金の鍵 4
Calla Lily 2 / Steve L. Martin
招待客を見送って、フライディも手伝ってくれてお皿をキッチンに運ぶところまでしてから、両親と手伝ってくれたお店のスタッフに送り出された。誕生日ケーキの残りとパンをお土産に持たされた。
国境を越えてすぐにいつもの道を外れたフライディは、少し走ってから背の高い門扉の前で車を止めた。
門扉は自動で開き、フライディはそのまま車を奥へと進めた。
アプローチの先にある屋敷は玄関だけがぼんやりと光り、他の窓に明かりはみえない。
フライディは正面に車を止めた。いつもなら誰かが現れてガレージに車を動かすところだけど、出迎えはなかった。扉もまだ閉まったままだ。
フライディは助手席のドアを開けて私が降りるのに手を貸してから、そこに車を置いたまま私を連れて玄関ポーチの階段を登った。
「ここ、誰の家?」
「前は友達の家だった。今は僕の家、というか私有財産」
「買ったってこと?」
「うん。前に君、『庭に池があるのっていいな』って言ってただろ」
何かさらりと恐ろしいことを言われたような気がしたけど、今は問いただすだけの余裕がなかった。
フライディも私の反応を待たずに鍵を取り出し、扉を開くと私が通れるように押さえた。
私に続いて入ったフライディの後ろでドアが閉まった。
鍵をかけてから私の前に立ったフライディは、両手で私の頬を包んだまま口をきかなかった。
震えているのが伝わってしまうだろうかと思いながら、フライディが口を開くより先に言った。
「寝室はどこ?」
フライディが私の手を引いて正面階段を上がった。上がってすぐの扉の向こうが広い寝室だった。
ドアを開けたフライディの横をすり抜け奥へ進もうとした私を、フライディが後ろから抱きしめた――
――まぶたの裏の明るさで、部屋が明るくなっていることが分かった。
横で時折ページをめくる乾いた音がしていた。
目を開けて、そのまま静かにフライディの横顔を見つめた。
フライディは重ねた枕の上で頭を起こして数学の専門誌らしい雑誌を読んでいた。
ページをめくりながらなにげなく目を上げたフライディが、私の方を向いて驚いた顔をした。
「いつから起きてたの? おはよう」
「おはよう」
フライディが身を乗り出して軽く唇にキスしてから、目の下にもキスをしてくれた。
「もっと寝てていいよ。まだ寝足りないって顔してる」
寝直すかわりに、シーツの下を泳ぐようにしてフライディに寄り添った。
「フライディ。愛してる」
「愛してるよ、ロビン。体はつらくない?」
私の体に腕を回して、フライディが優しく訊いてくれた。
フライディは本当に本当に優しかった。一度もふざけたりからかったりせず、私をちゃんと大人の恋人として扱ってくれた。いろんな言い方で愛してるって言って、宝物みたいに大切にしてくれた。それに男らしくて、思いやりがあって……思い出したらまた心臓がどきどきしてきた。
フライディの胸に頬をすり寄せてぎゅっと抱きついた。
「あのね、どうしてフライディが理想の恋人なのか分かった」
とたんにフライディが雑誌をどこかへ放り投げた。
「あああっ、もうっ、ロビン……『もっと寝てていい』なんて嘘だよ。本当は君が起きるのをじりじりして待ってたんだ」
そう言いながら私にかぶさってきたフライディは……苦笑しながら顔を上げ、私の頬を軽くつまんだ。
「まず一度起きようか。そういえばもう昼近い」
パジャマの上は私が着ていたので、フライディはパジャマの下だけで寝ていた。
ベッドから降りるフライディの何も着ていない背中を目にした途端、しなやかな筋肉の感触が指先によみがえって全身が熱くなった。
あわてて目をそらしたら、違うものが目に入った。
思わず驚きが口に出た。
「この花――」
昨夜は全く目に入らなかった、壁際の大きな花瓶にたっぷり生けられた白いカラーの花。
部屋の中央にあるテーブルの上にも更に大きな花瓶に同じ花が。
ベッドを降りかけたまま動けなくなった私をフライディが振り返った。
「部屋を薔薇で一杯に……っていうのも考えたんだけど、どうも君のイメージじゃなくてね。僕が思う君はこっちなんだ」
「私?」
「伸びやかで芯がしっかりしてて、触れたくらいじゃ散りもしないし折れたりもしない」
優しく微笑んでそう言ったフライディが急に慌てた顔になった。
「ロビン、ロビン。僕はまた何かへまをした?」
首を横に振ったら涙が零れてしまった。
自分が恥ずかしくて両手で顔を覆った。
あの花束、もっと喜んであげたらよかった。
ただ寮に持って帰ってミセス・テイラーに渡して、飾られてからは胸の痛みを思い出すのが嫌でろくに見ようともしなかった。
花をくれたときに今みたいに言ってくれたら良かったのに。
ううん、私が拗ねて箱のことで憎まれ口を言ったりしたからフライディは言えなかったんだ。
プレゼントで愛情を量ったりしてはいけませんって、ちゃんとお母さんから言われてたのに。
「フライディ、誕生日に貰ったお花大事にしなくてごめんなさい。そんな風に思って選んでくれたなんて思わなかった。ただ手品の仕掛けみたいに目をひく花束を用意しただけなのかと思ってたの」
「僕こそせっかくの十八歳の誕生日プレゼントでふざけたりしてごめん。君をがっかりさせた」
フライディに抱きしめられ、しゃくりあげながら首を横に振った。
フライディがそっと私の手を顔から外して、優しく慰めるようにキスしてくれたから余計に涙が止まらなくなった。
今までも充分フライディのこと好きだと思ってたけど、全然まだまだだった。
フライディがよく『もっと僕のこと好きになってほしい』って言うのはふざけてたんじゃなくて、本当に私の好きは全然足りてないんだ。
昨日より、昨夜より、今朝より、もっとフライディのことを好きになってる。でもきっとこれでもまだ全然フライディの好きには敵わない。
「庭に出てみない? 君に見せたいものがあるんだ」
私がようやく落ち着いた頃、フライディは静かに微笑んで言った。
服に着替えてから二人で階段を下り、昨日入ってきた正面玄関ではなく階段の横にあるドアから庭に出た。
そこにはアンの家の庭園みたいに自然な感じを作ったのとは全然違う、伸び放題の景色がひろがっていた。
荒れた屋敷を買ってまだ手入れをしてないんだろうか。
でも昨夜見た門から玄関までのアプローチはこんな風じゃなかった。
「ここ、いつ買ったの?」
「一年くらい前」
一年前といえば私達が付き合いだした頃だ。
フライディがどこにいくつ屋敷を持っているのかは詳しく聞いたことないし、もちろんいちいち私に言うことでもないけど、どうして一度も言わなかったの? それしてもここ、なんだか――
「ここの庭、ちょっと懐かしい感じがするだろう」
「あ!」
さっきから感じていた不思議な居心地の良さの理由が分かった。
生えている植物は全然違うけど、まるっきりの自然じゃなく一度人の手が入ってから自然に戻った感じが私達が出会ったあの島に似てるんだ。
あの時は道らしきものを辿った先は『ホテル・無人島』だったけど、今日フライディが私を導いた先は昨夜言っていた池のほとりだった。
背の高い草の向こうで、小さな魚が群れになって泳ぐ背中がきらきらと光った。
屋敷を背にして石造りのベンチにフライディと並んで座ると、池の向こう、木の梢ごしに空が見えた。
周囲を囲んだ高い壁のせいか、それとも木々と草が音を吸い込んでしまうのか、あたりは驚くほど静かだった。
「ここ、ずっと使ってなかったの?」
「たまに君を送った帰りに一人で泊まったりしてたよ。庭は手をいれないようにしてたけど、屋敷の方は二週間に一度、人を入れて管理させてる」
確かに人の気配はなかったものの屋敷の中は綺麗に掃除されていた。
屋敷の方を振り向いてから元に戻ると、フライディが金の鍵を私に差し出していた。
「ここの鍵。僕と一緒じゃなくても島を思い出したくなったらいつでも使って。下僕が欲しい時は口笛で呼んで」
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