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フライディと私 02

 帰ってきたフライディを見て、私はまた悲鳴を上げた。
「そんなに怖がられるとショックだな」
「だって顔が怖い」
「うわっ、もっとショック」
「ひげはえてるし」
 私のお父さんはひげを伸ばしていないし、こんな風に伸ばしっぱなしにしているのはたまに見るホームレスの人しかいないからやっぱりぱっと見が怖い。話してみれば喋り方もちゃんとしてて全然怖い感じじゃないんだけど、こんなところにひとりでいる人を信用するにはためらいがあるし。
 そう思ってはっとした。
 私だって『こんなところにひとりでいる人』だ。フライディは好きでここにいるわけじゃない。私と同じ遭難者だ。親切にしてもらっておいて顔が怖いと言うなんて、私はひどい恩知らずだと思われただろう。

「充分休めた? 何か食べた?」
「ううん、お腹空いてない」
「これ噛んでみて」
 フライディがプラスチックの密閉容器から取り出したドライフルーツをくれた。言われたとおりに噛んでみると、甘みが口の中にひろがった。唾液がわく。
 ぐう、とお腹が鳴った。それを聞いてフライディが笑い出した。
「さあ、火がおこせるかやってみようか」

 火はおこせた。でも大変だった。
 手帳についた小さなペンのような棒と、カッターの刃みたいな小さな板で火花を飛ばすところまでは簡単だ。それで燃えやすい枯草に火をつけるのもわりとすぐできる。
 だけどそこからその火が燃え尽きる前に太い枝に移すのは大変だった。赤くはなるけど炎が出ないで白くなって消えてしまう、足した枝に火がつかない、そうしている間に元の枝が燃え尽きる。
 やっとちらちらと揺れる火が消えそうにないと確信できた時には、下を向いて熾火を吹き続けたせいで頭がくらくらした。

「ここまできたら大丈夫だろう。沸いたら呼んで」
 フライディは焚火の上にどこかから持ってきた網を渡し、その上に水の入った鍋を乗せて建物の中に消えた。
 しばらくして何かをひきずる音と一緒に再び現れたフライディは、ひきずってきたベッドのマットレスごと焚火のそばへと戻ってきた。
「それは?」
「君の寝床。湿ったベッドより焚火臭い方がましだろう」
 そう言いながらフライディは沸いたお湯に何かの葉っぱを入れて香りをつけ、カップに移して私に手渡した。自分はカップを手に立ったまま、時々マットレスの位置を調節している。代わるという申し出は断られ、それよりフルーツを食べるようにと勧められた。

 お腹が空いたつもりでいたのに、サバイバルナイフで皮をむきながら二つほどの実を食べたらもうお腹がいっぱいになってしまった。
「寝る前に歯みがきを忘れずに」
 お母さんみたいな言葉に思わず噴き出した。
「歯みがきまであるの?」
 フライディが人の悪そうな笑顔でにやりとした。
「知らないの? サバイバルでは塩と小枝で歯を磨くんだよ」
「知らないよ。サバイバルなんてしたことないもん」
「ようこそ、フライディのサバイバル講座へ。レッスンワン:歯みがき」
 教養番組の講師のようなフライディの口調に、私はくすくす笑った。手招きされて立ち上がった瞬間、視界が回った。
 フライディがとっさに私の手首を掴んだ。私は反射的に手を抜いて逃げようとしたけど、男の人の力には敵わなかった。
 私の手首を握ったまま、フライディが冷静に告げた。
「ロビン。君、熱があるみたいだ」

 それは私にとってこの島で過ごした中で一番辛い晩だった。
 真っ暗な廃墟の床、燻った匂いのするマットレスの上。布団の代わりにあるだけのタオルや布をかけられたけどそんなものでは私の寒さには全然追いつかなかった。寒いと言い続ける私を見かねたように回された腕の圧迫がほんの少し寒さを和らげてくれたものの震えは止まらず、頭と関節がきしむように痛んだ。
「痛い、寒い」
 私は繰り返しそううめいていた。泣いていたかもしれない。フライディはときどき手のひらで額の熱を測ったり水を飲ませてくれたりした。
「ごめんね、君のためにできることがあまりなくて」
「家に帰りたい」
「そうだね」
 そうやって、私のうわごとのような泣き言に根気強くつきあってくれたフライディは、私が熱くてたまらないと言い出すと今度はタオルであおいでくれた。

 フライディの献身的な看病のおかげか、もともと日焼けかショックで出た熱だったのか。
 外が明るくなってきた頃、熱が下がって身体が楽になった。それからフライディと私は眠気に耐えられなくなって少し寝ることにした。

 起きた時はまたひとりだった。ちょっと心細くてきょろきょろしていたら曇ったガラスドアの向こうに人影がみえた。
 入ってきた人を見て悲鳴をあげた。
「ひどいな、人の顔を見るたびに悲鳴をあげるなんて」
「だって顔が違うよ、フライディ」
 フライディは、昨日私を驚かせたひげを短く切って現れた。
 ひげのないフライディは思ったよりずっと若かった。それになかなかのハンサムだった。
「顔が怖いと言われちゃったからね。レディの前でだらしない格好をしてると失礼だし。でもサバイバルナイフじゃこの程度しか切れなかったからこれでご勘弁下さい」
「私――あなたと会うの初めてだよね?」
 何故だろう。彼の顔を見るのが初めてじゃない気がした。
「デジャヴっていう奴かな。僕と君は生まれる前から出会う運命だった――なぁんてね」
 そんな下らない軽口も昨日ならきっと腹を立てたのに、なんだかどきっとしてしまった。自分でもあんまり見た目に弱すぎだと思った。

 こうしてフライディと私の『原始的採取生活』は始まった。

 食べ物は種類はともかく量は充分だった。客室の日焼けしたカーテンをはがしてパレオ代わりに巻き、フロントロビーに敷いたマットレスで寝て、朝起きたら外に出して風を通す。ホテルに残っていた業務用のシャンプーとボディソープは使い放題。
 そんな風にして救助を待つ日々は何よりも退屈が辛かった。
 廃ホテルの部屋を巡っても珍しい発見はない。そもそも全室フライディが探検した後だ。ひとりで島を探検しようとしたら、危険なことをするなと止められてしまった。
 雨風がしのげて、食料と水と話し相手兼召使まで用意された無人島に流れ着いた幸運を何とも思ってないのかとからかわれたけど、既に得たものへの感謝はなかなか難しい。

「フライディの仕事は何?」
「今は兵役中。その前は色々」
 フライディは隣のメルシエ王国の人だった。普段は軍艦に乗っているのだそうだ。
「へえ。楽しい?」
「どうかな。ロビンは? 学校は楽しい?」
「友達と会えるのは楽しい。でも勉強はあんまり好きじゃない。特に数学が嫌」
「数学、苦手なの?」
「二次方程式を習ってる時につまづいたの。試験が終わったからもういいやと思ったのに、忘れた頃にまた二次方程式が出てくるから」
 フライディがにやっと笑った。
「じゃあ、お互い暇をもてあましてることだし数学の勉強でもしようか」
「えええええっ!?」
 冗談だと思ったけど、冗談じゃなかった。
 フライディはむちゃくちゃ数学が得意だった。砂浜に枝で問題を書いては私に解かせた。
 最初は全然できなかったけど、他にやることがないからさすがに私にも段々正しい解が分かるようになった。やったと喜んでいたら「今日からは三角関数」と言われてがっくりきた。まさか無人島に家庭教師がいるとは思わなかった。
 
 私の無人島生活は、フライディがいなければ成り立たなかった。私ひとりだったらホテルも水も食べ物も見つけられずに死んでたかもしれない。軍でサバイバル訓練を受けたら君にもできるよ、と言われたけど、それだけじゃなくてフライディは本当に色んなことを知っていた。

 浜に行っていたフライディは戻ってくると、手に持った黒いゴムの板を私に差し出した。
「履いてみて」
「何これ?」
「かの有名なホー……まあいいや、フリップ・フロップ(ビーチサンダル)だよ」
 黒い板は二枚あって、確かにいびつな足型をしていた。ひっくりかえしてみると、タイヤを切って作ったものらしく地面につく方がごつごつしていて、反対側に足を通す細いベルトが何本か出ている。フライディの足元を見ると、彼も同じものを履いていた。
「ブーツを脱いだ時用」
「――ありがとう」

 子ども扱いするフライディに時々我慢できないくらい腹が立つこともあったけど、やっぱりフライディと比べると私は何も知らない子どもだった。

 寝るときもフライディと一緒だった。マットレスを二つ並べて置いて手をつなげる距離にいてくれたのは、私が頼んだからだ。月のない夜に目が覚めても、名前を呼べばちゃんと答えてくれた。
 フライディはよくひとりで平気だったね、と言ったら笑っていた。そりゃあフライディは大人で私は子どもで、フライディは男で私は女だから、笑われてもしょうがないかもしれないけど。何もかもしてもらうことが時々たまらなく恥ずかしかった。

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