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孤島のシンデレラ 1

 キャットの大学生活二年目が始まっていた。
 二年目からは勉強も専門的になってくるので、皆に置いていかれないよう、初年度よりも一層頑張らなくてはいけないところだ。
 しかし面倒見が良い、というよりはお人好しなキャットは、現在のところせっせと今年入ってきた留学生や寮やテニス部の後輩達の世話を焼いていた。
 
 推察できるとおり、キャットによる手助けは善意こそたっぷり伝わるものの行き届いているとは言いがたかった。しかしそれでも世話を焼かれる彼らはおおむね彼女に感謝していた。
 誰一人知り合いがいない筈の異国で、誰かが道の向こうから自分の名を呼んで手を振ってくれる――そんな経験をしたことがある人なら、彼らの気持ちが少し分かるかもしれない。
 
 今日のキャットはフランス語圏から留学してきたマリを、生活用品の買出しに車でスーパーマーケットまで案内していた。
 幸いキャットはフランス語を(だけは)小さい頃から習っていたので、フランス語の混じる他愛もないおしゃべりを二人で楽しみながらのドライブだった。
 助手席に乗ったマリが言った。
「ねえ、キャットは聞いたことある? 『孤島のシンデレラ』」
 いきなり車が加速した。
「きゃっ!」
「ごめん、足がびくっとしたの。それより、何の話?」
「よく知らないんだけど、そういう本があるんだって。それのモデルが同じ大学にいるって。知ってる?」
 
 キャットは一度唇をすぼめ、次に言う言葉を慎重に選んでゆっくりと口にした。
「その本は知らないから、よく分からないな」

 言いながらキャットは頭の隅で思った。
 ああ、この言い方ってフライディみたい。
 
 キャットも最近気付いたことだが、不用意な発言をしないように気をつけると段々正直という美徳からは遠ざかっていくのだ。
 
 部屋を整える小物を選ぶマリに「ゆっくり選んで」と言い残したキャットは、一人で書籍コーナーへ向かった。
 隅にある検索用端末を使い本の題名から出版社と書棚の位置を確認した。
 首を傾げて背表紙を読んでいたキャットは、じきに目当ての本を見つけて書棚から引き出した。
 
「げっ」
 キャットの喉から妙な声が出た。
 
 彼女が手にした本の表紙には、情熱的に抱き合う男女のシルエットが描かれていた。
 あわてて周囲を見回したキャットは、そのコーナーには自分一人しかいないことを確認してほっとした。しかし書棚の下に似たような、ものによってはもっと過激な表紙の本が平置きされ並んでいるのにも気づいた。

 どうやらこのコーナーに置かれた本の中身は濃厚な恋愛小説らしい、ということは普段あまり本を読まないキャットにもさすがに見て取れた。
 
 思わせぶりなタイトルに、この表紙に、マリの話。

 いったいどんなことが書かれているのか、中身が非常に気になる。でも自分がこの本を手にしている姿を誰かに見られるのは――自意識過剰かもしれないが――色々な意味で嫌だ。
 そんな葛藤の末キャットは、外から見えないよう表紙を自分の体に向け、こそこそとレジに向かった。
 
 帰り道は、マリが買ったファブリックやそれを使って仕上げるというインテリア計画について熱心に語ってくれたので、キャットはところどころ短い相槌を打つだけでよかった。
 帰りもキャットの運転だったので、それほど気が入らない返事も不審がられることなく、マリが借りたフラットに彼女と大量の荷物を降ろしてからキャットは寮へ戻った。
 
 寮の部屋は今年から一人部屋になっていた。
 一年目は家から離れた孤独をやわらげ集団生活に慣れるための二人部屋、勉強が専門的になり生活時間がずれてくる二年目からは一人部屋というのがこの寮の慣習だった。
 おかげでキャットは一年目にフィレンザという親友に出会えたが、今この瞬間は一人部屋であることがありがたい。
 
 ぱらぱらとページをめくりながら、キャットはあらすじを追った。
 義理の母親に小船に乗せられた主人公が、海を漂流して小島にたどり着く。そこにはセクシーな謎の男性が一人で暮らしていた……
 
 キャットが投げた本が壁にぶつかって激しい音を立てた。
「キャット? 大丈夫?」
 ノックの音と一緒に、廊下からフィレンザの声がした。
 キャットはあわてて背表紙がぱっくり割れた本をベッドの下に蹴りこんでから、ドアを開けた。
「大丈夫。ちょっとつまづいて、手に持ってた本投げちゃったの」
 下手ないいわけだったが、フィレンザは自分の持ってきたニュースに興奮していたので気付かなかった。
「結婚式の日ね、前の晩からホテルに泊まって一緒に出かけない?」
「ホテル?」
「ええ。カルロがベッドルームが二つあるスイートを手配したって言うの。ホテルで一緒に支度してカルロに連れていってもらいましょうよ。兄もぜひどうぞって」
 
 王太子アートの結婚式はもう一ヵ月後に迫っていた。
 キャットも公式ゲストとして招待状は貰っていたけれど、その日チップは家族と一緒に行動するのでキャットの隣にずっとはいられない。
 フィレンザの兄カルロが妹の友達まで一緒にエスコートしてくれるというのなら、それはとても心強い。

 キャットは感謝を込めて訊いた。
「フィレンザがお願いしてくれたの?」
「あなたはうちの家族みんなのお気に入りなのよ」
 フィレンザは笑って言うと、同じ笑顔のままで付け加えた。
「ただしアロマライトの持込は禁止ね」
 とたんにキャットがけたたましく笑いだした。
 
 去年キャットがフリーマーケットで買った怪しげなアロマライトのせいで、二人は二週間も焦げ臭い部屋で過ごしたことがあった。
 そんな話を持ち出されたおかげで、さっき感動のあまりうるんだキャットの瞳もすっかり乾いてしまった。
 キャットは、笑顔で一言だけ告げた。
「フィレンザ、大好き」
「もちろん私も」
 
 持っていくものなど、彼女達にとっての重要事項をいくつか打ち合わせてからフィレンザが部屋を出て行った。
 キャットはフィレンザの出て行った扉に向かって微笑み、ベッドを一瞥したものの、そのままライティングデスクに向かって翌日の講義の準備を始めた。
 
 しかし夜中の二時に目を覚ましたキャットは、おもむろに身をのり出しベッドの下の闇に手をつっこんだ。
 しばらくあちこち探ってから指先に触れた厚紙をつまんで引っ張ると、背表紙一枚でかろうじてつながった壊れた本が現れた。
 
 次の朝、食堂に現れたキャットの目はうさぎのように赤かった。
 寮生たちはおおかたレポートの締め切りが近いか必読本でも読んでいたんだろうと思い、訳を聞かなかった。
 
「調子悪いの?」
 講義室の廊下で溜息をついたキャットに、反対側からやってきたフェイスが声をかけた。
 キャットは首を横に振ってみせた。
「ううん、そんなことないよ」
「でもいつもと違うみたい」
「……ちょっと寝不足かも?」
 キャットは無理に笑顔をつくってフェイスに向けた。
「じゃあ元気の素あげる」
 フェイスがキャットの目の前に一枚の絵葉書を差し出した。
 他の友達がすかさずキャットの肩越しに覗き込んで、歓声を上げた。
 
 絵葉書の中ではキャットの恋人チャールズ王子殿下が、海軍の白い礼服をまとって敬礼をしていた。
 公式ポートレイトのコピーではなく、どこかの式典で撮られたものらしく両側に同じ礼服の肩が写っていた。
 

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