シークレットゲストの正体は当日発表』と予告していた主催の慧眼には脱帽だね」
 チップは軽く笑って言ったが、キャットは疑念をさしはさんだ。
「暴力事件起こすような人はもともとウィメンズマラソンのゲストに相応しくなかったんじゃないの?」
「それに関しては何も言えないな。直接の知り合いでもないし、容疑はまだ確定していない」
 チップの言葉で、キャットは自分がマスコミの報道を鵜呑みにしていたと気づいて恥じ入った。
 そして公正な見方のできるチップが自分の恋人であることを誇らしく思い、にこりと笑った。

「うん、私走るよ」
 キャットの言葉を聞いたチップの顔がぱっと笑顔になった。
「ゴールで待つ楽しみが増えたよ。そうと決まったら早速ウェアとシューズを選びに行こう」
「フライディもお揃い着る?」
 自分を見上げ、小首をかしげて尋ねた恋人を、チップはぎゅうっと抱きしめた。
「本当に可愛いなあ、君は。でも僕の格好は当日のお楽しみだよ」
「まさかと思うけど女装!?」
「さあね。僕はどんな時も全力で取り組むとだけ言っておくよ」
 チップの腕の中で半ば潰されながら、キャットは様々な想像をめぐらせ肩を震わせて笑った。

「マラソンは初めてだけど、十キロくらいならいつも走ってるから大丈夫だと思う」
 大会前日の夕方、コースの下見のためチップの車で湖を一周しながらキャットが言った。
 チップもそれについては全く心配していなかった。
「他のランナーとぶつかって転ぶのだけが心配だな」
「追いつかれないように走ればいいんでしょ」
 生意気な恋人が自分の待つゴールに意気揚々と飛び込んでくる瞬間を想像したチップが、口笛を吹いて言った。
「『代役を引き受けてよかった!』って、窓を開けて大声で叫びたい気分だよ」
「駄目だよ、シークレットゲストの正体がばれちゃうよ?」
 賢しげに言う恋人が愛しくて、チップは片手でハンドルを握ったまま反対の手でキャットの髪をぐしゃぐしゃにした。
「やめてよ、もう、フライディ!」
 キャットは怒ったふりをしたが、声に交じる笑いを隠せなかった。
 チップの手は、いつの間にかキャットの手をしっかりと握り締めていた。



 王室が保有する別荘に泊まった二人は、レース当日の朝を迎えた。

 会場近くで車を降りチップと別れたキャットは、他のランナーと共にレースの参加受付を済ませると主催者と湖畔の町の町長の挨拶を聞き、参加者全員が身に着ける計測用ICチップ入りタグをもらい、入念なストレッチをしてからスタート地点に移動した。

 走り慣れない人にとっては「目標タイム一時間」になる十キロという距離だが、キャットにとってはテニスのための基礎トレーニングで普段走っているのとさほど変わらないものだ。
 ペース配分に頭を使うこともなく、必死でペースを保とうとするランナーたちを軽く抜いたキャットは、湖畔を半周しながら景色を見る余裕もあった。

 上位グループから脱落することなく走っていたキャットだが、これ以上順位を上げることは考えていなかった。
 もっとこのために走り込み、ペース配分や補給も考えて走りを組み立てればタイムは縮められたかもしれない。
 が、さすがに一番でゴールするのがシークレットゲストの恋人ではイベントが台無しになるという配慮は、キャットにもあった。

 前方から歓声が上がった。一位がゴールテープを切ったらしい。
 キャットはラストスパートをかけた前後のランナーに抜かれないよう、自分も気を引き締めゴールを目指した。

 コースが直線になり視界が開けた。
 ゴールをめざすランナーたちに、最後の声援を送ってくれる観客が道の両端に並んでいる。
 その道の先に、奇妙なものが見えた。

 ゴールで待ち構えるサポーターや記録係の一群から頭一つ飛び出した茶色い丸いものを見たとたん、キャットはその正体にほぼ気づいた。
 前を走るランナーが追い抜きをかけようと少しコースをずらし、キャットの目前がゴールまで開けた。

 そこにそれはいた。

 一言でいえば、タキシードスーツを着たクマ。
 言い換えれば、クマの頭をしたタキシードスーツの男性。
 首から下は身体にあった仕立ての良いスーツと、そのスーツを着こなすだけの筋肉を備えた体格の良い成人男性。
 首から上は、等身のおかしな茶色いぬいぐるみ。

 キャットの口から、ペースを乱す息がぶほっともれた。

 タキシードスーツのクマは、ゴールしたランナーひとりひとりをお祝いのバラとハグで迎えていた。
 顔を着ぐるみの弾力のある頭にぶつけながら、ランナーたちもハグを返していた。

 走りながら声をあげるわけにはいかず、口角をあげてはあはあと呼吸しながら、しまりのない笑い顔でキャットもまたゴールにたどりついた。

 前のランナーのハグが終わったクマが、キャットに向かって腕を広げた。
 キャットがクマにとびついて、思い切りしがみついた。
「ありがとう、ハグベア。大好き!」
「ありがとう、お嬢さん。僕もだよ!」
 クマが裏声で答えた。
 キャットは一輪のバラを手に、呼吸困難をおこしそうな勢いで笑い転げた。

 開始から一時間半が過ぎたところで、制限時間が過ぎて閉会式が始まった。全員がもらえる参加賞以外に、上位入賞者には表彰状と記念品の贈呈があった。
 プレゼンターのハグベアが着ぐるみ頭を脱ぐと、チャールズ王子殿下が現れた。
 ゴールでハグを交わしたのがチャールズ王子だったと知った女性たちが大きくどよめいた。

 チップは総合十位までの入賞者と、年代別三位まで入賞者(キャットもこの中に含まれていた)のひとりひとりに表彰状と記念品を渡した。

 それから「このイベントに協力できて嬉しい、今日参加した皆さんはぜひご自身だけでなく周囲の人にも配られた冊子の内容を伝えて欲しい」という短いスピーチを「……以上が、ハグベアからのお願いです」と締めくくって参加者たちを笑わせ、壇上からひきあげた。



 チップが自分の車に戻ると、助手席を倒して休んでいたキャットが目を開けた。チップは恋人の頬に触れて呼びかけた。
「今日は大活躍だったね、ロビン。お疲れさま。夜は二人でのんびりしよう」
「フライディこそお疲れさま。ハグベア見て笑いすぎてゴールできないかと思ったよ」
 そう返したキャットがチップの姿を思い出してまた声をたてて笑った。
「ねえ、フライディ。どうしてフライディは王子らしくしてられないの?」
「どんなに王子らしくなくても、僕が王子であることは変えようのない事実だからね」

 そううそぶいたチップは鼻持ちならないほど尊大で――誰よりも素敵だった。

 そう見えるキャットの目はもう、取り返しがつかないほど恋で曇っているのかもしれない。

「フライディは世界一格好いいハグベアだったよ!」
 
 恋人の全面的な支持にチップは声をたてて笑い、二人きりでイベントの成功を祝うためにアクセルを踏み込んだ。

end.(2014/12/14ブログ・2015/01/25サイト)

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