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王太子の結婚 01

「それで、どちらのドレスにしたの?」
「オレンジ」
「いくらだった?」
 キャットはおずおずと金額を言った。
 
 十八歳を過ぎて成人したとはいえ学生の身分では、支出面で親に頼らざるを得ない。
 留学中のキャットは月々貰っているおこづかいから出せない大きな買い物用に家族カードを持たされている。キャットの大学にはカード使い放題という子もいないではなかったけれど、キャットの母リーは「必要な時に、適切なものを」という条件つきで娘にカードを渡し、使う時には事前の相談と事後の報告をするようにと言った。
 それを怠った時に何が起こるのか、キャットはまだ試したことがないので分からない。できれば一生分からずにいたいと思っていた。
 ――もし今回の買い物で、報告を怠ったと判断されなければの話だが。

 キャットの心臓が大きな鼓動をいくつか刻んだ後で、リーが言った。
「靴はあのベージュでいいんでしょう。ドレスの写真をメールして。来週ジャックがそちらの支店に行くから、合いそうなバッグをいくつか預けるわ」
 キャットは小さく息をはくと、はいていたジーンズで手の汗をぬぐい、椅子の背もたれに体を預けた。叱られたらおこづかいの減額で許してもらおうと思っていたが、余計なことを言い出さなくてよかった。
 
 そのドレスが、ドレス自体の価値に対してはともかく、キャットの普段の生活からは適切といいがたい値段だと気付いたのは支払いのときだった。どうやら最初に値段を聞き違えていたらしいが、もう今さら「やめる」とは言えなかった。それを着て出席する予定の王太子の結婚式までもう二週間しかなかったのだ。
 喉元にせりあがる後悔をぐっと飲み込んで伝票にサインをしてから母に報告するまでのこの数時間、キャットは母に何と言われるかと、くよくよと思いつめていた。
 しかしスタイリストのミラ・ケティがキャットのためにそれを選んだこと、母親であるリーが何も言わないことからすると、やはりそれくらいの値段のドレスが適切だということらしい。

 適切かどうかで言えばそもそも自分が……と思いかけたキャットは途中で軌道を修正した。

 結婚式に招かれること自体は特別なことじゃない。恋人のお兄さんの結婚式に呼んでもらっただけだ。たまたまそれが王太子で、恋人が第三王子だっただけ。
 王子の恋人として自分をふさわしく見せたい、本当の自分以上に良く見せたいと思うのは虚栄心だ。結婚するのが誰であってもお祝いの気持ちは変わらない。
 主役は新郎と新婦で、私はゲスト。ドレスを着るのは結婚をお祝いする気持ちを表すためだ。

 手に馴染んだ本のページをめくるようにそこまで辿りつき――つまりは毎日同じように自分に言い聞かせているのだが――キャットはリーに言うことがもうひとつあったと不意に思い出した。
 
「そうだ。結婚式の前の日から、フィレンザと一緒にホテルに泊めてもらうことになった」
「ホテル?」
「フィレンザのお兄さんが前日はホテルに泊まるから、フィレンザと私も一緒にって誘ってくれたの」
「ロード・ディリヴォーリが?」
「うん。ベッドルームが二つあるスイートだからって」
「スイート」
 リーはキーワードを繰り返した後、ほんの少し間を空けてキャットに言った。
「ご招待をお受けすることに関してあなたの恋人は何て?」
「えっ?」
 動揺するキャットに、リーはいかにも他人事という口調で言った。
「ひとこと言っておいたら。後で『黙っていた』と思われたら不愉快でしょう。もちろんあなたがどこに泊まろうと自由だし、彼が口を出す筋合いのことではないけれど」
 
 フィレンザとキャットが暮らすのは学生寮だ。洗面所は共用だし、ドレスを何枚もかけておけるような大きなクローゼットもついていない。
 王太子の結婚式の日に、ドレスと揃いの帽子姿で寮の中をうろうろするのは他の寮生に感じよく思われないだろうと、招待状を受け取った時から気にはなっていた。
 フィレンザと一緒にホテルで支度をして出かけられるのは、そういう意味でもありがたい。
 しかしリーが察したとおり、キャットはチップにまだそのことを伝えていなかった。
 もちろんリーの言うとおりキャットがどこに泊まろうと自由だし、チップに口を出される筋合いのことではないけれど。

 母との電話を終えたキャットはしばらくためらった末に、再び携帯電話を手にとった。
 

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