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097 single stories◆ヴァイオラ
(中世西洋風ヒストリカル/8200字/16分)
 

「姉さんも結婚しなよ。このままだとひとり寂しい老後を迎えることになるよ」

 バーリーの言葉が照れ隠しであることはわかっている。
 分かってはいるが……

「俺のせいで結婚できなかったとかいまさら言われても困るからね。姉さんと同じ境遇でも結婚してる人はしてるんだから」

 ……こういう時こそ、普段は口にしない本音が出てしまうのではないか。

 ヴァイオラは繰り返し甦る弟の言葉に背中を小突かれながら暗い通りを急いだ。夜露に濡れた石畳に、家路をたどる人々とは逆向きの小さな足跡が続いた。

 間もなくヴァイオラは、職場である城の通用口に立っていた。
 夜通し誰かが働いている城では日の落ちたこの時間もまばらな人の出入りがあり、ヴァイオラの時ならぬ登城も不審がられることはない。被り布を外して顔を見せ製本工房の名が書かれた出入札を差し出せば、門兵も頷きひとつでヴァイオラを通してくれた。

 古びて手入れの行き届かない、石畳の端に雑草が顔をのぞかせる城の裏側の一角で、ヴァイオラはいつものとおり腰の鍵束から選んだ鍵を鍵穴に差し込んで回そうとし、手の中の鍵から伝わる抵抗に気付いて素早く回す向きを変えた。鍵はくるりとひとまわりし、鈍い音で施錠を知らせた。
 
 上司のカンファーが戸締りを忘れて帰ったのかとヴァイオラはいぶかしみながら、今度こそ正しい向きに鍵を回して重たい木の扉を肩で押した。

「ヴァイオラ、忘れ物でも?」
 細いすきまからもれる光と声に、ヴァイオラは軽く息を呑んだ。

* * *

「ヴァイオラ?」
 いぶかしげな声で再び名前を呼ばれ、彼女はしぶしぶと扉のすきまを広げ室内に踏み込んだ。
「カンファーさんがいらっしゃるとは思いませんでした。残業ですか?」
 ヴァイオラは先に相手の事情を訊いた。
 カンファーは答える前に数年前から細かい作業をするときかけるようになった眼鏡をはずし、作業机に置いた。
 眼鏡の横に、ふたつに分かれた本が広げてあった。ヴァイオラが帰る前にはなかったものだ。
「ああ、きみが帰ってすぐに急ぎの修理が持ち込まれてね」 
「珍しいですね」
「壊れた本をどうしても朝までに元通りにしたいとかで」
「それはもしかして壊れたではなく壊したのでは」
「だろうね。こちらの事情はそういうことだ。それで」
 机の前に座ったカンファーは、扉の横に立つヴァイオラを見上げて言った。
「きみの方は何があった」
 ヴァイオラは口の端を少しあげて微笑んでみせた。
「家に帰ったらバーリーの恋人がちょうどいて、なんだか居辛くなって出てきてしまいました」
 
 正確には「弟がまだ帰っていないと思って洗濯を終え乾いた服を部屋へ置きにいったら、弟と恋人が寝台で過ごしているところに出くわしてしまった上に、あわてた弟から投げつけられた言葉がひどく思いやりのないものでいたたまれずに飛び出してきた」のだが、そこまで家庭の事情を晒す必要はないだろう。
 
「恋人?」
「ええ、結婚するそうです」
「そうか。おめでとう」
 定型の挨拶として返された「おめでとう」に、ヴァイオラは微笑みを消して答えた。
「ええ、そうなんです。おめでたいことなんです」
 表情のない顔とその口ぶりに何かを感じたらしいカンファーは、仕事の時いつもするようにあごをしゃくりヴァイオラに丸い休憩机の椅子をすすめた。
「何にせよ立たせたままする話じゃなさそうだ。掛けなさい。茶を淹れよう」
 小さく残った火種を掻きおこしてカンファーが淹れた少し濃い目のお茶を、ヴァイオラは椀に顔を埋めるようにして飲んだ。湯気で顔のこわばりが解けていく。
 カンファーが淹れるお茶はヴァイオラの家で普段淹れるものより濃いが、カンファーがこの方が美味しいのだと言い張るのでヴァイオラもここではこういうものと慣れてしまった。いちど家で同じように淹れた時には弟には濃すぎて苦いと不評だったが。
 
 最初にカンファーの下について働くように言われた時ヴァイオラは、自分の仕事はカンファーの雑用を手伝ったり掃除したりお茶を淹れることなのだろうと思っていた。
 しかしカンファーは「独り身で自分のことを自分でするのには慣れているから」と言って、手の空いた時や気分転換にこうして自分の手で茶を淹れヴァイオラにも振舞ってくれた。
 
 ヴァイオラの椀が空になったころ、自分の椀を休憩机に残して作業机に戻ったカンファーが、目の前に置いた本を角度を変えて眺めながらヴァイオラに語りかけた。
「少し温まったところで、君が貝粉をふった紙のような顔色でこんな時間に工房に現れたことと弟君の結婚の関連について説明してくれるか」
「ずいぶん事務的におっしゃいますね」
「現状を確認してこれからするべき作業を洗い出し、今とれる最良の手立てを選択する手順は仕事にも仕事以外にも有効だよ」
 
 カンファーとヴァイオラのここでの仕事は、王城の書庫にある古い書物の修理と整理だ。
 たとえば丸めたまま保管された古い紙片を薬剤に漬け、砕けないよう加工して広げる。穴の空いた紙につぎを当てる。薄れかけた文字を別の紙に出来る限り写し取る。異国の石板から見たままを写したきり忘れられていた資料が何語で書かれたものかあたりをつけ、翻訳専門の部署に回す。予算の都合で今すぐには手がつけられない本は、それ以上劣化がすすまないよう時間稼ぎの処置をして一覧にまとめる。
 大事なものなのかそうでないのかあいまいで、今日明日に必要になるわけでもない、もちろん今日明日で終わるわけでもない仕事を、二人は日々こつこつと続けていた。

 ヴァイオラに修理の知識はなかったが、試しにやらされた洗浄の手際が一番良かったのが採用の理由だと聞いていた。本当はカンファーの技術を引き継ぐ若い弟子が入れば良いのだが、地味な仕事でさほど儲かるものでもないので雑用で入ったはずのヴァイオラがもう五年と少しの間、実質的な助手を務めていた。
 
「そう単純にはいかないんです」
「話してごらん」
 
 古いものの修理に慣れたカンファーは急がない。
 話してごらんと言いながら手元の本に向き直り、綴(と)じ糸が切れてばらけた紙を一枚ずつひろげて丁寧に確認する作業に戻ってしまった。
 
 ヴァイオラがふたたび口を開いたのは、カンファーがふたつに分かれた本の後ろ部分を繰(く)りはじめてからのことだった。
 
「バーリーは……恋人を、家に連れてきて、結婚するんだと言いましたが、それだけでなく私にも結婚を勧めたんです。
 そのとき私が何を思ったかお分かりになります?」
 問いかけのかたちにはなったが、当てものごっこを強要するつもりのないヴァイオラは自分で答えた。
「バーリーを恩知らずだと。母親代りに育ててくれた姉を用がなくなったとたんに放り出す薄情な弟でなさけないと思ってしまったんです。
 おかしいですよね。
 私は、私こそ、たったひとりの、親代わりになって育てた大事な弟の結婚を何をおいても喜んであげられない薄情な姉なんです。そんな私がバーリーのことを薄情だなんて非難できるはずがないんです。むしろ私が育てたせいで弟までそんな薄情な子になったのかもしれません」
 自虐的に語るヴァイオラに目を向けることなく作業を続けるカンファーが言った。
「弟君の言い分は新しく趣味を見つけた若者が周囲にその趣味がいかに素晴らしいかを訴えるときの熱狂と同じなんじゃないのかね」
 少しばかりずれた感想に、ヴァイオラは膝の上でそろえた自分の節ばった手を見ながらほんの少し微笑んだ。

 ヴァイオラを刺したバーリーの言葉をここで口にして再び傷つきたくなかったし、自分の身内があれほど薄情な言葉を吐いたことをカンファーに打ち明けたくはなかったのは確かだが、さっきの簡単な説明ではヴァイオラがなぜ家を飛び出したかまでは伝わらなかったのだろう。
 しかし少々ずれてはいたものの、結婚を趣味と同列に並べるカンファーの考え方にヴァイオラの心はやや救われた。これでもしカンファーが一緒になって「そうだ結婚はいいぞ」と言い出しでもしたらヴァイオラは立つ瀬をなくしていただろう。カンファーが独り身であることをこれほどありがたく思ったことはない。

「バーリーにとってはそうだったのかもしれませんね。
 それでも弟の幸せを真っ先に祝ってあげられなかった自分の心持ちが苦しくて。そして今この瞬間にも弟のことよりも、そのとき自分がどう思ったかばかり考えているのが恥ずかしくて。
 結局のところ、無償の愛を注いでいたつもりが、ずっと私は愛情に見返りを求めていたんだと今さら気付いたというわけです」
 あまり重たく聞こえないよう明るい声をつくって話を終えたヴァイオラに、紙をまとめてとんとんと揃えながらカンファーが普段通りの口調で言った。
「理想をいえばそうなんだろうが、聖人でもないかぎり人は大なり小なり見返りを求めるものじゃないのかね。他人の私からは、君は常に自分のことよりも弟君のことを優先しているようにみえたし、そこに見返りというか情を求める気持ちが多少あったとしても実際にしてきたことを思えば欲張りという程ではないように思うよ」
 ヴァイオラはカンファーの横に並び、そろえた紙束に手を添えた。
「手伝います」
 カンファーは返事のかわりに手を放し、ヴァイオラが支える紙束の真ん中を二枚の板で挟んで斜めにならないよう握りばさみで固定した。

 カンファーは固定した薄い束を、細く切った革にかがりつけはじめた。ヴァイオラはその横で同じ長さに切った糸の準備をする。折丁(おりちょう)ごとに同じ作業を繰り返す。
 無言のまま滑らかに進む作業がヴァイオラの心を落ち着かせていった。
 単純作業はいい。決まった手順があってすべきことを正しい順番に進めるだけで正しい結果が出る。悩む余地がない。

 ふと目を落としたヴァイオラは、視界に入った袖口からやっと自分が灰色の外套(がいとう)を着たままでいることに気付いた。あとで脱いで、糸や紙の切りかすがついていないか確認しなくてはいけない。

 他人といいつつカンファーの意見はだいぶんヴァイオラ寄りのように聞こえたが、それは傷ついたヴァイオラにとってありがたく暖かいものだった。
 どうやらヴァイオラが欲しかったのは公平な意見などではなく共感と慰めだったようだ。

 早くに両親を亡くし、幼い弟とふたりで生きてきたヴァイオラはこういった相談ができる相手をあまり多くもたなかった。普通の家庭であたりまえに起こる家族同士の衝突を見聞きしておらず共感できないヴァイオラは、お互いに悩みを打ち明けあう、夜遅くに突然訪ねていって話を聞いてもらうほど踏み込んだ人間関係を築く方法を知らず、それをするための余分な時間ももっていなかった。
 そう考えると結婚や家族愛に強い思い入れのない(らしい)カンファーが自分の上司で、今晩ここにいて話を聞いてくれたことはヴァイオラにとってかなりの幸運だった。

 今夜カンファーが工房に残っていなければ、冷たく硬い長椅子の上でひとり外套にくるまって、胸の奥で鉛のように固まった気持ちを抱え夜を過ごしていただろう。しわだらけにすることを考えたら、切りかすの心配など可愛いものだ。

 慣れた作業と静かな時間に冷静になったヴァイオラはやがて、自分の怒りの原因のひとつに思い至った。
 常に公平であろうと心がけているヴァイオラは、ひとつ息を吸うとカンファーに告白した。
「私がバーリーに腹を立てたのは、本当のことを言われたせいもあると思うんです。確かに私は弟の世話をいいわけにして怠けていました。身なりに気を使って殿方の気をひく努力を煩わしいと思っていたんです」
「君の身なりが悪いとは思わないがね」
 ふたたびのずれたカンファーの感想に、ヴァイオラは苦笑した。
 しかしその笑いはさっきまでの胸を穿(うが)つような痛みを伴わなかった。
「だらしない格好をしないようには気を付けていますが、それだけです。普通の女性はもっと自分が一番綺麗に見える色や服や髪型にこだわって、お金があってもなくても工夫をしていますよ」
「君はその努力が煩わしいというだけで、結婚自体はしたかったのか?」
「……考えていなかったというのが本音でしょうか。とにかくバーリーが一人前になるまではと思ってきたので。自分の口を養うくらいはできていますし、今さらという気もします」
「ふむ」

 カンファーはそういってからしばらく黙り込み、二つに分かれた元の表装から古い膠(にかわ)と裏板を削り取った。ヴァイオラも無言でカンファーの作業を目で追い、必要な時には手を貸した。
 作業を終えたカンファーが言った。

「君に結婚を申し込もうかと思うんだが」

 ヴァイオラは目を瞬(しばたた)かせた。
 カンファーの口から、そんな言葉が出るとは思ってもいなかった。
 いい歳をした独り身同士という境遇に安心してつい本音をこぼしたのは共感が欲しかったからで、決して上司を異性と見て水を向けたつもりではなかった。

 カンファーは水につけてふやかした膠(にかわ)を火にかけ木べらで混ぜ溶かしながら、言葉につまるヴァイオラに説明を補足した。

「この仕事を続けるなら、いちど異国の工房の技術を見せてあげたいと思っていた。しかし未婚の女性を独り身の私が連れまわすわけにはいかないし、君は弟君の面倒をみるのに忙しそうだったからその機会はないものとあきらめていた。養女にとも考えたが、弟君との縁が切れるのは望まないだろうし」
「まあ」
 ヴァイオラは自分でも馬鹿みたいな返事だと思ったが、これ以外に返す言葉をもたなかった。
 カンファーは手を休めることなく続けた。
「弟君はいつも満たされてきたから、姉の愛情は無限に湧くものだと思っているんだろう。それは薄情というよりは無垢で幸せな子供時代を過ごしたということなのだろうが」
 そこでカンファーは溶けた膠の器から、雫が垂れないよう静かに木べらを外した。
「そうは言ってもそろそろ弟君には少しそのありがたみを感じてもらわなくては」

 ヴァイオラはそこでやっと気がついた。
「……カンファーさん、もしかして怒っていらっしゃるんですの?」
「ああ、腹立たしいね。血のつながりはなくても君のことを親戚の娘さんくらいには身近に思っていたんだ。その君がたかが結婚していないだけのことで弟君から非難されて真っ白い顔で夜道を歩いてきたんだ。腹も立つだろう」
「ありがとう……ございます」
「君の歳に釣り合う結婚相手をどこかから引いてきてもいいが、君と結婚すれば工房巡りに一緒に連れていけると思いついてね。しかしこれは私にとってだけ都合のいい話だから断ってくれても構わないよ」

 カンファーがヴァイオラにいわゆる恋慕の情を抱いていないことは分かる。
 正確な歳は知らないが、たまに聞く若い頃の話からカンファーはヴァイオラの父親より少し若いくらいではないかと思う。本人が言うとおりヴァイオラと釣り合う歳より上ではあるのだろう。

「カンファーさんには他に結婚したい方はいらっしゃらないんですか?」
「したいと思ったのはこれが初めてだよ」
「ご迷惑じゃありませんか?」
「私から申し込んだのになぜ迷惑だと?」

 ヴァイオラが思うにカンファーは結婚よりも弟子をとりたいだけではないかと思う。
 しかし現実問題としてヴァイオラが未婚の娘であっても、だれか他人の妻となっても、カンファーに弟子入りするのは難しい。

 ヴァイオラは改めて自分に問いかけてみた。
 未来のいつか、誰かに道ならぬ恋をしてこの申し出を受けたことを後悔するだろうか?

 否。
 ヴァイオラは自分に答えた。
 習慣を変えることを好まない自分の性格はよく知っている。
 これから見ず知らずの誰かと縁を結ぶ想像より、もう何年も、起きている時間の半分以上を共に過ごしてきたカンファーと一緒に歳を取っていく想像の方がずっとたやすかった。

 ここからの作業では手早さが重要になる。
 カンファーは大きな板の上に裏打ち用に切った革を広げ、溶かした膠をつけた刷毛を縦横にはしらせた。その上に元の表装を二枚つきあわせてずれないよう重ね、さらにその上に、下に敷いたのと同じ大きな板を被せて握りばさみで数か所を固定した。

 板の水平を確認しているカンファーに、ヴァイオラが短く言った。
「お受けします」
「よかった」
 短く答えたカンファーが詰めていた息を吐いたのは、仕事の区切りがついたせいなのか違う理由なのか。

 膠が乾くまでの間にカンファーはもう一度、熱くて少し濃いお茶を淹れてくれた。
 それから小指にしていた金の指輪を無造作に外し、ヴァイオラに差し出した。
「これを」
「では、私はこちらを」
 ヴァイオラは外套の鉄の留め具を代わりに差し出した。
 カンファーは受け取った留め具を上着の襟につけ、ヴァイオラは指輪を左手の人差し指にはめた。
 この国の結婚は、身に着けているものを交わすことで成立する。その際に家族や親戚、友人知人を招いての祝宴を開くことが多いが必須ではない。

「なるべく早く工房の休みを申請して旅に出よう。雪が降る前がいい」
 カンファーの満足げな横顔を見て、ヴァイオラはにこりとした。
 たぶんカンファーは結婚をではなくヴァイオラを連れて工房巡りができることを喜んでいるのだが、それでもただ義憤に駆られ勢いで結婚を申し込んだのではなく、カンファーにとってこの結婚が喜ばしいものであるのはヴァイオラにとっても嬉しい。

 ふたりが結婚している間に、表装の方もぴったりと貼りついていた。
 それをさらに綴(と)じた本の表紙板を包むようしわの出ないよう貼り、その上から板で挟んで握りばさみで固定した。
 元の表装を接ぎあわせページの縁も削っていないので見た目は元の本と変わっていないが、二つに分かれていた本は一冊の本として再生されていた。

「この本を届けたら、君の家まで送っていこう」
 ヴァイオラは今後について具体的な話をしていなかったことをちらと思い出したが、カンファーは更に続けた。
「私の、いや、私たちの家にはいつ移ってくれても構わない」
 ヴァイオラは微笑んで言った。
「いくつか荷物を持っていきたいので、私の家に着いたら少しお待ちいただけますか?」

* * *

 ヴァイオラが扉を開けると、バーリーがあわてた様子で玄関まで迎えにきた。
「こんな遅くまでどこで何してたのさ、姉さん。その人だれ?」
「カンファーさん、こちらが弟のバリーです。バリー、こちらカンファーさん。工房に行ってカンファーさんと結婚してきたわ」
「俺のせい!? そんなつもりじゃなかったのに!」

 後悔を顔一面に貼り付け叫んだバーリーを見てヴァイオラは思った。
 きっとバーリーは薄情というよりはただ自分が人生の主役だと思っていただけなのだろう。姉の人生においては自分が脇役にさがることなど考えもしていなかったのだろう、と。
 ヴァイオラはそのことではバーリーを責められない。ヴァイオラ自身、ずっとバーリーを主役の位置に押し上げようとしてきた自覚はあるので。
 でももうそれも終わりだ。ヴァイオラがバーリーの舞台から降りるにはちょうどいい頃合いだった。

 すぐ終わるからとカンファーに椅子だけ勧め、ヴァイオラは自分の部屋へ荷物を取りに向かった。
「もしかして姉さん、前からあいつと付き合っててずっと俺のために結婚を延ばしてたの?」
「別にそういうわけじゃないのよ」
 後をついてくるバーリーにおざなりな返事をしながら、ヴァイオラはあまり多くない服などをまとめて鞄に詰めていった。
「じゃあなんで! 急に結婚なんておかしいよ、気が変わったらどうするんだよ」
「大丈夫でしょう。カンファーさんは古いものを大事にする人だから」
「そんなの理由にならないよ! やめなよ姉さん」
 同じ口で結婚しなよと言ったのはつい数時間前のことではなかったか。結婚しろと言った時も、今も、バーリーに深い考えはないのだ。

「残りの荷物はまた近いうちに取りに来るわ」
「まさかこのまま出ていくの?」
「結婚したら一緒に住むのは当たり前のことでしょう。仕事着の替えは明日と明後日の分まであるから、その後は自分で洗濯するか洗い屋に出してね。ひとりでも食事はちゃんととるのよ。掃除も休みの日にはしてね」
「……俺のこと嫌いになったの?」
 捨てられた犬のような顔で訊くバーリーに、ヴァイオラはやさしく答えた。
「好きよ。壊れた本と同じくらい」
 何のことか分からないという顔をしたバーリーをひとり残し、ヴァイオラはカンファーが開いた扉の向こうへ踏み出した。

end.(2017/09/05)

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