ツーリングを少々 1
ツーリングの二本目 1
羨望
休日のお買い物 1
百合は綺麗なだけじゃないんです
すれちがい

ツーリングの二本目◆2

6.
 反対車線を走ってきたライダーがこちらに手を振っていると思ったら、真っ先に飛び出していった渡辺だった。珠緒が手を振り返すといったんすれ違い、Uターンして戻ってきて珠緒を追い抜いた。渡辺が少し先にある休憩所を腕で指して入ったので、珠緒も後に続いた。
 ヘルメットを脱ぐと、珠緒はほっと溜息をついた。
「岡本さん、一人で大丈夫?」
「大丈夫です。遅いけど。皆さんずいぶん飛ばすんですね」
「そんなに出してないわよ。うちは一応会社のツーリングだし何かあったらすぐ首が飛ぶ非組合員も混じってるから、おとなしいもんよ」
 ウィリーで先頭を切って出て行った渡辺がぬけぬけとそう言った。珠緒はくすっと笑い、ためらいながら告白した。
「私、今日気付いたんですけど、実は山道があんまり好きじゃないみたいです」
 渡辺が大笑いをした。
「なんとなく分かる。岡本さんってこういう感じだもんね」
 そう言って両手を顔の横にかざして見せたので珠緒は少しむっとした。
「そんなことないです」
「でも一本橋得意だったでしょ」
「……はい」
 珠緒は渋々答えた。渡辺がまた笑った。
「山道嫌いなら嫌いでもいいのよ。どこでも好きなところ走れば。どうせ無駄なことしてるんだから」
 珠緒の胸がずきんと痛んだ。――それは珠緒のミラーがダサいとか、足手まといだとか、全然たいしたことないってことだろうか。
 あなたなんか来ない方が良かったと、遠回しに嫌味を言われているのかと思ったら、急に心臓が激しい音を立て始めた。

7.
「それってどういう意味ですか?」
 そう聞き返す自分の硬い声を聞きながら、珠緒の頭の中のどこかでは普段の自分がパニックを起こしていた。人とぶつかりそうな場面はいつも避けて通っているのに。こんなこと言っちゃってこの後どうしよう。心臓の音はますます激しくなった。

 珠緒の問いかけに答える前に渡辺は、グラブをした手で自分のバイクをぽんぽんと叩くようにした。それは動物を可愛がる時のしぐさに似ていた。
「ピザ屋に勤めるんでもなきゃバイクに乗れなくても全く困らないし、バイクでなきゃいけない場所なんてほぼないしね。生きていくには全く必要ないことでしょ」

 そういう……意味だったのか。
 さっきまでの気負った自分が急に恥ずかしくなって珠緒は変な汗をかいた。渡辺の言葉を誤解したのが、自分のバイクや技術に対する自信のなさからだと気付いたら更に汗が出た。

 そんな珠緒の様子には頓着せず渡辺が続けた。
「うちの旦那なんかバイクのこと『無理無茶無駄』って言うわよ。『若くもないのに無理して、無茶して走って、人生無駄づかいする乗り物』って」
「渡辺さんて、結婚してるんですか!?」
 何故か珠緒は、渡辺は独身だと思い込んでいた。
「うん。企画部に渡辺っているでしょ? あれが旦那」
 渡辺はにこにこしながら答えた。

8.
「旦那さんはバイクは?」
「全然。一度後ろに乗せたら二度と乗りたくないって言われた。車の方が百倍いいって」
 先程の話といいずいぶんな言いようだったが、渡辺はさっきも今も笑っていた。珠緒は企画の渡辺さんの、穏やかそうな顔を思い出していた。あの渡辺さんとこの渡辺さんがどうして結婚したんだろうと一瞬考えてみたが、頭の中で二人を並べてみたらそれはそれでお似合いのような気がしてきた。  
「でもバイクに乗るのって車に乗るのとは全然違うのよね。同じ道走ってても、自由度が全然違うし。車同士が割り込みで意地悪してるのとかを斜め上から見下ろして『くっだらねぇ』って思うでしょ」
「思います、思います!」
 珠緒はぶんぶんと首を縦に振りながら答えた。
「大きめの車をこっちが抜いた時に、ムキになって抜き返してくるのとか『ちっせぇ』とか思うでしょ」
「思います、思います!」
 珠緒はもう大喜びだった。少しシニカルで意地悪な渡辺の口調に慣れてきて、渡辺と話すのが面白くなってきた。
「ね、無駄って楽しいよねぇ」
 そう言った渡辺があんまりいい顔で笑ったので、珠緒はなんだか嬉しくて声を立てて笑った。きっと渡辺さんの旦那さんもこの笑顔が好きで、文句を言いながらもバイクのことに反対しないのだろうと思った。

9.
 マドンナ呼ばわりされてゆううつだったのが嘘みたいだった。バイクは楽しい。ただ乗ってるのも、無茶するのも、誰かとバイクの話をするのも全部楽しい。
「本当に楽しいです、バイク」
「うん。楽しい。だから、走ろう!」
 唐突にそう言って渡辺が、ミラーにかけていたヘルメットをすくい上げた。
「行くわよ、岡本ちゃん!」
「まっ、待って下さいっ」
 珠緒もあわててヘルメットをかぶってバイクのエンジンをかけた。

 待ち合わせの展望台前では、先に着いた皆が雑談に興じていた。
「お疲れさまー」
「岡本さん、黒たまご食べる?」
「さっき古いモトグッツィが2台で走ってたな」
「マイクロロン入れてきたらなんか調子いいんだけど」
「マジ?」
「岡本さん、鬼軍曹にいじめられてたでしょ」

 大野課長に声をかけられて、珠緒が笑顔で答えた。
「全然そんなことなかったですよ。私もう、渡辺さんに一生ついていきますから」
 ええええっ、という叫びが一斉に沸きあがった。
「それだけはやめとけ」
「こいつはシグナルGPで横からキルスイッチ切るような女だぞ」
「新婚旅行で旦那振り落として森の中に置き去りにしたって話だぞ」
「ちょっとやめてよう。旦那は振り落としたんじゃなくて勝手に降りてたのよお」
 渡辺がわざとらしく色っぽい口調でいいわけするのを聞いて、珠緒は息ができなくなるまで笑った。二度と乗りたくないと言った裏にはいろいろ事情があるみたいだ。

エピローグ
 一行はそこから伊豆スカイラインを経由して伊東まで出た。穴場の店で漁師料理を次々に平らげながら皆が語るバイクの話を、珠緒はにこにこしながら聞いた。温和で人当たりのいい磯田主任に意外な武勇伝があったり、無口だと思っていた柴崎主任がコーナリングのライン取りについて熱く語ったりするので驚かされた。その柴崎に訊かれた。
「岡本さんはツーリング初めて?」
「誰かと一緒に走るのは初めてですけどツーリングは二回目です」
「一回目はどこ行ったの?」
「和歌山の方へちょっと」
「はっ?」

 柴崎が大きな声を出したので周囲の注目が集まった。
「和歌山? ツーリングで?」
「はい」
 皆の視線を感じて珠緒が赤くなった。行った先で大里の実家に泊めてもらった話は会社では誰にもしていない。隣に座った大野が、子どもを諭すように言った。
「岡本さん、和歌山は『ちょっと』行くとこじゃないから」
「はい、すみません」
 珠緒はいっそう赤くなってうつむいた。柴崎が笑い出した。
「渡辺さんについていくって言うだけあるわ。やるなぁ、岡本さん」
「実は『箱根なんてへのかっぱよ』って思ってたでしょ。『みんな案外たいしたことないわね』って」
「そんなこと思ってないですよっ!!」
 大野にからかわれて慌てる珠緒を見て、皆がまた笑った。
 へのかっぱなんて言われてマドンナもあったもんじゃない、と思ったら不意におかしみがこみあげ、珠緒も皆に少し遅れて笑い出した。バイクに乗らなければ、大野にこんな風にいじられることも、実はちょっと苦手だった柴崎をいい人だと思うこともなかったかもしれない。

 山道はあんまり好きじゃないけど。本当は一人でマイペースで走る方が気楽だけど。
「絶対絶対また誘って下さいねっ!」
 そう言った珠緒に、皆が頼もしく頷いた。

end.(2010/06/26) →番外編「羨望」アップ(2011/06/20)

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