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フライディと私シリーズ◆C級グルメ
(原稿用紙約13枚/3800字/7分)
 
 

「メルシエのCといえばもちろんわれらが第三王子、チャールズ王子殿下のことである。
 彼はふたりの兄とひとりの弟とともに王族として何不自由のない暮らしを送った後、ここロングウォーター幹部候補生学校に入学し、この量だけは豊かで『空腹は最高のスパイス』ということわざを地でいく、厚紙を煮たような食事を短時間で掻き込むという技術を身につけたれっきとした我々の仲間のひとりである。
 そしてチャールズ王子殿下は仲間らしい思いやりから、今日の夕食のために我々ひとりひとりに靴底よりも柔らかいステーキを寄付して下さった。
 ゆえに我々は同胞を見捨てなかった彼をたたえ、食事の前に乾杯をしたいと思う。
 メルシエのCに!」

 乾杯の音頭に合わせ、テーブルについた士官の卵たちが一斉に「メルシエのCに!」と唱和しグラスを掲げた。

 ――キャットは動画を見ながら身体をよじって笑っていた。

「この人たち大真面目に何やってるの!?」
「見た通りだよ。僕をたたえて乾杯したって動画を送ってくれたのさ」
 にこやかに答えたのは、海軍の予備中尉であり、ロングウォーター幹部候補生学校の卒業生でもあるキャットの恋人だった。
「そんなに食事が不味いの?」
「うん、まあ、味を犠牲にしたぶん量はたっぷりあったけどね」
 士官の卵たちには食事のマナーも指導が入る。正しい姿勢で短時間でその日に消費したカロリーを補給できるものという要求と予算との兼ね合いに味の改善などという贅沢の余裕はない。今後も改善は見込めないだろう。これでも幹部候補生学校は大学を卒業した志願者が短期間で軍に関する知識を詰め込まれる場なのでまだましな方だ。軍大学ではこれが数年続くのだ。
「そんなのばっかり食べてたから、ね」
 可哀想な子をみるような目をしたキャットが言うのは、チップの得意料理についてのあてこすりだった。

* * *

 チップとキャットはその出会いの日から一か月ちかく生活を共にして過ごしたが、あの原始的採取生活は食事というよりサバイバル活動だった。
 ふたりがそれぞれの国に戻り、再び出会った後もしばらくは食事といえば外出先のレストランかそれぞれの家に招待されて出てきたものを食べるだけだった。

 チップが自分の得意料理を初めて披露したのは、ふたりが『九月三十日荘』で過ごした次の日だ。

 朝は前夜のパーティで持たされたケーキの残りを分け合って食べ、もうすぐ昼食の時間というときに恋人にいいところを見せようとしたチップが言い出した。
「昼食は僕が作るよ」
「手伝うよ」
「いいよ、君は休んでおいで」
「一緒にいたい」
 可愛い恋人にこんな風にねだられて断るチップではない。
「じゃあ君の仕事は僕を応援することだ」
「うん、わかった。まかせて」

 キッチンは、屋敷の表の格調高い雰囲気とはがらりと変わって現代的で機能的に設計されていた。
「材料はあるのかな」
「ひととおりは揃えてあるはずだ」
「何作るの?」
「スパゲッティ」

 保存のきく乾麺はキッチンの棚に在庫してあった。
 チップは機嫌よくあれこれ喋りながら戸棚を次々に開け、温めればすぐ出せるスープやパテの缶詰を無視して材料を準備していった。それを眺めていたキャットは少し首をひねったものの、チップが作るというのだからと口をはさまなかった。十八歳になったばかりのキャットよりも、六つ年上のチップの方がきっと何でも知っているだろうと思ったからだ。

 スパゲッティを茹でるお湯を鍋に沸かしている間にチップが用意したのは、トマト缶にアンチョビ缶、オリーブの瓶詰にケッパーの缶詰に赤唐辛子にドライガーリックにパン粉……パン粉?
 キャットは更に首をかしげた。

 チップがフライパンにオリーブオイルを入れアンチョビと赤唐辛子とドライガーリックを炒めはじめると、食欲のわく香りがキッチンに充満した。
「今から作るのは幹部候補生学校にいた頃、学校の近くの店でよく食べた料理なんだ」
「そうなんだ」
 チップがオリーブとケッパーをフライパンに加えた。がちゃがちゃと混ぜたところに今度はトマト缶の中身を汁ごと加える。
「学校から出る時は制服着用って決まっていたから、トマトの染みがつかないようにみんないつも気をつかって、でもどうしてもこれが食べたくて」
 チップは沸いたお湯にスパゲッティを加えた。
 キャットはチップがきびきびと働く姿を眺めて楽しげに言った。
「トマトソースってどうして絶対飛んでほしくない服着てるときに限ってはねるのかな」
「生きのいい(フレッシュ)トマトを使っているから」
「くっだらなーい」
 親密な関係特有の意味のない会話を続けながら、チップがフライパンに茹であがったパスタを加えてソースをからませた。キャットは皿とカトラリーを用意しはじめた。

 そこへチップがもうひとつフライパンを取り出した。
 オリーブオイルを入れたところに、袋からパン粉を振り入れる。
 ざくざくと音をたてて混ぜられたフライパンからトーストの香りがしてきた。

 チップが皿を探す視線に気づいて、キャットが用意していた皿をさっとチップの前に差し出した。
「さすがだな、バディ」
 チップはソースを絡めたパスタを二つの皿に盛った。
 そしてその上に、オリーブオイルで炒めたパン粉を山盛りにかけた。

「さあ、できたよ。スパゲッティ・アッラ・プッタネスカ」
「わあ、おいしそう!」

 たった二枚の皿を乗せたワゴンを、チップは意気揚々と押して食堂に運んだ。
 まずキャットの椅子を引いて先に掛けさせ、カトラリーを並べる。
「さあ、ロビン。どうぞ召し上がれ」
 パスタの皿をキャットの正面に置くと、もう一枚の皿を向かい側に置いて座った。
「しまった、花と音楽を忘れた」
 今にも席を立ちそうなチップに、キャットが笑って言った。
「ここにいて。フライディのこと見て、フライディの話を聞くから」
「……お母さんに怒られてもいいから、もっと大きなダイヤを君に贈ればよかったな」
「要らないよ、フライディがいれば」
 キャットは自分の言葉に照れて下を向き、ごまかすようにスパゲッティをフォークで巻き取り口に入れた。
 照れた笑顔がふっと真顔に戻る。

 キャットは無言で口を動かした。
「ロビン?」
「……」

 チップは急に不安になって自分もカトラリーを手にした。スパゲッティをナイフで切ってフォークですくい、口に入れる。

「うん、不味いな」

 キャットがくくくっと笑い声を漏らした。
「これってこういう味が正しいのかと思った」
「いや、もっと美味しいはずなんだ」
 チップの記憶では、塩気の強い具とよく合うトマト味のスパゲッティに、オリーブオイルでカリッと揚がったパン粉がアクセントになる、オーダーするとすぐ届けられる美味しい料理のはずだった。

「おかしいな」
「味見ぜんぜんしなかったよね」
「さほど難しい料理じゃないはずなんだけど」
「フライディ、これ今まで何回作ったの?」
「作ったのは初めてだけど、毎週のように食べてたんだしそんなに失敗するようなものじゃ」
 キャットが耐えきれずに噴きだした。
「失敗してるじゃない」
 チップもそれを見て笑い出した。
「でも君を喜ばせるのには成功しただろう?」
「すっごい自信満々で作ってたのに、『うん、不味いな』じゃないよ」
「アンチョビとオリーブとケッパーが塩味を主張しながらぶつかり、トマトの汁気でふやけたスパゲッティが間をつなぎ、油くさいパン粉がこくを添える一皿です」
 チップの真面目くさった解説に、キャットがとうとう膝のナプキンを目に当てて笑い涙を拭きだした。
「だから手伝うって言ったのに」
 チップがにやりと笑った。
「後から言うのは簡単だけどね。まさかこの事態を想定していたなんて言わせないよ、ロビン」

 ひとしきり笑ったふたりは、不味いスパゲッティをほがらかに完食した。
 寮住まいの学生であるキャットも海軍で鍛えたチップも、不味いからといって食事を残す習慣は身につけていなかった。
「次こそ本物のスパゲッティ・アッラ・プッタネスカをご馳走するよ」

 それからチップは機会あるごとにスパゲッティ・アッラ・プッタネスカに挑戦した。
 経験を積むごとに美味しくなってはいったのだが、正直なところキャットは「もっと美味しい他の味のパスタがあるのにどうしてそんなにこだわるのだろう」と思い続けた。そもそもありあわせの材料でさっと作れるのが売りのレシピだというのだから味の到達点もそこまで高くはなさそうだ。
 十回目か十一回目の挑戦でチップ史上最高のスパゲッティ・アッラ・プッタネスカが完成した頃には、キャットは正直なところ美味しくはあったがもうこの味に飽きていた。

 これに懲りてキャットは、チップには秤や計量カップを使った厳密な調合を任せ、変わった料理には手を出させないようにした。

* * *

「ねえ、今度フライディが通ってたっていう学校の近くのお店に連れていってよ」
「……実のところ、ちょっと疑ってるんだ」
「何を?」
「あの店のスパゲッティ・アッラ・プッタネスカは、今食べると大して美味しくないんじゃないかって」
「……思い出の味は思い出のままにしておいた方がいいって、前にお父さんが言ってた」
「ジャックの言葉にはいつも含蓄があるな」

end.(2016/01/25)

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