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読切◆男友達

 残業を終えて帰宅して、まず玄関のドアを二重にロックした。女の一人暮らしではいくら用心してもし過ぎるということはない。携帯をバッグから取り出すとメールが一通来ていた。差出人の名前を見て、思わずにこりとした。
『年賀状ありがと。メシ食いに行こう』
 ややぶっきらぼうな短い文面なのは、彼が親指で携帯の小さなボタンを叩くような作業が嫌いなせいだ。
『水曜日の昼か、夜だったら木曜か金曜はどうでしょう』
 そうメールを返した。
『じゃあ金曜日で。七時に時計の下』
『OK』
 靴も脱がないまま玄関で送受信したそんな四通の短いメールで、三年ぶりの再会が設定された。

 以前にも何度か待ち合わせをした時計の下、金曜日の夜七時。溢れんばかりの待ち人の中に私もいた。信号が変わりこちらに寄せる人波の中から、三つ揃えのスーツ姿の彼が書類鞄を持って現れた。
「久しぶり」
「久しぶりだなー。変わんないな。じゃ、店行こうか。何食べたい?」
 彼は再会を喜ぶのもそこそこにそう言った。相変わらず、気が短いと言おうか行動が早いと言おうか。
「うーん、じゃあ野菜」
「天麩羅? 中華? イタリアンもあったかな?」
「天麩羅いいねぇ」
「じゃあ天麩羅行こうか」
 そんな会話で、彼が先に立った。

 入った店で暖かいおしぼりを出され、手を拭いたらほっと体が緩んだ。
「お前、会う度に会社違うからよく分かんないんだよな。今何やってるの?」
「新しい名刺、はい」
「おおおーっ……ってヴァイス・プレジデントって副大統領か?」
「違いますっ。……うーん課長よりは偉いくらいかな。名前ほど凄くない」
「はい、じゃあ俺の名刺」
「おおおーっ、副部長って何よ。また出世してるー」
 お互いに相手の名刺を握り締めて叫びあった。
「お互い頑張ってるね」
 期せずして、同時に言葉が重なった。
「こっちに戻ってたならもっと早く連絡くれればよかったのに。携帯まで変わってるし」
「ごめん。携帯は半年くらい前に水没させて、新規で契約しちゃったの。年賀状で知らせればいいかなーって、どうせそっちは持ち家だから住所変わってないと思って」
「こっちだって年賀状で知らせようと思ってたことがあるのによぉ」
 そう言った後、ちょっと間を置いて彼が言った。
「住所は変わってないんだけど、俺さ、離婚したんだ」
「うそっ!」
 失礼だと知りつつそう叫んでしまったのは、三年前に会った時もその前も奥さんのノロケと子どもの可愛さを散々聞かされていたからだ。それからも毎年家族写真の入った幸せそうな年賀状を貰っていたし。
「去年の春くらいから別居してて、この前正式に別れてくれって」
「何で? 理由は? あ、聞いちゃ駄目?」
「駄目ってことないけどさ。……俺が仕事ばっかりで家庭を顧みなかったから、かな」
「はあ?」
 私は思い切り納得できなかった。社内結婚なのに。そんなの最初から分かってて結婚したんじゃないの? そういえば確か彼がヘッドハンティングにあった時も、今以上に仕事が忙しくなるのは嫌だって彼女(現在は元妻)に反対されて蹴ってたっけ。
「別に浮気してるわけじゃないんだし。いいじゃないね、仕事好きでも」
「んー、それは人それぞれ? 浮気なら旦那を怒れるけど、仕事だと文句言えないとか、子どものこととか色々あったんじゃない? 今更だけど」
「はあ」
「まあ、そういうわけで今日は帰りを気にせず飲めるから、また語り合おうぜ」
「おうっ」
 そういう訳で二人で語り合った。私達が数年ぶりに会っても昨日の続きのように付き合えるのは、お互い仕事が大好きで、会うたびに仕事に対する情熱を語り合う仲間だからだ。

 私と彼の出会いは、学生時代に友達の設定した合コンの席だ。「この中で一番モテるのがこいつ」と言われた彼を見たとき、女子全員で「えーっ!?」と驚きの声をあげた。それくらい、見た目は全然よくない。でもとにかく気配りがいいのだ。誰かのグラスが空いていればすかさず声をかけ、つまみがなくなれば注文をしてくれた。次に同じメンバーで会った時には前回撮った写真を一人づつ写っているもの全て焼き増しして封筒に入れて用意していた。広告代理店に内定を貰っていると聞いて、天職だろうと納得した。
 カップルは一組も成立しなかったけど(もともとそんなに本気の合コンじゃなかった)、その後も何回か同じメンバーで飲み会をした。就職した彼がよく色んなイベントのチケットをくれたので、私は都合がつくものは参加して、お礼と感想を絵葉書で送っていた。が、どうやらそういったマメさがあったのは私だけだったらしい。段々他のメンバーは誘っても都合がつかなくなったりして、集まりはばらけていき、最後は私と彼がサシで飲む会になった。

 就職した当初から彼は「会社を動かす側になりたい。そのために今できることをする」と言っていた。私は女子社員が男並みに働いても、同じペースの出世が望めないことが分かってから、自分の会社を作るのが出世の早道だろうと考え、「いつかは会社を作って社長になる」と言った。
 生憎とまだその夢は叶っていない。外資系企業で転職を重ねながらキャリアアップしている。気分だけは自分が商品の一人企業のつもりだ。
 まあそんな風だから、新入社員の頃から仕事の嫌いな同僚の愚痴はつまらなかった。彼もそうだったんだろう。よく私と二人で「どうして皆は仕事が好きじゃないんだろうね。こんなに楽しいのに」と語り合った。お互いが仕事にもつ夢とか、笑い話にまで昇華した人間関係のトラブルや仕事の失敗を語る方がずっと楽しかったから、彼とはよく飲みに行った。お互いに付き合う相手はいたりいなかったりだったけど、そういえば恋愛に関する話は殆どしなかった。彼の結婚が決まった報告を貰った時には素直に喜んだが、一つだけ心配だったことがあった。
「私、あなたの結婚は心からお祝いするけど、二人で飲めなくなると残念だなぁ」
「大丈夫。今日もお前と会うって言ってきたし」
 そう聞いて安心はしたが、やはりこちらも遠慮があって、お互い仕事も忙しくなってきていたし、会う頻度は年に一度あるかないかになった。それでも会えば同じように話をし、変わったことといえば彼の家庭の話題が増えたことだった。それもやっぱり彼が話すと例え愚痴でも笑い話にまで昇華されていたので、女友達の愚痴を聞いているよりよほど楽しかった。私も結婚してみようかという気になるくらいだから相当だ。
 そんな彼が離婚するとは思わなかった。

「でもすぐ彼女できそうだよね」
「うーん、色々言われるけどなぁ。しばらくいいやって気になって」
「そっか。まあそれもいいかもね」
「仕事の携帯ばっかり使ってるから、お前のメールが来たときは誰の携帯が鳴ってるのかと思った」
「それは相当でしょう」
 私はそう言って笑った。
「いや本当に。そういえば俺の携帯メール機能ついてたんだって」
 そう言って彼も笑った。
 私達は二軒目に移って地下にある静かなバーにいた。お互い好きなものを好きなペースで飲む。私はブランデー多目のエッグノッグを飲んでから、二杯目はズブロフカをちびちびと。彼はシングルモルトのロックをゆっくりしたペースで飲んでいた。会話のペースは一軒目より落ちていたが、気心しれた相手との沈黙はしみじみと楽しかった。
「今日は楽しかった。また仕事がんばるぞーって元気もらった」
「俺も。またメシ食おうぜ」
「うん。どうする? そろそろ電車終わりそうだけど」
「今日はとことん飲もうと思ったけど、また近いうちにメシ食うことにするか」
「そだね。お互いまた時間作りましょう」
 そう言って店を出て、店の前で手を振りあい別れた。

 お互いにお腹が空いてない様子が見て取れるからきっとこれからもこれ以上の関係にはならないだろう。会いたい時に食事して、飲みに行って。たまに会って元気を貰う相手。お互い仕事忙しいし。
 ……結局私も彼も、仕事が一番好きなのかも。なるほど、彼の元妻はそれが嫌だったのね。

 ああ、それにしても早く月曜日にならないかな。このモチベーションが上がった状態でぐわーっと仕事がしたい。私はそう思ってにやけながら、家への道を一人で歩いた。

end.(2009/03/05)

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