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フライディと私◆GIRL POWER(直接ジャンプ  1 2 3 4 おまけ )
 
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「仕方ないよ」
 キャットの恋人、チップもまた彼女の友人たちと同じことを言った。

 先週末はキャットが部のイベントで忙しく会えなかったので、チップは週半ばに部活動の終わったキャットを拾って王宮に連れ帰り、たっぷりご馳走を詰め込んだ。
 デザートを食べ終わるまで待ったチップは、キャットがスプーンを置いたところでソファに移動し、熟練のカウンセラーよりも素早くキャットの心を開かせる魔法の言葉「どうせ言うことになるんだから今言っちゃえよ」を唱え、高価なカウンセリングチェアよりもフレキシブルなシート(つまり彼の膝)を提供して彼女の目下の悩みを聞き出したのだ。

「フライディも友達に羨ましがられたりしたこと、ある?」
 キャットの問いかけに、チップは短く答えた。
「あるよ」
 訊くまでもない当然の答えだった。キャットがもし恋人のことで羨ましがられているのだとしたら、その恋人自身が他人に羨まれないわけがなかった。
「僕が勝つたびに『道具がいいから、先生がいいから、王子だから』って負け惜しみを言う奴は必ずいるからね。体格に恵まれてるのと頭脳が優れているのは否定しないけど、それは僕の血が紫なせいじゃないのに」
 血が紫、というのは貴族の青い血という慣用句に王族の紫をかけあわせたチップ独特の言い回しだ。決してチップが人間以外の生き物だと言っているわけではない。
「様々な要因から他人の何倍も努力しないと同じ結果を出せないハンディキャップを背負った人はいるし、それを背負っていない僕らには彼らに手を貸し、彼らのための費用を負担することで社会全体の幸福の総量を増やす義務がある。
 だけど今君が悩んでいるのは『一緒にテニスしたら私ばっかり勝ち続けてローズがコートを出て行っちゃったの、どうしよう』くらいの話だろう? そこまで深刻にとらなくていいんじゃないかな。彼女が怪我をしているなら手当が必要だけど、そうじゃなければ頭を冷やして戻ってくるさ」
 チップのたとえ話では、キャットの悩みはごくささいなものに聞こえた。
「そうかな」
「共通の友達が放っておけって言うならそうなんじゃないか? 君がバレエを辞めた時、もしライバルが追いかけてきて君の前に立ちはだかって踊ってみせたら頭を冷やすどころじゃなかっただろう?」
「そんなに感じ悪くないよ、私」
「もちろんだ。君はいつも最高にキュートだよ、ロビン」
 チップのベタな甘やかしも今回ばかりはキャットの心に響かなかった。

 キャットは自分がそれほど恵まれていると思ったことはない。
 自分の家が世間一般の平均より多少裕福であることは知っているが、遊んでいても暮らせるようなお嬢様ではない。その生活はひとついくらのパンを焼いて売る父親の働きで支えられていると母親から厳しく叩き込まれて育ったし、昔は裏通りの小さな店だったものを両親が二人で大きくしたのだとも聞いている。
 勉強は頑張っても中の下、容姿は世間並み、痩せててうらやましいと言われるのはボリュームが足りないことと抱き合わせ、嫌いな言われ方だが平民で、他人より優れているのは運動神経が良いことくらいだが、それだって狭い地元地域で一番になった程度で国の代表になるようなレベルではない。
 つまりキャットは、他人から反論のしようもないほど羨ましがられたり妬まれたりするような経験が今までほとんどなかったのだ。

 チップはさっきキャットの心境をテニスで勝ち続けた時に例えたが、キャットにとってその勝ちは自分の実力でなくチップからプレゼントされた特大のラケットを使って得たようなすわりの悪いものだった。

 難しい顔をするキャットに向かって、人の悪そうな笑みを浮かべたチップが話しはじめた。
「もちろん君にとって恋人が一国の王子で、裕福で君の願いを何でも叶えてくれて、体格に恵まれてスポーツが得意で頭が良くて」
「ねえ、その話まだ続くの?」
 キャットの冷たい横やりにもめげずにチップは続けた。
「――ってことが重要でないのを僕は知っているけれど、そういった不要な属性を取り払ったとしても、誠実な恋人である僕に体重と同じ重さの黄金くらいの価値はあると認めるだろう? 他人から多少羨まれるのは仕方ないさ」
「それってどれくらいの価値なの?」
 チップは一瞬考えてから答えた。
「今の相場で、海軍の平均的な生涯俸給くらいかな」
 キャットは思わず感心して言った。
「へええ、本当に体重と同じ価値になるんだねえ」
「人によっては体重と同じ黄金じゃなく屑鉄の場合もあるけどね。僕はどこにでもいるありふれた黄金だ」
 キャットがにこりとした。
「フライディがどこにでもいるありふれた黄金だとは思えないな」
「もちろん良い意味だろう?」
「ふふふーん」
 わざと答えを避けたキャットを、チップがぎゅっと抱きしめた。膝に座らせたキャットの足を自分の足で挟んで暴れないよう閉じ込めるのも忘れない。キャットが笑い声をあげてもがいた。
 くすぐられたり髪を乱されたりするのではないかと疑い、恋人の手を容赦なく叩き落とそうとするキャットの耳に、チップが唇を寄せた。
「さっきの価値には君への愛情は入っていない。それとは別に計算してある」
 キャットが抵抗をやめた。
「解はその指輪だ」
 キャットはかろうじて動かせる肘を曲げ、左手の指輪に視線を落とした。
 最近ではつけていることすら意識しなくなった、無限大の記号をモチーフにした指輪が煌めく。
 初めてこの指輪を受け取ったのも、チップの膝の上だった。

 ――――あの時確かにキャットは、チップだけいれば何もいらないと思った。

 今この瞬間、キャットは自分が他人にどれほど妬まれても仕方ないと悟った。
 妬まれたり羨ましがられり、例え周囲の全ての人に反対されたとしても、チップを愛するのを止めることはできない。

 キャットは拘束されたまま、回された腕に自分の身体を預けて深く息を吐いた。
「フライディの全部が好き。フライディだけいればいい」
 そう告げた彼女は恋人の腕が弛んだとたん、自分の方からチップの首に腕を回してひしとしがみついた。
 チップは幸せそうにつぶやいた。
「今日はベッドの良い側から下りたのかな」
 キャットを強く抱きしめたチップは、恋人の耳たぶを唇で挟むようにして囁いた。
「僕もだよ、ロビン。君のいない世界なんて考えられない」

 今の二人のやりとりを聞いた誰かなら、キャットの友達が七つの大罪・煩悩・その他さまざまな言い方で表される感情に取りつかれたとしてもそれは仕方ないことだと納得しただろう。
 キャット本人が、誰に恨まれても妬まれても構わないという気持ちになっているのだから。

 ……しかしここはもう無人島ではない。もう二人だけではない。
 周囲の人々との良好な関係が、社会生活が、人として求められる場所にいる。


* * *


 翌日からキャットは、大学でローズとフェイスの二人と距離を置くようになった。
 そもそも避けていたのはローズの方でキャット自身にはローズを避ける理由はない。それにフェイスにはもともと何のわだかまりもない。けれど、フェイスに近づいた時にローズがささっと席を立つ姿を繰り返し見るのに耐えるだけのメンタルはキャットには備わっていなかった。
 講義の時にローズ達から少し離れた席に座るキャットを見つけて、何も聞かずに隣においでと誘ってくれる他の友人たちの思いやりにキャットはちょっと泣きたくなった。

 今週末は実家に帰ろう、とキャットは思った。
 何故か避けられている友達とその原因かもしれない恋人から離れることで、その問題自体を忘れて気晴らしがしたかった。
 久しぶりに高校の時の友人に連絡を取って会うのもいいかもしれない。

 週末がくるとキャットは、寮で洗濯するつもりだったその週に着た服やタオルをランドリーバッグ二つに詰め込んで車の後部座席に投げ込んだ。それから故郷ノーサンリンブラムの実家をナビの目的地にセットした。
 週末の道路は混んでいた。
 しばらくのろのろ運転が続く車の列に並んで耐えたキャットは、ウィンカーを出して渋滞から抜け出し横道に入っていった。
 タトゥーショップや、ショウウィンドウが塗りつぶされ中が見えない店の並ぶこの道は、夜になると歩いて入るのはためらわれるあまり治安のよくない通りだが、幹線道路と並行して走る道に抜ける渋滞の迂回路になっている。
 この抜け道を教えてくれたのは地元レプトンっ子のローズだったな、と思い出したキャットは、今ローズは何をしているのかとほろ苦い気持ちになった。

 キャットがメルシエに来たのはチップの誘いがきっかけだが、大学での日々を楽しく過ごせているのはチップとは関係のないたくさんの友人に恵まれたおかげだ。
 留学生たちはいずれその殆どがこの国を離れるだろうが、この国で生まれ育った友人たちはキャットが将来この国に住むことになれば一生の友となり、この国を愛する理由にもなるはずだ。
 それなのにたった一つのきっかけ、たった一人に避けられたせいでこんなに落ち込んで故郷に帰りたくなるなんて、とキャットは自分が情けなくなった。

 ローズとはもう一週間ろくに話していない。
 もともとあまり活用していないSNSも、無視されそうで何となく開かなくなってしまった。本当につまらない。
「あーあ」
 声に出して言ったキャットは、歩道を歩く若い女性が肩にかけたバッグに目を留めた。
 ローズと同じバッグ……いや、バッグだけでなく着ている服もローズが持っているのにそっくりだった。
 頭で考えるより先に、キャットは窓を開け女性の背中に呼びかけていた。
「ローズ!」
 くるっと身体を回しこちらを向いたのは、思ったとおりローズだった。
「キャット!?」
 ローズはこの一週間のよそよそしさを忘れたように目をみはり声を上げ……いきなり顔をゆがめて泣き始めた。
「ローズ? どうしたのローズ!」
 慌てるキャットに迫る後続車がクラクションを鳴らす。
「うーっ、とにかく乗って!」
 キャットの呼びかけに、ローズがべそべそと泣きながら車のそばまで来て外からドアを開けた。
「止まれるところまで走るからちょっと付き合って」
 キャットの言葉に、助手席のローズがこくんと頷いた。


 抜け道を使って比較的混まないもう一本の道に出たキャットが車を入れたのは、道路沿いに建つ持ち帰りのできるコーヒーショップの駐車場だった。
「車で待っててくれる? 飲み物買ってくる」
 キャットは一声かけて車を降り、ローズのためのミルクティーと自分のためのホットココアを買った。ローズの好みがこの一週間で変わっていなければ飲み物はこれでいいはずだ。
 車に戻ったキャットは、カップの蓋を開け中身を確かめてからローズにミルクティーを渡し、自分はココアを手にした。
 二人はどちらも口を開くきっかけがつかめないまま、飲み物を吹いて冷ましたり少しずつ飲んだりして目を合わせずにカップ一杯分の沈黙を共有した。

 やがて、どちらのカップももう傾けても雫のひとつも落ちなくなった。
「あのねっ」
 どちらが先だったか分からない。二人の声が重なり、お互いに驚いて途切れた。
 一瞬顔を見合わせた後、キャットが先手をとった。
 大きく息を吸って、さえぎられる前に全部言おうと彼女は一息で告げた。
「どうして避けられてるのか分かんないし何か怒ってるなら謝るけど! 何か思ってることあるなら言って欲しい! ローズは嫌かもしれないけど私はローズのこと好きだし友達だと思ってるから!」
 待ってあげろというフェイスのアドバイスも、無理に追いかけてもいいことないというフィレンザやチップのアドバイスも頭から吹き飛び、キャットは思い切りローズに本音をぶつけていた。
 ……やっぱりキャットには友達が結論にたどり着くまでじっくり待つという方法は向いていなかったらしい。

 直球勝負を仕掛けられたローズの方も、正面からそれを打ち返してきた。
「私だってそうだよ!!」
「えっ、そうなのっ!?」
「そうだよっ!!」
 叫んだローズは、顔をくしゃりとゆがめた。
「そうじゃなきゃこんなことしてないし!」
 止まっていたローズの涙が、再び溢れだした。

 自分はひどい、とキャットは思った。
 泣いているローズの心配より前に、自分が嫌われてなかったと喜ぶなんてひどい。

 ローズのことを心配しているのは本当だ。
 でもキャットの、さっきまで空気の抜けた風船のようにくたっていた心がむくむくと膨らんでいるのも本当だった。
 
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