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Goin' to the Zoo 3

 子ゾウはキャットが思っていたよりずっと大きかったものの、親のミニチュアのようなこじんまりとした可愛らしさがあった。しきりに親ゾウに鼻を絡めて甘えていた。
「可愛いね」
 目を輝かせるキャットに笑いかけられたケンは、同意を促すキャットに答えなかった。
 キャットは気にせずまた檻の向こうを見直した。
 ケンは子ゾウではなくキャットの横顔を見ていた。

「あんまり前にいたら悪いから、そろそろ後ろの人と代わろうか」
 しばらくしてキャットにそう言われて、はっとしたケンが我に返った。
「う、うん」
「赤ちゃんゾウはお肌も柔らかそうだったね。甘えん坊だし。ああ、可愛かったな。ありがとうケン、誘ってくれて嬉しい」
 にこにこしながらゾウについて話すキャットに、ケンは短い相槌を打ちながらついていった。
 
 ようやく二人に追いついたローズとフェイスが、並んで歩く二人の後ろ姿を見つけた。
 キャットが横を向いてなにごとかケンに話しかけ、ケンが少し遅れて言葉を返しているらしかった。大学で二人が話をしている時とほぼ同じだ。
 でもひとつ違うことがあった。

 いつもケンはキャットを正面からは見つめない。その代わりキャットの横顔を、後姿を、時折確かめるように捜しては、キャットが気付く前にすっと視線をそらしていた。フェイスがケンの気持ちに気付いたきっかけはその不自然さだった。
 今日のケンはデートだからなのか、もうすぐ帰国するという名残惜しさなのか、キャットの横顔から視線を外すことなく長い時間見つめていた。
 それでもやはりキャットに話しかけられるとケンは視線を長く合わせられないようだった。

 ローズがぽつりと言った。
「キャットに付き合ってる人がいること知ってて誘ったのかな」
「どうだろう」
 キャットが誰と付き合っているのかは少しずつ知られてきてはいたが、友達の少ないケンがそれを含めてどこまで知っているのか二人には分からなかった。

 その後もキャットが先頭に立って順番に動物を見て回った。
 キャットはひとつひとつの檻の前でずいぶん時間をかけて動物達を眺め、ケンは少し退いてそのキャットを眺め、ローズ達は更に離れた場所からその二人を眺めるという図式を崩さずに全員が園内をしずしずと移動していった。
「少し座って休まない?」
 ケンがキャットを誘い、二人は公園内のカフェで休憩をとった。
 ローズとフェイスもそこから少し離れたベンチにほっとして座り込み、足を休めた。

 お互いに自分の飲み物を買って座ったテーブルで、ケンがキャットに言った。
「大学で、よく君が声をかけてくれて嬉しかった。教授の言うことが分からなくて困っていた時にはほんとにありがたかった」
「ケンが困ってた時なんてなかったでしょ?」
「よくあったよ。グループワークでは君が発表を担当してくれたおかげでずいぶんいい評価ももらえたし。他にもレポートの書き方とか、色々相談に乗ってくれてありがとう」
「お礼を言われるようなことじゃないよ。――ねえ、ケンの家までここからどれくらいかかるの?」
「飛行機は直行便で一三時間。そこから更に電車で四時間」
「わぁ、そんなに遠いんだ」
「うん。だから次に来られるのはいつか分からない」
 
 ケンが目を伏せた。
 キャットが静かに言った。
「ケンがいなくなるの、寂しいな」
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しい。この国に少しでも自分の居場所があったんだって思える」
「いつ帰るの?」
「明日の昼」
「――そんなに早いの?」
「うん。父の葬儀があるから。後のことは人に頼んで帰ることになった」
「そんな忙しい時にこんなことしてて大丈夫なの?」
 キャットの問いかけに、ケンが珍しく声を立てて笑った。
 キャットにはそのおかしみが分からなかった。チップなら分かったかもしれなかった。
「もちろん。こんな時だから誘ったんだよ。今日は来てくれてありがとう」
「どういたしまして。赤ちゃんゾウのこと教えてくれてありがとう」
「――あげる物があるんだ」
 ケンが突然そう言った。傍らに置いたバックパックから、薄い包みを取り出した。
「なあに?」
「ハンカチ。僕の国の土産物」
 キャットは包みを開いて、中に入っていたエキゾチックな柄のハンカチを広げた。
「わあっ、綺麗だねぇ」
「たいしたものじゃないけど、記念に」
「ありがとう。大切にする」
 キャットが微笑んで言った。
 ケンが不意に下を向いた。
「どうしたの、ケン」
「ごめん。少しセンチメンタルになってるんだ」
 キャットは少しためらって、顔を上げないケンの肩にそっと自分の手を乗せた。
 しばらく二人はそのまま身動きをしなかった。
 
 ローズとフェイスは遠くからその光景を見ていた。
 ローズ達には二人がどんな会話を交わしていたのか分からないから、キャットがハンカチを広げ、それからケンが下を向いてキャットがケンの肩に手をかけたことしか分からなかった。
「何話してるんだと思う?」
「わからない」
「お父さんのことかな。それともキャットに振られたのかな」
「あっ、ケンが立ち上がった」
 
 ケンはキャットの手を静かに外し、黙って席を立った。ケンがバックパックを置いたままだったのでキャットは席を離れなかった。
 しばらくたってからケンが帰ってきた。
「閉園までに全部回れるかな」
「うん。頑張ろうね」
 何事もなかったように話しかけてきたケンに、これも何事もなかったようにキャットが答えた。二人は残りの動物達を見るためカフェを出た。

 やがて、日が傾きかけて閉園時間が迫ってきた。
 広い園内を半日歩き回ったせいかケンは少し疲れた様子だった。
 キャットはテニスで鍛えているだけあって来たときと変わりなく元気そうだ。

 二人は園内をぐるっと回って最初に入った正面ゲートに戻ってきていた。
「今日はありがとう。夢みたいな日だった」
 ケンが笑顔でそう言った。
 
 キャットも笑顔を浮かべようとし――ケンの目を見て失敗した。
 キャットの目には笑いの代わりに涙が浮かび、みるみるうちにその涙は溢れて零れた。
「ケン、ごめんね。元気でね」
「うん、キャットも元気でね。ありがとう」
 涙を零すキャットをケンが笑顔で慰めた。ケンはキャットの肩をぽんぽんと叩いて、それからケンが片手を挙げた。
「じゃあさよなら、キャット」
 
 ローズとフェイスは、遠くから二人を見守っていた。
 どんなやりとりがあったのか、ケンが先に背中を向け、俯いて涙を手で払うキャットが残されていた。

「行った方がいいと思う?」
「行かない方がいいんじゃない?」
 二人が躊躇している間にキャットは俯いたまま携帯を取り出して耳にあて、空を仰ぐようにしてから携帯を手に持ったまま早足で歩き出した。

 ローズ達はまだ少し迷ってから、キャットの後は追わないことにした。
 ローズが溜息をついて動物園の外に並んだベンチに座り込んだ。
 フェイスも同じような溜息をついて隣に並んだ。

 尾行を始めた時の二人はもちろん真剣だったが、それでも探偵ごっこのようで少しわくわくしていたことは否定できない。
 しかし先程のキャットの姿はたとえ友達でも見てはいけなかったような気がした。

「今日のことはキャットには」
「もちろん内緒」
「私達、なんでこんなに一生懸命だったの?」
「キャットの一生懸命さが移ったのかも」
「そういうことにしておきましょう。でもこんなことしたなんて、とても人には知られたくないわ」
 二人は力なく笑い、近くでお茶を飲んで帰ることにした。
 
 その少し前、キャットが少ししゃがれた声で電話をかけた先はチップの携帯だった。 
「フライディ、今大丈夫?」
「うん。どうしたの」
「会いたい」
「僕もだよ」
「今、動物園にいるの」
「ねえ、ラッキー・ガール。動物園の正門のすぐ前に、緑のビルが見える?」

 キャットが弾かれたように顔を挙げた。
 チップの言ったビルは捜すまでもなくキャットの目の前にあった。
「そこにおいで。一七階に僕がいる」
 

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