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フライディと私シリーズ◆あのころの話
(原稿用紙約12枚/4600字/9分)
 
 
※過去話ととすこし関連
 
「おい、お前なんで自分ひとりで何皿も頼んでんだよ」
 海軍の幹部候補生学校に入学して最初の休日、仲間たちと入った店でチップをいきなり叱りつけたのがジョナスだ。
 
 ジョナスは大学を卒業してから入隊したチップたちとは違い、高校の時「家族の医療費がタダになるって書いたポスターを見かけて}その足で海軍に入隊を決めたという。そんな彼は『子羊を導く牧羊犬』役を自任しており、あれこれと世間知らずたちの面倒をみてくれている。
 そして子羊ことチップは、かけられた言葉の意味が理解できなかった。
「なにか問題が?」
「これだけの人数で注文するのに違うもん別々に頼んだら料理出るのが遅くなるだろう」
「……あまりそういう考え方をしたことはなかったけど、一理あるかな」
 
 誰かのもてなしを受けるのではなく、こういったカジュアルな食事でメニュー表を眺め、聞いたこともない料理を自分で頼むというのはチップにとってのささやかな楽しみであったのだが、どうやらそれによって自分はルールを犯していたらしい。
 世間知らずを自覚していたチップは素直にジョナスに従った。
「分かった。じゃあ注文は君に任せるよ」
「スパゲッティ・アッラ・プッタネスカ八つ」
 一瞬の溜めもなく叫んだジョナスに、周囲から遅れて非難の声があがった。
「おいおいおいおい」
「待てって」
「俺は魚介が……」
「よりによって」
「お前それを王子に食わせるのかよ」
 
 イタリア語がわかるチップは、最後のはおそらく味ではなく『娼婦風(プッタネスカ)』という名前がまずいんだろうなと考えた。
 自分の兄弟たちに『こちらがスパゲッティ・アッラ・プッタネスカでございます』とうやうやしく皿が差し出される場面を想像してチップはにやりとした。アートは内心を表さずにひとつ頷き(代わりに周囲が顔色を赤くしたり青くしたりし)、ベンはわれ関せずという顔で、間の悪いエドはきっと『プッタネスカ?』とつぶやきをもらして関係者をしどろもどろにさせるだろう。
 チップ本人に関して言えば。
『こういう楽しみがあるから町に降りるのはやめられない』。
 嫌がらせとして出されたのならば返し文句のひとつやふたつひねり出すところだが、ジョナスにそういった含みがないことは入学してからこの短い付き合いでもう分かっている。
 
 やらかしたジョナスはと言えば、うるさい虫をはらうように手を振り、飛び交う文句をはねつけていた。
「おまえらうるさい。安くてすぐ出て腹がふくれるし充分だろ、人生最後の食事じゃないんだから。バーが開く前にやること済ませるなら、ここで時間くってもしょうがない。注文は本人が任せるって言ったんだから気にすんな」

 チップはジョナスの雑かつフラットな仕切りと、ほどなく出されたスパゲティの素朴な味がとても気に入った。
 未知に触れたことでチップの心は躍(おど)る。
 それを教えてくれたジョナスに感謝と好感を覚える。
 誤解を恐れずに言えばチップは今「良家のお嬢様が初めて出会った不良少年に惹かれていく」最初のステップをなぞっていた。幸いにしてチップの恋愛対象は女性に限られ、ジョナスも軍人としては真面目で優秀だったので次のステップはなかった。
 なおこの時チップが披露したナイフとフォークでスパゲッティを食べるテーブルマナーの実演はやたら受けた。
 
 この日からこのメンバーで出かける時にはこの店でまずスパゲッティ・アッラ・プッタネスカを腹に詰め込んでから街に繰り出すのが習慣になり、半年後の卒業までにチップは同じメンバーから財布に優しい安酒の飲み方や可愛いウエイトレスの口説き方(ただし成功率は非常に低い)、品のないジョーク等々王子にはふさわしくないろくでもない知識ばかりを伝授されることになった。

 * * *

 時は流れ。
 あれこれあって予備役となったチップのところに、久しぶりに悪友からの連絡があった。

「お前を金持ちと見込んで頼みがある!」
 勢い込んだジョナスの声にチップは、ちらりと時計を確かめた。
「飲み屋の支払いに困って呼び出すにしてはずいぶん早いじゃないか」
「そんなんじゃねえよ、そもそも俺は前払(キャッシュオンデリバリー)のパブでしか飲まねえ」
「じゃあ絶対儲かる投資話でも聞いたか? それは確実に詐欺だ。支払済みだったら全額は無理だろうが少しでも取り戻せるように相談窓口を紹介してやる」
「信用ねえな! 話が進まないからまず俺の話を聞けよ!!」
 叫ぶジョナスに電話越しには見えないにやにや笑いを返してチップは続きを待った。
 
 やがて、ジョナスの声とは思えない覇気のなさで、犯罪の告白めいたぼそぼそとしたつぶやきが聞こえてきた。
「……お化けが出そうなデカいお屋敷っていうのをもらえることになったって言われた」
「それはおめでとう」
「窓がいっぱいあって全部にカーテンつるしたらいくらかかるか分かんねえ。あと玄関が遠い」
「ヘリポート作れよ」
 チップはあっさり言った。幹部候補生学校を卒業したジョナスは希望通りヘリパイロットの資格を取得している。自分で操縦できるなら自宅にヘリポートがあれば便利だろう、たぶん。
 ジョナスは切羽詰まった声をあげた。
「俺はヘリポートのある屋敷よりもただのヘリが欲しいんだよ! 動かないデカいものはいらねえっての! ……だから、なあ、お前ら金持ちがいらない屋敷とかどうしてるのか教えてくれよ」
 チップは友人の、いかにも彼らしい主張にひとしきり笑った後で訊いた。
「その屋敷っていうのはどこにあるんだい?」

 ジョナスが会ったこともない死んだ父親の、さらに会ったこともない死んだ叔父から相続する屋敷は、持ち主の叔父が何年も前に海外移住してから亡くなるまでずっと放置されていたらしい。
 核家族化した現代ではもてあます大きさで、もっと都会にあれば集合住宅にでもできそうだが、都市部からやや離れたこの立地では建物を壊して土地を分譲にするくらいしかないのではないか、売るに売れず税金だけがかかるならばいっそ貰わない方がいいのでは、そもそも何をするにも相談に先立つ費用は必要だしどうすればいいか困り果てている……というのがここに来るまでのジョナスの愚痴まじりの説明だった。

 雑草が生い茂ったドライブウェイの奥に鎮座していたのは、歴史あるというにはまだ風格が足りないもののあと数十年後にはマニアがいるかもしれない、現在のところは中途半端に古臭い様式の建物だった。壁の外側につけられた空調の室外機によって野暮ったさがトッピングされている。
 とはいえ今日が晴れているおかげだろうか、寂しげではあるものの幽霊屋敷のような気味の悪さはない。かつて廃墟でバカンスを過ごしたチップからすればこれは空き家であっても廃墟ではなかった。

「こじんまりとしたいい屋敷じゃないか」
「お前にはそう見えるのか。俺には人が住むにはデカすぎるように見える」
「庭が広いのもいい。あの藪にあるのは鳥の巣じゃないかな」
「ここにトレーラーハウスを置いて住むくらいが俺にはちょうどいい」
 ジョナスは荒れ果てた庭を指して言い張った。チップはそんな悪友の姿を見て微笑むと、屋敷を見上げて言った。
「――僕は気に入ったよ。売らないか?」
「えっ! マジで!?」
 ジョナスがぱっとチップの方を向いた。チップはにこやかに答えた。
「ここ、今付き合ってる彼女の家からだとちょうど帰り道なんだ」
「お前、たったそんだけの理由で家買うのかよ……すさまじいな金持ちは」
 ジョナスが呆れたというより疲れた口調で言った。
 
 チップはそんな友人に人の悪そうな笑顔を向けた。
「ところでジョナス。屋敷を売ったら念願の大金が入るわけだけど、軍をリタイアしたらチャーターヘリの会社を立ち上げるっていう将来設計に変更はあるのか?」
 ジョナスが目を泳がせた。
 チップは口の左端だけをさらにあげて続けた。
「お母さんが再婚して、もうどうしても軍にいなきゃならないって訳じゃないんだろう?」
「……俺はまだパイロットとしては経験も足りないし経営のこととか」
詰め込めよ。何十年も勉強してから実践して失敗するよりまず始めた方がやり直しの時間がある。どうせひとりで何もかもできるわけじゃないんだ。人を頼れ。
 ちなみに人材に関しては軍のアーリーリタイアメントプログラムで退役軍人を紹介してもらうと、採用時には企業と求職者の両方に支援金がおりる。傷痍軍人をひとり雇用すると健常者を三人雇えるくらいの補助金が国からおりるぞ」
「お前なんでそういううまい話がつるつると出てくるの」
「家業が家業なんでね、支援話にはちょっと詳しいんだ」
 ジョナスがむずかしい顔で腕を組んだ。チップはダメ押しの一言を加えた。
「一枚噛ませてくれたらもっとうまい話を聞かせてやる」
 ジョナスは一瞬ぎゅっと目をつぶってから目を開け、こぶしを握ってつき出した。
「ブリッジでお前と組むと悪魔みたいに強いからな」
 チップがつき出されたこぶしに自分のこぶしを当てて笑った。
「悪魔じゃなくて投資家(エンジェル)と呼んでくれよ」

 * * *
 
 もちろんジョナスの起業は他のビジネスと同じように、全てがすんなりといったわけではなかった。
 まずジョナスの大叔父が延滞していた固定資産税と相続税の総額に、ふたりで笑いが止まらなくなった。
「ふざけんな、ぎりっぎりじゃねえか」
「ぎりぎりっていうのは不足はないってことだよ」
「やっぱりお前は悪魔か」
 幸いにして悪魔と呼ばれる天使の資金力が、会社設立にあたっての大きな問題を解決した。

 小さな問題としては二転三転した会社の名前決定にもチップは多少かかわった。
「くそっ、つけたいと思う名前はことごとく登録されてる――何かないか、覚えやすくて恰好いい名前。鳥の名前は禁止な、ロゴがダサくなるから」
「分かったって。じゃあ天空の神ゼウス」
 チップが思いついた言葉を口にしたがジョナスが首を横に振った。
「ゼウスはダメだ」
「どうして」
「武器が雷(いかづち)だろ、お前の遭難の原因じゃねえか」
 チップは少しばかりいい気持ちになった。
 何故こんなに人情味のあるジョナスがモテないんだろう、と世の女性たちの見る目のなさを心の中で嘆いた。(もちろんチップは「口と態度が悪くて子供っぽいから」という答えを知っていた)

 ジョナスがふと思い出したように言った。
「あ、あれがいい。ポセイドンの武器、三叉槍(トライデント)」
 チップがまたかよという顔でジョナスを見た。
「なんでいちいち武器の名前にこだわるんだよ」
「いいだろう、ヘリコプターだって刃(ブレード)がついてるんだから」
 チップは賢明にも意見を差し控えた。ビジネスパートナーとして投資しているとはいえこれはジョナスの会社だ。ジョナスには好きな名前をつける権利がある。
 ゼウスの雷を避けるという思いやりを示してくれたジョナスにこれ以上チップが言うことはない。

 ……結局、会社名は「なんか格好いいから」ギリシャ語読みでトリアイナになった。三叉槍(さんさそう)のロゴマークを見てチップもちょっと格好いいと思った。

end.(2017/06/26)
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