いちばん大切なもの 1
いちばんの贈り物 1

いちばんの贈り物◆1

プロローグ
 
 ハロウィンが終わると、オレンジと黒の街は一夜にして赤と緑に装いを改める。
 贈り物の季節だ。
 
 植田は新しい月に改まったカレンダーに目を止めた。気の短い植田は内線で秘書を呼び出す数秒の待ち時間が苦手だ。身軽に席を立つと社長室の入口から顔を出し、秘書に声をかけた。
「坂田さん、海外向けにクリスマスカードの準備を始めよう」
「はい。カードのカタログはもう届いているので、去年の送付リストを回覧して更新しましょうか。枚数は去年と同じでいいですか?」
「そうだな。坂田さんはご主人からクリスマスプレゼント貰ってる?」
「子どもが生まれるまでは毎年クリスマスコフレを貰ってましたけど、今はもう子どものサンタになるだけで手一杯ですね。見事におもちゃ業界の戦略にはまって……」
 世間話のつもりだった坂田が、植田の意図に途中で気付いた。
「駄目ですよ、社長。そんな横着しないでちゃんと自分で考えて下さい」
「横着してるわけじゃないんだけどな」
 坂田に叱られて、植田は苦笑した。
 
1.
 
 植田は今年の春、九つ下のみどりと結婚した。入籍だけの地味婚だった。再婚の自分と違って初婚のみどりには色々と夢もあるだろうと、植田はきちんと形を整えて式も挙げるつもりでいたのだが、みどりが拒んだ。
「父と母を一緒に呼ぶと絶対ケンカになるし、どちらか一方だけを呼ぶのも嫌」
 植田も先妻が病に倒れて亡くなるまでの間と亡くなった後で、世間の常識を振りかざす他人から家族の問題に口を出される煩わしさを何度も味わっていたので、みどりの希望を尊重した。
 そこでみどりの両親それぞれと植田の両親のところには二人で挨拶に行き、披露宴の代わりに友人や知人と少人数で食事の場を何度か設けてみどりを紹介した。時間はかかったが不義理続きの友人達ともじっくり話せて、これはこれでなかなか楽しかった。

「若いけど浮ついた感じがないわね」
「おとなしそうだけど、いい子じゃないか」
 植田自身も常日頃同じようなことを感じていたので、こういった言葉には素直に頷いた。
「これで陽子さんも安心できるね。おめでとう」
 そんな風に言われて、鼻の奥がつんと痛くなるのにも慣れた。
「若い奥さんを貰うっていうから玉の輿狙いかと心配してたけど、そんな感じの人じゃなくて安心したよ」
 あけすけにそう語る口の悪い友人には、ただ苦笑を返した。

 『実は妻はこう見えて資産家で』と触れ回るわけにもいかないし、資金繰りに困ってみどりに借りた金でしのいだことは、植田の会社でもごく一部の人間しか知らない。友人からすれば社長の肩書きと資産がなければ、九つも上の男やもめがモテるわけがないということだろう。
 
2.
 
 しかし資産の方はともかく、法人化していないとはいえみどりだって自分の店を持っているのだから、玉の輿というのはちょっと違うんじゃないか、実際には逆玉だし。
 そんなことを考えながら、会社を後にしてエレベーターで降り、横断歩道を渡ればもう目の前はみどりの店だった。
「おかえりなさい、誠さん」
「ただいま」
「さっき見上げた時ちょうど社長室の明かりが消えたから、そろそろだと思った」
 そう言ってエプロン姿のみどりがにこりと笑った。みどりの花屋は夜7時までの営業だから、今日のように植田の方が早く仕事が終わることもあった。
「夕飯は和食と洋食、どっちがいい?」
「どちらでも」
「どちらかといえば?」
「うーん、味は洋の気分なんだけど、あったかいものが食べたいからお鍋とかおでんとかもいいなあ」
 みどりが迷いながら言った。当番制のようなきっちりしたものではなく、早く帰った方が夕飯を作るという簡単なルール、というよりお互いへの気遣いからできた習慣から、今日の夕飯は植田の担当だ。
「じゃあカレー鍋とかトマト鍋とか、洋風の鍋にしようよ」
「いいの?」
 みどりがぱっと笑顔になった。この笑顔が見たくて、植田はいつもみどりの好みを優先する。もっともみどりも同じように植田の好みを優先するからお互いさまだ。

 花屋に客が来たのをきっかけに、植田は店を出て自宅に向かった。と言っても花屋の入ったビルの最上階が二人の新居だ。元々みどりが所有していた独身者向けの部屋は貸して、ファミリー向けの部屋を購入していた。
 
3.
 
 鍋の下ごしらえをしながら植田は、みどりへのクリスマスプレゼントを何にするか考えていた。
 普段着が仕事着になるため、みどりは洋服はほとんど欲しがらない。化粧品や貴金属の類も同じように欲しがらない。靴も仕事中は長靴を履いているし、通勤時間3分の環境では他の靴は痛む暇がないらしい。同じ理由で鞄も必要ない。
 植田は海外ブランドが毎年出すフィギュアやプレートはどうかと思いついて、またすぐに思いなおした。二人のためのものじゃなく、みどりだけのためのプレゼントにしたい。
 しかしそれが一番の難問だった。みどりは銀行に預けっぱなしの大金を持っている。下世話な言い方をすれば億万長者だ。いつでも買えると思うからか、驚くほど何も欲しがらない。
 
 そしてそのみどりは、植田に内緒で毛糸で何かを編み始めている。クローゼットに隠された毛糸の色合いと時期を考えるに植田へのクリスマスプレゼントで間違いない筈だ。あいにくと植田にはお返しに何か作れるような技術はない。みどりはきっと何でも喜んでくれるだろうとは思うが、だからといって小学生レベルの工作をプレゼントする気にはなれない。技術はなくても人並みの審美眼はあるのだ。
 
「……本気で肩たたき券とか、お手伝い券にしたくなってきたな」
 レードルを片手に植田がひとりごとをつぶやいた時、玄関の鍵を開ける音がした。
「おかえり、みどり」
「ただいま」
「みどり、旅行に行かないか?」
 玄関でみどりを迎えた植田がいきなり思いつきで言った。みどりが目を丸くした。
「いつ?」
「年末年始とか」
 みどりは申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさい。年末は大晦日までお店が忙しいの。みんな、お正月の準備でお花を買いにくるから。年始だったら何とか」
 みどりを喜ばせようと思ったのに、上田の提案は逆にみどりを困らせてしまったようだった。
「そんな、謝らなくてもいい。みどりは行きたい?」
 みどりが少し考えて、答えた。
「初めてのお正月だから、家で過ごしたい」
 これで決まりだ。旅行もなし。また何か違うプレゼントを考えなくてはいけない。
 
4.
 
 子どもはどうかな。

 夜中に目が覚めた植田の頭に、ふとそんな考えが浮かんだ。寝ながらもずっと頭のどこかでプレゼントのことを考えていたのだろう。しかしすぐ反省した。子どもはクリスマスプレゼントに、などと気軽に願うものではない。
 植田は体を起こして小さな灯りをつけ、隣で眠るみどりの寝顔を眺めた。こんな風にまた誰かと一緒に過ごすなんて、思っていなかった。みどりのことも最初は眺めるだけのつもりだった。あの最初の出会いは、やっぱり陽子の導きだったのだろうか。
 
 生前の陽子の声がよみがえった。
「誠のことだから私の命日もうっかり忘れそう。だから早く再婚して奥さんに覚えててもらって、その日はお線香の一本くらい上げてよね」
 
 何年経っても、今がどんなに幸せでも、悲しみは不意に襲ってくる。
 植田は息を止めて嗚咽をやりすごした。どうしてあの時に「馬鹿なことを言うな」と声を荒げてしまったのかと、今でも後悔している。嘘でもあの時に約束していれば、陽子は嘘だと承知の上でも安心できただろうに。
 植田も命日を忘れたことはない。が、みどりは毎日線香とお供え、それに陽子が好きだった白薔薇をいつも切らすことなく位牌の前に飾ってくれていた。もし陽子がまだ植田の近くにいるとすれば、これなら大丈夫と安心していることだろう。いや、とっくに成仏しているだろうか。 
 今の植田にはあの時の陽子の気持ちが少しだけ分かる。順当にいけば――順当にはいかないのが人生だが――植田もみどりを残して先立つことになる。その時みどりの横に誰かがいてくれたらと思う。
 
 とにかく今考えなくてはいけないのはクリスマスプレゼントに何を贈るかだ。
 
 植田は灯りを消して再び布団にもぐりこんだ。冷えた体に、隣からじんわりと伝わるみどりのぬくもりが暖かかった。
 
5.
 
 クリスマスに向けてショウウィンドウのディスプレイはますます華やかに、賑やかになってきた。
 植田にとって12月は今年に限らず悩み多い月だった。営業日が普段より少ない上に、年末だけ決済が早くなる取引先がある。海外の取引担当者は早々にクリスマス休暇に入ってしまって対応は遅くなるし、船便で届いた荷物は年末までに通関してもらわないと年明けの生産スケジュールが狂ってしまう。

 それに加えて今年はみどりへのクリスマスプレゼントだ。
 いや、仕事とプライベートを一緒にしてはいけない。それはそれ、これはこれだ。
 
 学生の頃も人並みに彼女はいたし、クリスマスやイベントの時期にはプレゼントを期待された。植田の高校時代はちょうどバブル景気の頃だったから、プレゼントを買うために必死にアルバイトした。
 当時の彼女達が欲しがっていたものの殆どを今の植田は楽に手に入れることができる。なのに、妻のみどりは何も欲しがらないときている。うまくいかないものだ。
 
「いらっしゃいませ」
 植田は取引先の大企業を訪れていた。アポイントを取っていた購買部長がロビーへ降りてくるまでの間、なんとなく受付に置かれた企業案内を手にとってめくっていた植田の手が途中で止まった。
「こういうものも作っているんですね」
「はい。弊社で開発した技術を製品化しました。あちらの直営ショップでも取り扱ってございます」
 受付嬢が綺麗にマニキュアを塗った指先を揃えて、ロビーにある売店を指した。

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