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行こう、城塞都市! 買い食い

 鐘楼を出て町の中心にある広場に戻ると、朝はなかった屋台が増えていた。飲み物や食べ物の他に、みやげ物も売っている。
 朝市の時と同じように屋台は広場の片側に縦横の列をつくって並び、そこを通り抜ける客には両側の店から口上が述べられるようになっていた。今朝エールとワインを買った店のように、広場に面した固定の店も営業を開始している。なかには行列ができた店もあった。
「ちゃんとしたレストランもあるみたいだけど、そっちは夜のお楽しみにしよう」
「そうなの?」
「未成年が入れない本物のアルコールが出る店があるらしいから」
「どこでそんなの見たの?」
「さっきエールを買った店で教えてもらった」
「じゃあ夜はそれね」
 話しながらもキャットはきょろきょろと周囲を見回し、どの店が一番美味しそうか見つくろっているようすだ。
 食事になりやすいものとしてはシチュー(これもカップ持ち込みだと安くなるらしい)やパイも良さそうだが、肉を巻いて茹でたものも美味しそうだ。塩漬け肉の串焼きもある。広場の周りの店と同じく、店の看板には原材料の絵が描いてあるので見た目でよくわからないものを買う時も安心だ。ベジタリアン向けなのか豆料理もあるし、アーモンドミルクの店もあった。
 そうしてキャットはとうとう目当ての店をみつけた。
「あ、あった! 子豚(ピグレット)の丸焼き!」
 屋台村のさらに奥、他の店から少し離れた場所に煙が上がっていた。裸火を扱うので屋台村には入れてもらえなかったようだ。

 豚の丸焼きには二種類あって、棒にくくりつけてぐるぐる回しながら焼くか大きく開いてオーブンで上下から焼くかになるのだが、下で炭を燃やすここでは当然前者だった。
「わあ、回ってる回ってる!」
 キャットの声がはずむ。
「昔は焼き串を回すために犬をつないでいたんだよ」
「嘘でしょ?」
「これは本当」
 幸い(と言っていいかどうか)ここで串を回しているのは人間だった。ねずみの輪車のようにくるくると回し続けるわけではなく時々向きを変える程度だが、人ひとりが張り付いて火の番をするというのはなかなか面倒に違いない。
 その面倒を引き受けたのはキャットたちと同じ金色の仮身分証の持ち主だった。集会所の手伝い仕事で引き受けたに違いない彼は、風が回ってもろに煙をかぶり横を向いて咳き込んでいる最中だった。炭に落ちた脂がじゅうじゅうと焼けているのでかなり濃そうな煙だ。
「ああ、あれきついよね」
 キャットが懐かしそうな声をあげた。
「僕らの火は炭じゃなくて薪(たきぎ)だったからもっときつかったな」
 チップも同じような声で答えた。

 実際、流木の薪と炭を比べると炭がいかに優れているかがよくわかる。
 まず煙が少ない、断然少ない。
 そして大きく燃え上がることも少なく、火が長く続く。
 長さも短く加工されているので、かき寄せて火の大きさを調整するのが簡単だ。
 それに対して薪はすべてにおいてその逆で、大きく炎があがれば食材を移動させないとすぐ黒焦げになってしまうし、逆に焼きたい個所になかなか火がつかず火を追いかけて食材を移動させ続けるはめに陥ることもある。突然はぜる危険もある。
 それでも、ふたりは欠点を飲み込んだ上で懐かしい『僕らの火』に愛着をもっていた。

「焚火で焼いた鳥おいしかったなあ」
「あれはまた食べてもいいと思うけど、保護法にひっかかるから幻の味だな」
「今だとそんなに美味しくないかもしれないしね」
 ふたりが顔を見合わせて微笑む横で、焼けた子豚の串が火から外され新しい子豚が持って来られた。ピンク色のつやつやした子豚だ。
 子豚に串が通されるのを見て、周囲の子供たちが悲鳴をあげた。中には顔を白くして気分が悪そうにしている子や、ぎゅっと目をつぶって親にしがみついている子もいる。いや、ちらほらと子供だけではなく大人の中にもそういった姿が見られる。
「もしかして子豚の丸焼きが離れた場所にあるのって、姿がダメな人がいるからなのかな?」
「ああ、そうかも」
 食に関する繊細さのほとんどを島に置いてきたふたりだが、他人にその価値観を押し付けることはない。見た目から姿が想像できる肉が苦手、結構、生き物を苦しめる肉食自体が嫌、結構。ただこちらにはこちらの価値観があることを認めてくれさえすればいい。
「苦手なのに連れてこられちゃった子供はちょっと可哀想かな」
「子供の養育は親の責任だからね。タフな子供に育てたいのかもしれないし」
 話しながらふたりは焼けた子豚を求める列に並んでいた。
 
 袖をまくりあげ、ナイフを手前に置いた男が細長い木の机に置かれた子豚を押さえ、もうひとりの男が布を巻いて串を抜いた。ナイフを持った男が茶色くなった皮に刃を入れると、パリッという音がした。そのままナイフを立てて動かしながら肉ごと皮をはぐように切り分けて横の皿に載せていく。皮をはがれた豚から湯気と一緒に食欲をそそる豚脂(ラード)の香りがあたりに拡がった。うわぁ、という誰かの声があがる。

 串を片付けた男が、切り分けられた肉を前にして立った。
「さあ、ミルクしか飲んでない子豚のロースト九リーブラ~トレンチャーかパイシェルは一リーブラで別売りだよ~耳としっぽは早いものがち~」
 売り子が節(ふし)をつけるのはどこの店も共通らしい。一応値段が書かれた看板もあったが、字が読めない人のためという設定だろうか。あちこちから聞こえる抑揚をつけた口上が外国の市場のようで、キャットはちょっと楽しくなった。
「君はどっちにする?」
「パイシェル。で、あとでシチュー買ってそれにいれてもらう」
「じゃあ僕はトレンチャー(受け皿代わりの硬いパン)にしよう」
 ふたりでそれぞれに皮の部分と身の部分を載せてもらった器を持って、列を離れる。
「当然これ手で食べるんだよね」
「フィンガーボールはないけど、あそこに噴水があるからあれで手を洗えばいいんじゃないかな」
 チップは、王室のマナー教師が聞いたら卒倒するようなことを言いながらキャットを噴水まで導き、そのまま噴水の縁に座ってふたりで肉を食べ始めた。
 一口食べてキャットが言った。
「何これ美味しい! 豚の皮ってあまり食用にはしないイメージがあったけど」
 ぱりぱりした皮の部分も美味しいが、蒸し焼きになった肉も脂が適度にとろけて美味しい。冷めて固まったらその量におののきそうだが、今はまだ透明の脂は喉のすべりを良くするソースがわりに肉のうまみを逃がさないよう包み込んでいた。
 九リーブラという値段(鐘付き見習い九時間分)に見合う量の肉を、若さと健康な食欲のおかげでふたりは苦にもせず食べていった、が。
「ロビン、本当にシチューまで入る?」
「ちょっと分かんない」
「じゃあ飲み物だけ買ってこようか。ちょっと持っていて」
 トレンチャーをキャットに預けたチップは、指を本当に噴水で洗って(マナー教師は卒倒した)飲み物を買いに行ってくれた。
 カップをひとつ持ってチップが帰ってきた。
「今度は赤ワインのお湯割りにしてみた。中世風に回し飲みにしよう」
「うん、中世風ね」
 仲の良い恋人同士で飲み物の回し飲みに抵抗があるはずもなく、カップは仲良くふたりの間を行き交った。
「ああ、これは白の方が美味しいかも」
「赤ワインの味わいはアルコールフリーで再現するのが難しいんだろうな」
「まあでもこれはこれで、酸っぱくないワインビネガーをお湯で割ったと思えば」
「そうだね、さっぱりする」
 少し味に飽きたところに飲み物で口も変わったので、キャットは皿の端に載せてもらったハーブの入ったどろっとしたソースをつけて食べてみた。見かけで想像したのとちがって酸味があったがこれはこれで美味しい。

「島にいた時から思ってたけど、フライディ手で食べるの上手くない?」
 ふいにキャットが言った。
 フィンガーフードなど普段食べていないはずのチップだが、親指と人差し指、中指の三本を使って優雅に肉にソースをつけて食べている。手づかみの食事という言葉から抱く粗暴なイメージがまるでない。
「仕込まれてるからね」
「どこで?」
「家で」
「そんなのも習うんだ!」
 キャットはこういう悪いことといえばまたジョナスたちから習ったのだろうと思っていたので、家で学んだと聞いて驚いていた。
「世界人口の四割以上は手食文化なんだよ、ロビン」
 どうやら彼の家業でよくある異文化交流のために覚えたらしい。
「さすがだね」
 感心したキャットに、チップがいつもの人の悪い笑みを浮かべて言った。
「家庭のしつけの一環とはいえ、小さい子供にはいろいろ辛いものがあったよ。血は紫でも頭の中身はその辺にいる悪ガキと変わらなかったからね。いや、その辺にいる悪ガキよりもっと生意気だった」
「頭のいい悪い子ってあれだよね……」
 キャットはかつて自分から飛び込んでいったトラブルで出会った少年のことを思い出し、遠い目をした。
「おかげで数学が好きになった」
 チップがキャットの回想を断ち切るように言った。
 チップは今でもケイトーがあまり好きではないらしい。もしかしたら彼がキャットと今でも連絡をとりあっているせいかもしれないが。

 キャットは一瞬聞き流しそうになったチップの言葉に疑問を抱いて動きを止めた。
「え? そこからどうやって数学につながるの?」
「食事中に余計なことを言ったりするとすぐ反省部屋に押し込まれたからね。読んで面白い本が数学の本しかなかったし、分からない数学の問題を頭の中で解いていくとあっという間に時間が過ぎたから」
「ふへぇ」
 数学の本が読んで面白いというのがまずキャットには理解不能だったが、要領の良さそうなチップがそんなにたびたび反省部屋に閉じ込められたのは本人がわざとやっていたのではないかという疑いをもった。
 だがこれに関してはキャットのうがちすぎで、チップもまだ子供のころは育ちつつある自我の手綱がうまくとれていなかったのだった。
 今でもキャットと過ごす時にどうしても言いたい不真面目な一言で雰囲気を壊して怒られているチップが、子供時代に余計な口をきかないなどという我慢をできたはずがないのだ。

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