ツーリングを少々 1
ツーリングの二本目 1
羨望
休日のお買い物 1
百合は綺麗なだけじゃないんです
すれちがい

休日のお買い物◆1

 角を曲がったとたん、見知った顔をみつけてぎょっとした。
 休日にこんな場所で知り合いに会うとは思わなかったし、状況的に知らぬふりをした方がいいだろう。珠緒はくるっと踵をかえしたが遅かった。
「たまちゃん?」
 どうしてばれたんだろうと思いながら、珠緒は気まずい顔でゆっくりと振り返った。
「はい?」
「よかった。ちょっと来て」
 片手にスマートフォンをもち、もう一方の手でおいでおいでをしているのは職場の先輩、大里だった。そのすぐ横には派手目な若い女性がいて、とてもとても気まずい。
 しかし大里は屈託なく珠緒に言った。
「たまちゃん、この店分かる?」
 女性が手に持ったメモを見て珠緒は眉を開き、更にそこに書かれた店名を読んで笑顔になった。
「ちょうど今から私も行くところなので、ご一緒しましょうか」
 珠緒が女性に微笑むと、何故か大里が言った。
「俺も一緒に行っていい?」
「はいっ? ええ、いいですけど」
 意外な申し出に首をかしげながら、珠緒は了承し、先に立った。

 その一角には住宅街とも違う独特の雰囲気があった。繁華街や駅からは少し離れた位置にあり、かつて花街だった名残があちこちに感じられる。ビジネスホテルと謳いながら入口が小さく奥まったホテルや、普通の民家に混じった昔ながらの料亭や待合は周囲に壁がめぐらされ、飛び石が誘う先は異空間だった。
 その並びにあるしもた屋風の、表に看板を出していない店のひとつが目的の龍珠堂だった。
 表の引き戸はすりガラスがはめてあり、中の様子は窺えなかった。大里が珠緒に訊いた。
「何屋?」
「筆屋さんです」
 ここは江戸時代から続くという老舗だ。文房四宝を扱うが、特に筆に関しては知る人ぞ知る店だ。弘法筆を選ばずというが、選ばずに書けるのはそれが弘法大師だからで、一度ここの筆を知ってしまうと他の筆では物足りなくなる。
 筆だけではなく全てにおいてだが、趣味の道具は値段が天井知らずだ。珠緒はいつもここにくると飾られた逸品を眺めて溜息をもらしつつ、値ごろな筆を買って帰ることになる。もっとも珠緒の書道の師匠によると、本当の逸品は客の顔を見て奥から出てくるそうだ。
 珠緒は引き戸を開けて案内してきた女性を先に通し、閉め出すのも可哀想かなと大里を見た。
「入ります?」
「入るよ」
 珠緒はいつものように憧れの硯を拝んでから、新しい筆が出ていないかざっとチェックして、結局いつもと同じ値ごろな筆を買った。
 一緒に来た女性に一人で帰れるか確認をしてから、珠緒は彼女を置いて店を出た。大里も一緒だった。大里も何か買ったらしく、かさかさいう店名の入った細長い紙袋を手にしていた。
「何を買われたんですか?」
「携帯用の筆?」
 半疑問形の大里が言いたいことを汲み取って、珠緒が答えた。
「矢立(やたて)ですね」
「うん、このコンパクトさがそそる」
 そう言って大里は袋の封を開けてみせた。箸箱と同じくらいの大きさの入れ物に、筆と墨壷が納まるようになっている。形ばかりのちゃちな筆が入った物もあるが、龍珠堂で扱うものならきっと間違いないだろう。
「美術館にあるような昔の矢立は細工も素晴らしいですよ!」
 笑顔でそう言ってから、珠緒ははっと我にかえった。
「大里さんは、龍珠堂さんに来たかったわけじゃないんですよね?」
「上野のバイク街から神田に行こうと思って変なとこ迷い込んでさ。そしたら女の人に呼び止められて」
 さっきスマートフォンとメモを覗き込む二人はまるで寄り添っているように見えた。珠緒は声を立てて笑った。
「見ちゃいけないものを見たんじゃないかと思って、びっくりしました」
 訊きなおした珠緒に、大里は顔をしかめてみせた。
「実は美人局(つつもたせ)で今にも男が出てくるんじゃないかってびくびくしてたら、出てきたのがたまちゃんで、助かったと思ったのにいきなり逃げるんだもんな。女の子だけじゃ危ないかとこっちは心配してるのに、たまちゃんはすたすた行っちゃうし」
「何言ってるんですか。そんな怖いとこじゃないですよ」
 日が落ちてからは一人で通るのをためらう筋もあるにはあるが、どこもたいてい昼間は普通の道だ。どんな繁華街でもすぐそばには民家もあるし住んでいる人もいる。しかし大里は言い張った。
「田舎から東京に来るときは色々脅されるんだよ」
 こういう感覚は東京育ちの珠緒にはよく分からない。ちょうど分かれ道が見えてきたので珠緒は話題を変えた。
「神田は電車で行かれるんですか? 何線使います?」
「歩いて行こうと思ったんだけど……行けるよね?」
「古書街ですか?」
「いや、登山用品の店に行きたくて」
 山登りもするのかな、と珠緒が思ったところで大里が言った。
「たまちゃん、一緒に行かない? バイク用に使えるもの結構あるんだよ」
「じゃあ、はい。ご一緒させて頂きます、師匠」
 珠緒の返事に、大里が顔をしかめた。
「やめよう、そういうの。バイク乗りに師匠とか弟子とかないから。仲間みたいなもんだろ?」
 珠緒は赤くなった。自分がマドンナ呼ばわりされた時に疎外されたように感じたのに、無意識に同じことをしたのが恥ずかしかった。
「――ごめんなさい」
「いや。怒ったわけじゃないから」
 大里が慌てたように言ってから、道の先を指した。
「どっち?」
「左です」
 なんとなくぎくしゃくとして、そこからは会話がなくなってしまった。
 半歩前を歩く大里の横顔を、珠緒はそっと見上げた。
 バイクのことで話すようになるまで大里は『時々見かける女子社員に人気のあるひと』で、同じ職場に勤めている以外は自分に関係のない人だった。話すようになると人気がある理由がよく分かった。気さくで明るくて、距離のとり方がうまくてさりげなく優しくもある。
 でも。と珠緒は思った。
 私はそういう大里さんが好きなわけじゃない。バイクの話ができるのはもちろん楽しいけど、大里さんと一緒にいて楽しいのは大里さんが私を女の子扱いしないでいてくれるからだ。

 ――そう思うと尚更、さっきの大里の言葉が重く響いた。

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