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Nothing Special 6

「人目を惹くというのは、先程エリザベス殿下のために選ばれたような服でしょうか?
 確かに色も仕立も素晴らしいスーツですが、レディ・アンがあれをそのままお召しになってもお似合いにはなりません。堅苦しくて居心地が悪そうに見えるでしょう。
 ではミス・ベーカーのために選ばれた服でしょうか?
 ああいったデザイン性の高い服は着こなしが難しく、周囲を納得させる個性がなければただ人を驚かせるばかりで服に着られているように見えがちです。
 レディ・アンが選ばれた服は、お二方それぞれにはよくお似合いになります。しかしご自身でもお分かりかと存じますが、もしお二方と同じような服で並ばれたらレディ・アンは引き立て役になっておしまいでしょう。
 レディ・アンは誰かの引き立て役になる必要などございません。もしなるとしても、引き立てるべきはアーサー殿下ではないでしょうか。
 改めてお聞きしますが、レディ・アンが人目を惹く服をお召しになるべきだとお考えになったのは、アーサー殿下がお地味でいらっしゃるからですか?」
「とんでもない! 逆です。殿下は地味どころかいつも注目される方だから、私の垢抜けない格好で恥をかかせてはと」
「つまりご自身のためではなく殿下の横に立つのにふさわしい服をお探しなのですね?」
「もちろんです」
「それなら簡単です。無理に変わろうとなさらず、ぱっとしないと思われる服の中からお似合いになるものを選べばいいのです。
 レディ・アンに似合わない堅苦しい服はエリザベス殿下が引き受けて下さるんですから、レディ・アンはもっと違う服の宣伝をなさった方が国益にもなりますわ」
「……はい」

 アンはとりあえずそう返事をしたものの、今言われたことがストレートに頭に入っていかなかった。
 ……自分は今、垢抜けないままでいろと言われたのだろうか?

「アーサー殿下は、周囲に自然に人の輪ができるというよりは、少し離れた位置から仰ぎ見られる、どちらかといえば堅苦しい雰囲気のお方です。威厳も重厚さも王太子としては大変好ましいイメージですね。
 ではそんなアーサー殿下の婚約者に周囲が期待するのはどんなイメージでしょう。堅苦しさ? もう充分ですよね。では華やかさ? 多少はあってもいいですが、あまり華やかすぎるとアーサー殿下を引き立て役にしてしまう恐れがあります。それはレディ・アンのお望みではございませんよね。
 王太子妃という役割に一番期待される安定と継承を体現するなら、レディ・アンは家庭的で女性らしい柔らかさを王太子殿下に添えられてはいかがでしょうか。
 たとえばこのようなドレスで」
 話をしながらミラは一着のドレスを引き出した。

 さっきアンがぱっとしないと言ったワンピースは昼向けだったが、こちらは夜向けの、寒色と暖色の境目にある淡い緑のすとんとしたロングドレスだった。これもアンが安心して着られる色だ。
 言われるがままに試着して鏡の前に立っても鏡の自分に違和感がない。

「このままではゆとりが野暮ったく見えますから、こことここを絞ります。少しこちらを向いて頂けますか?」
 話をしながらミラがアンの服の袖と肩、そして腰にシルク用の細いピンを打った。
 再び鏡を覗くと、そこにはいつもよりぐっと洗練された姿のアンが映っていた。タイトで体型に添ったシルエットだが、いったいどういうわけなのかいつもはと違って下着でいるような気分にならない。
「……どんな魔法をお使いになったの?」
「魔法でも何でもありません。バランスの問題です。元々レディ・アンは二の腕と腰が細いのですからそこをもっとアピールするべきなのです。胸を目立たせたくなければデザインをアシンメトリーにしてそこに視線を集めるという手もありますが」
 そう言いながらミラは腰の位置に打ったピンを外して右脇の縫い目にドレスのゆとりを集め何箇所かピンで留めていった。
 綺麗なドレープが胸元から右腰へ、そこで折り返して今度は左裾へと流れた。
「私としては先程のようにあえて隠さない方をお勧めしたいですね。王太子殿下のご成婚で国民が期待するのはお世継ぎの誕生でしょうから、王太子妃に母性を感じると安心すると思います。そこはアーサー殿下のお好みにもよりますが」
 アンは最後の言葉でさっと赤くなった。
 アンの婚約者は好悪を口にするタイプではない。
 アートがどちらを望むかアンには全く予想がつかなかった。
「このドレスを元に新しいものを一枚仕上げさせましょう。アーサー殿下とご一緒してお好みに適うかをご確認頂いて、必要なものを足すかたちに致しましょう。でもレディ・アンの基本となるのはこういった淡い色味のドレスになると思います」
「はい」
「音楽祭の最終日に間に合うように用意させますから、お召しになって下さいね」

 毎年、夏の終わりを飾る音楽祭が一週間の日程で開かれることになっている。
 アンは王太子の婚約者として最終日の閉会式とパーティに招待を受けていたが、その日を特に指定されたことを少しいぶかしんだ。

「このドレスでレディ・アンが主役になられるように、他のお二方のドレスは少し控えめにして頂きましょう」
「それは……そんな」
 アンが慌てた。
 それはちょっといんちきではないか。
 そう思ってから、気付いた。
 さっきの言葉は、ベスだけでなくキャットもミラの顧客だという意味ではなかったか。
「ミス・ベーカーもこちらでアドバイスを受けているの?」
「他の顧客についてはお話しないことになっています」
 ミラが、アンに片目をつぶってみせた。

 音楽祭の日、メイン会場となっていたホールの貴賓席には三人の王子とその恋人の姿があった。

 王子たちは黒や紺のタキシード。ベスは光沢のある青のドレス、キャットはクリーム色のショールカラーとパフスリーブに、ふんわりと膨らんだスカートが可愛らしい紺色のドレスだった。
 アンはもちろんあの淡い緑のドレスだ。青から黒の集団の中でアンだけが、黄昏の森の女王といった様子で全身に光を集めて輝いていた。
 いつもより体に添ったシルエットも、慣れた色のおかげで着てしまえばあまり気にならなかった。

 女性たち三人は貴賓席の縁に並び、まだチューニング中のオーケストラを見下ろしてあれこれと喋っていた。
 舞台がよく見える席はまた、周囲からもよく見られることになる。桟敷席の貴婦人たちのお洒落は観客にとってもう一つの見る楽しみだ。
 ベンだけはプライベートな旅行のためいなかったので四王子揃い踏みとはいかなかったものの、運良く最終日のチケットを手に入れた観客達はオペラグラスで豪華な顔ぶれをじっくりと観察していた。

 キャットもまた、隣にいるアンをうっとりと眺めていた。
「アンのそのドレス、すごく素敵」
「キャットだって素敵よ。その衿もパフスリーブも可愛いわ」
 アンがそう返すと、キャットが口をとがらせた。
「いかり肩を隠したいならこれにしなさいってミラに言われたの」
「えっ?」
 思わずアンが声を上げた。
 反対隣でベスが笑った。
「テニスを止めたら肩は小さくなるとも言われたじゃないの。でもやめたくないんでしょう」
「うん。チップに勝つまではね」
 アンをはさんだ二人の会話に、アンも加わった。
「……やはりキャットもミラのアドバイスを受けているのね」
「うん。ベスに紹介してもらったの。チップとつりあわないって思うのが自分で嫌だったから」

 キャットの言葉に、アンは胸をつかれた。
 何もせずにキャットは気後れしない、自然体でうらやましいとベスに愚痴をこぼした自分が恥ずかしかった。
 まだアンの半分ほどしか生きていないのに、キャットは愚痴を言うのではなく行動することで居場所を自分でつくっていたのだ。

「……大変じゃない?」
 アンの問いかけを、キャットは費用についてだと受け取ったらしい。
「学割にしてくれてるの。本当はそんなのあるわけないと思うんだけど、無理してもしょうがないから今は甘えてる」

 そう言い切れるキャットの強さを、アンは尊敬した。
 

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