ツーリングを少々 1
ツーリングの二本目 1
羨望
休日のお買い物 1
百合は綺麗なだけじゃないんです
すれちがい

ツーリングを少々◆4

17.
 笑い疲れた頃に、大里が言い出した。
「ところで因縁のバイクの後ろ乗ってみてどうだった?」
「悔しかったです。同じバイクじゃないみたいだった」
「たまちゃんやっぱりタンデムシート向きじゃないな。あれだけ後ろ乗るのうまいのに惜しいな」
 そう言って大里はまた笑った。珠緒も大里に同意した。
 乗せてくれた大里には申し訳ないが、たとえ下手でも楽しそうに見えなくても、自分で自分のバイクに乗る方が楽しいと、人の後ろに乗ってみて初めて分かった。

「本当は」
 急に大里が真顔になったので珠緒はちょっと身構えた。
「さっき乗り味が違ったのは二人乗ってたからだよ。あのバイク、たまちゃんにはサスが硬すぎる」
 告白でもされるのかと一瞬でも思ったことで珠緒は少々恥じ入ったが、大里が何を言い出したのかと首を傾げた。
「どういうことですか?」
「入口でフロントに乗った荷重を後ろに移動させながら、リアに荷重が乗ったサスのボトムあたりでタイヤをグリップさせるのが理想のコーナリング。サスが硬すぎるとトラクションがかからないんだよ」
「……全然分からないです」
 さっきは大里は確かに自分と同じ言葉で喋っていた筈なのに、今度の大里の話は外国語のようだった。片手をバイクに例えて説明する大里を、珠緒はじっと見つめた。
「まあ上手くなりたいなら考えながら走ることだよ」
 珠緒と目があったとたんに大里はいきなり話を切り上げ、珠緒は目の前で扉を閉められたような気分になった。なんだかもやもやした。

18.
 大里と珠緒が戻った時には夕飯の支度は整っていて、珠緒は手伝いができなかったことを詫びて席についた。
「珠緒さん、たくさん食べてね」
「ありがとうございます。頂きます。――おいしーい!」
 珠緒は両親の都合で一人暮らしを余儀なくされ、他人様に作ってもらったものは何でも美味しいと思えるようになった。しかしそれだけでなく大里の母の手料理は本当に美味しかった。お盆で漁が休みじゃなければもっと美味しいものがあるのに、と大里の母はしきりに残念がったが、東京から来た珠緒にとっては想像のつかない領域の話をしているようだった。
 大里と大里の母は競うように珠緒を笑わせ、大里の父はあまり喋らないが一緒に笑っていた。非常識だと思われたら嫌だとか社交辞令なのじゃないかとか変な気を使いすぎてご好意を無にするところだったと、珠緒は今になってとても反省していた。
 まだ寝るには早い時間だったが、珠緒が疲れているだろうからと気を使った大里の母が早々に客間に案内してくれたので、珠緒はありがたく敷いてあった布団に横になった。窓の外ではとうとうやってきた雨雲が降らせる雨の音が響いていた。
(ご飯美味しかった……大里さんの言ってること分かるようになりたい……)
 そんなことを考える珠緒のまぶたの奥には、中央に白いラインが引かれてた道路が見えた。どこまでも続くラインを追いかけながら珠緒は眠りについた。

 翌朝、見知らぬ天井に混乱した一瞬後、大里の実家にいることを思い出した。身支度をして廊下に出ると、階段を降りてきた大里に出くわした。
「おはようございます」
「おはよう。たまちゃんが家にいるのって妙な感じだな」
「布団カバー外しちゃったんだけどよかったですか?」
「ああ、いいんじゃない。そのままで。たまちゃんすぐ出発したい?」
「え?」
「バイク調節してあげるよ」

19.
 朝食の後で大里は庭先に工具箱を出した。樹木や石でしつらえた眺めのよい庭で珠緒は、軍手をはめた大里がバイクを調整する様子を手も出せずに眺めた。庭の隅には不似合いなかまぼこ型のバイク用ガレージが設置されていた。珠緒は大里がどんなバイクに乗っているのか少し興味が湧いたが、昨夜聞いたバイクの名前を思い出せなかったのでその話題には触れないことにした。
「ちょっと握ってみて」
 珠緒が手をかけるとレバーは指先ではなく第一関節に届いた。握ってみると昨日より明らかに楽だ。
「純正より社外のパーツに変えた方がいいと思うけど、とりあえず帰るまで。海沿い走るんだったらクラッチ握る回数多くなるから」
「ありがとうございます」
「サスもちょっとだけ柔らかくしといた。最初は乗りにくく感じるかもしれないけど」
「はい」
「帰りはどうするの?」
「まだ考えてません」
「鳥羽からフェリーで伊良湖に渡るといいよ。今日ならフェリー乗れると思うから」
「はい」
 バイクを挟んで会話を交わしながら、ふと不思議な気持ちになって大里の顔を見た。いつも職場で見かける大里はスーツ姿で営業鞄を持って目の前を通り過ぎるだけの存在だった。それが何故か家に泊めてもらい一緒に食事をし、今はTシャツにジーンズで軍手をした大里にこうしてバイクを調整してもらっている。現実じゃないみたいだった。今朝、大里が言ったとおり『妙な感じ』だ。
「たまちゃん、聞いてる?」
「はっ、はい」
「あの道は景色見ててはみ出してくる奴とか突然停車する奴とか多いから、気をつけて。家に着いたら何時でもいいからメールか電話して。心配だから」
「はい」

20.
 出発の時には、大里と大里の両親が揃って見送ってくれた。
「じゃあ珠緒さん頑張って。また近くに来たら泊まりにいらっしゃい」
「またいらっしゃい」
「お盆はスタンド休みのとこが多いから、早めに給油しなよ」
 思い思いの言葉をかけてくれる一家に、珠緒はあのサービスエリアで会った女性を真似てなるべく格好よく片手を挙げて挨拶し、大里家を後にした。

 念願の博物館で珠緒はクジラの起き上がりこぼしや箸置きなど、他では見かけないちまちましたクジラグッズをたくさん手に入れた。目的を果たした珠緒は満足してそこから折り返し帰途についた。鳥羽で水族館に行こうと思っていたが、フェリーの時間までそれほどなかったので素通りしてフェリーに乗った。
 海路は行きの大雨の行程とは比べようがないほど快適だった。フェリーの中で赤福を買って食べながら浜松でうなぎを食べて帰ろうかとのんびりと考える余裕まであった。
 向こう側に着いて走り出してみると渥美半島は延々と長く、なかなか浜松にたどり着かなかった。うなぎ屋さんに入ったら料理が出てくるまでに1時間もかかった。しかしやっと念願のひつまむしを食べられて珠緒は満足だった。

 予定していたよりはずいぶん遅くなったが、途中でキャンプするにはもう都会に戻りすぎていたし、知っている土地だったので珠緒は少し無理をして走り続け、深夜2時に帰宅した。疲れていたものの、まだ気分が高揚して元気だった。
「無事帰宅しました」
 大里にメールを送ったら、すぐに電話がかかってきた。
「よかった。お疲れさま」
「お世話になりました。明日にでもお家の方にお礼の電話入れますね」
「あれからどこまで行ったの?」

21.
 珠緒は残りの行程を話した。大里はときに相槌を打ち、ときに自分のエピソードで珠緒を笑わせながら聞いてくれた。
「ああ、俺もツーリング行きたくなってきたな」
「行って下さい! 私、次は岩手に行きます!」
「岩手? 一人で?」
「ええ、岩手にもクジラの博物館があるらしいんです!」
「俺が小さいの買ったら、一緒にどこか行かない?」
 珠緒の頭に最初に浮かんだのは――またもや『職場の皆に恨まれる』だった。でも考えるより先に口は答えていた。
「はい。ぜひ」
 皆に恨まれることなんて、大里と一緒に走れることに比べたら全くたいした問題じゃない。答えてしまった後で、珠緒は自分にそう言い訳をした。
「楽しみだな。何買おう――あ、そろそろ3時だ。疲れてるのに長電話させちゃってごめん」
「誰かに喋りたかったので聞いてもらって嬉しかったです。また大里さんの話も聞かせて下さい」
 電話を切った珠緒は大里はどういう意味で誘ってくれたんだろうかとちょっとだけ考えたが、今日はもう頭が回らないので突き詰めないことにした。
(今日のノルマはもう全部走りました……)

 荷物の整理は明日するとして、ともかくシャワーだけは浴びないと寝られない。大きなあくびをひとつして、珠緒は昨日の温泉から400キロ以上離れた自宅の浴室へと向かった。
 
end.(2010/04/22) →続編「ツーリングの二本目」に続きます

前へ single stories 次へ

↑ページ先頭
 Tweet
inserted by FC2 system