ツーリングを少々 1
ツーリングの二本目 1
羨望
休日のお買い物 1
百合は綺麗なだけじゃないんです
すれちがい

ツーリングの二本目◆1

プロローグ
「大野課長。今度のツーリングに岡本さんが参加してくれるそうですよ」
「マジかっ! 俺のマドンナが!?」
「……大野課長、そういうこと言うと岡本さんに引かれますよ。『坊ちゃん』じゃないんだから」
 大野が主任の磯田にたしなめられているちょうどその時、文房具キャビネットのドアの裏にいた『俺のマドンナ』こと岡本珠緒も、心の中で似たようなツッコミを入れていた。天井近くまであるドアの裏にいる珠緒はきっと向こうからは見えていない筈だ。このまま聞かなかったことにしておこうと、珠緒は片手をうーんと伸ばしてドアを静かに閉め、こっそりとその場を離れた。

1.
 珠緒は自分のことをあまりもてないと思っている。数年に一度、誰かに告白されたり人づてに好かれているという噂を聞く程度だから、もてるとまで言うと言いすぎだろう。ただしどうも年上には好かれるタイプらしく、電車の中で席を譲れば『いまどき珍しい良いお嬢さんね、息子の嫁に欲しいわ』と言われるし、会社でも課長以上にはやたらと可愛がられている。この「可愛がり」に関しては今のところ、何の実害もないかわりに何の実益もない。この『俺のマドンナ』とはしゃいでいる大野課長も妻子を愛する既婚者で、珠緒に下心がないことは断言できた。
(でもあんなこと言われるとちょっとね)
 珠緒は通路を歩きながら思っていた。仕事でもバイクでも大先輩たちだとはいえ、やっとバイクに乗る仲間が増えると思ったのに、マドンナ呼ばわりは最初から仲間として見てもらえなさそうでゆううつだった。
 珠緒はちらりと大里さんも一緒だったら良かった、と思った。

 大里からはあれから一回だけ電話があった。大里の実家に送った礼状と菓子についてお礼のお礼を言われた。会社でも顔を合わせれば二言三言は話すが、大里は総務に居座って長々と雑談をしていくタイプではないので、じっくりと話す機会はない。この前エレベーターが来るまでに交わした短い会話ではまだちょうどいいバイクが見つからないと言っていた。安い買い物ではないから珠緒も早く買って下さいともいえなくて、一緒にどこかへ行こうという話はそのままになっている。
 しかし会社でこうして他のバイク乗りにツーリングに誘われたことで、珠緒は大里の誘いについて以前よりも気楽に考えられるようになっていた。今まで書道とクジラグッズ集めという一人でするインドアな趣味しかなかったので気付かなかったのだが、ゴルフや釣りのようなアウトドアスポーツでは『こんど一緒に』という話は珍しくないらしい。これが車なら一緒にどこかへ出かけようという誘いを受けるにはそれなりの心構えがいるが、バイクで一緒にどこかへ出かけても二人だけの空間ができるわけでもなし、趣味を同じくする者同士の交流と考えてあまり深い意味を持たせずに出かけられそうだった。
 大里を狙う職場の同僚たちもバイクに乗ればいいのに――と珠緒は他人事ならではののんきさで考えた。

2.
 土曜日の朝7時。珠緒は前回のツーリングでは寄りそこねた港北パーキングエリアに入った。待ち合わせなのかこれから遠方に出かけるのか、早い時間のわりに車もバイクもずいぶん多くて驚いた。駐車場内をだらだらと走ってバイクの駐輪場に近づくと、並んだバイクの傍にいくつも見覚えのある顔が見えた。しかし見慣れた顔の下に普段のネクタイを締めたスーツ姿ではなくライダージャケットや革ジャンがあるのがなんとなく不思議な感じだ。話したことはないが顔を知っている他のフロアの先輩女性――確か渡辺さんといった筈だ――もいたことで、珠緒は少し安心した。今日はこの渡辺さんについていこうと勝手に心の中で決めた。
「おはようございます」
 空いた場所に自分のバイクを停めた珠緒は、シールドを上げて挨拶をした。
「おお、本当に岡本さんがバイク乗ってるよ」
「岡本さんが乗ってるとこのバイク、やたらデカくみえない?」
「しかしこのミラーは替えるべきだろ」
 挨拶もそこそこに皆が口々に言うので珠緒は誰に返事をしていいものか分からずきょろきょろとしていたが、最後の言葉にはひっかかった。
「どうしてですか?」
「ダサい」
「えーっ!?」
 一刀両断で切り捨てられた珠緒が叫んだ。周囲は笑っていたが、そんなことないよとも言ってくれなかった。
 珠緒にはバイクに乗る友達がいない。ダサいとダサくないの違いが分からない。というより、そんなラインがどこかに引かれていることも初めて知った。前回のツーリングで大里にはレバーを替えた方がいいと言われていたが、調整してもらって使いやすくなったのでそれもそのままになっていた。
(……バイクってただ乗ってるだけじゃ駄目なのかな)

3.
 10台近い集団の中で珠緒のバイクが一番排気量が小さかったが、大型バイクもオフロード寄り、アメリカン、スーパースポーツなどタイプはばらばらだった。海老名サービスエリアでいったん集合し、そこからは一車線の左右を交互に走る千鳥という隊列で厚木インターチェンジを経由し小田原厚木で箱根に向かった。珠緒は心情的には一番後ろが良かったのだが、「速いバイクが先に行っちゃったら追いつけないでしょ」と言われて先頭から二番目のポジションを走った。

 伊豆箱根は、珠緒にとっては車の免許を取ってすぐの頃から友達とドライブや合宿、デート(これは一回だけ)で来慣れた場所だ。来慣れているだけに、一人でバイクに乗ってわざわざ来ようと思う場所ではなかった。
 しかしドライブに来るのとツーリングとでは一つ決定的な違いがあった。同じルートでも音楽を聴きながら友達と喋っていくのと違い、オートバイは何台集まっても基本的に一人だ。皆で一緒に走っていても、信号のない自動車道では途中で会話もない。海が見えて何となく嬉しくなっても、「箱根八里」の歌詞が一節だけ思い出せなくてものすごく気持ちが悪くても、黙ってアクセルをキープして走り続けるしかない。
(車は交代で運転できるけど、バイクは二人乗りで交代しながら乗るって聞いたことないしなぁ。それにしても今考えると、免許取ったばっかりの女の子が小さい車に5人乗って山道走るのって無謀だったよねぇ)
 ついこの間、一人で無謀なロングツーリングに出かけたことを棚に上げ、珠緒は近づいてくる山並みを眺めながらノスタルジーに浸っていた。

4.
 小田原厚木の終点からほんの少し一般道を走り、ターンパイクの入口を抜けたところで皆がバイクを止めて集まった。
「じゃあここからフリー区間ね。上の展望台で、1時間後に集合」
「岡本さん、ゆっくり来ていいからね」
 珠緒が事態を飲み込めずにぽかんとしている間に、珠緒が勝手についていこうと決めていた渡辺さんがウィリーで出て行ったのを皮切りに、次々とバイクがスタートダッシュで目の前の坂を上りみるみる小さくなっていった。
 気付くと、残っているのは珠緒と磯田主任の二人になっていた。珠緒は磯田を振り向いた。
「磯田主任は行かれないんですか?」
「僕は念のためしばらく岡本さんの後からついていくんで、先に出発して下さい」
 後ろから見られると思うと教習所に戻ったみたいで緊張したが、珠緒もシールドを下ろし、バイクにまたがるとサイドスタンドを外した。周囲を確認してからウィンカーを出して出発した。

 珠緒にとっての山道の認識は、どこかへ行くために、事故に気をつけてゆっくりと慎重に走る道だった。
 でもここを走る人々の認識は、珠緒とは違うようだった。

 何台もの車が後ろから珠緒を追い越し、コーナーを曲がって見えなくなる。スキール音を立てる車も一台や二台ではなかった。あまり車の種類に詳しくない珠緒でもポルシェがポルシェであることだけは独特の後姿で分かった。他に車種は分からないが見た目は普通で走り方が普通ではない車や、後ろにレーシングカーのような羽根をつけた車もいた。
 何気なく「ダサい」バックミラーを覗くと、自分の後ろに車が数台続いていた。左にウィンカーを出してバイクを路肩に寄せると、待ちかねたというように皆が珠緒の横を通過して行った。

5.
 珠緒のすぐ後ろにバイクを停めた磯田が、通過していく車が切れてから声をかけてきた。
「岡本さん、大丈夫?」
「はい。あの……磯田主任も先に行って下さい。展望台なら道は分かるし、ゆっくり走って行きますから」
「うーん……一応大丈夫そうだし、行かせてもらおうかな。ちょっとかぶり気味だからひとっ走りしてくる。後ろにつかれたら今みたいに譲って下さい」
 かぶり? と珠緒が首をかしげている間に、磯田はさあっといなくなった。

 珠緒は磯田が見えなくなってから更に何台かの車を見送り、後ろから何も来ていないのを確認して、再び出発した。後ろから見られている緊張はなくなったが、どうにももやもやしていた。
(私、ダサい? もしかして足手まとい?)
 珠緒はこの前、初めてのツーリングで紀伊半島の先まで一人で行った。道さえあればどこまでだって行けるんだというあの時の興奮は思い出すだけで今でも胸が高鳴る。バイクにまたがってグラブとジャケットの手首を絞り、ヘルメットをかぶれば、珠緒は25歳OLじゃなくてマシンの一部になれる――そう思っていた。
 それが他人と一緒に走ってみれば山道では普通の車にもついていけず、ミラーはダサいと言われ、実のところ今珠緒はかなり気持ちが沈んでいた。いちいち人と比べる必要はないのだが、いざ比べてみれば全然大したことなかったバイクと自分自身を思い知らされていた。
 それに、珠緒はこのツーリングで気付いたことがある。自分は、あまり山道が好きじゃないらしい。高速道路を走ってうんと遠くまで行く方が、近くの箱根を走るより好きだ。

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