定点観測 1

定点観測◆2

 次に会った時、少年は約束どおりに、ディバッグから写真屋さんでよく貰う薄い紙製のアルバムを取り出して渡してくれた。
 アルバムのビニールの上に、子どもっぽい黒々とした字で撮影日が記入してあった。
 少年の言うとおり、港の堤防の向こうに広がる砂浜は一番最初の写真に比べて段々に狭くなっていき、三分の二ほどになっていた。
「すっごーい」
 ページをめくり、あれっと思って前のページに戻ってみた。ページの表裏になった二枚の写真をぱたぱたさせながら少年に訊いた。
「これ、順番合ってる?」
「続き見て」
 促されてページをめくると、今度は砂浜が段々に広くなっていった。そしてまた砂浜はピークを過ぎて狭くなりはじめた。
「なんで? どうして?」
「最初は、砂浜が小さくなると誰かが砂を持ってきて足してるのかと思ったんだよ。でもそれならもっと一気に砂浜が大きくなるはずだろ? それでいろいろ調べたんだけど、多分砂浜が狭くなると潮の流れが変わって、海底から砂を運んで来るから砂浜が広くなって、広くなりすぎるとまた潮の流れが変わって……っていうのを繰り返してるんだと思うんだよ」
 高い声でそう語る少年のぷっくりほっぺを、改めて見直した。
「それ、全部自分で考えたの?」
「考えたっていうか、そういう場所があるって本に書いてあったから」
 少年は仏頂面のまま目をそらした。
 きっとこの子は私と違って夏休みの自由研究も本の丸写しとかじゃなくてちゃんと研究してるんだ。これ出したら科学大臣賞とか取っちゃうんじゃない? あれ、文部大臣賞だっけ?
「すごいねー、あったまいいんだー。科学者とか宇宙飛行士とかなればいいのに」
「そんなのまだわかんねーよ」

 これが私達の友情のはじまりだった。

 最初に名前を聞けばよかったんだけど、言葉を交わす機会が増えてから改めて名前で呼びあうのは何だか照れくさくて、親しくなってからも私は彼を少年と、彼は私をおねーさんと呼び続けた。姉と慕ってくれているわけではなく渾名のようなものだということは分かっていたけど、一人っ子でいとこの中でもいちばんチビだった私にはお姉さんと呼んでくれる少年の存在がちょっとだけ嬉しかった。
 少年はその後も時々展望台にやってきて写真を撮り、私に見せてくれた。中学に入ると忙しくなって来る回数は減ったけど、私が高三でここを辞めるまでの二年と少しの間、お互いについてや全く関係のないことや……色々な話をした。
 彼の仏頂面が、子どもの頃に(その時だってまだ子どもだったくせに)可愛いとからかわれすぎて笑顔が苦手になったせいだというのはずいぶん経ってから聞いた。私が言った『一生懸命勉強するなんて格好悪い』という言葉に『自分ができないからって、できる人を馬鹿にする方がもっと格好悪い』ときっぱり言い返された時は、私のほうが年下みたいだった。
 季節ごとにここから見える星座の名前も、少年から聞いて覚えた。

 五年ぶりに会った少年の前にコーヒーを置き、自分は水のコップを手にして向かい側に座った。雲の中みたいな展望台には他に誰もいない。
「少年、今なにやってるの?」
「大学生」
「どこの大学?」
 少年が口にした名前は、地元の国立大だった。やっぱりね。小さいときから賢かったもん。
「そっかぁ、少年も大学生か。彼女とかいるの? そうそう、ここで好きな人と一緒に夕日に光る海を見たら幸せになるんだよ」
 そう言った私に、少年がとっても冷たい目を向けた。
「それって、おねーさんが考えた奴だろ」
「あれ? 知ってたっけ?」
「俺に自慢してただろ」
 そうなのだ。大きな声じゃ言えないけど、実はここの夕日にまつわる伝説を考えたのは私だったのだ。

 取材に来た記者さんにぺらっと言った出まかせがそのままガイドブックに載った。由来もいわくも何もない話だから、そんなの聞いたことないって人はいても、そんなの嘘だって言える人はいない。ガイドブックが発売されてから来場者は増えたけど、最初から幸せになりたいって思ってる人達が集まるんだからこの先不幸になるより幸せになる確率の方がずっと高い。ここに来た恋人達が幸せになれば、また評判が口コミでひろがった。
 私のカムバックが歓迎されたのは、ここの意外と人を選ぶ職場環境のせいだけじゃなく、この営業センスが認められたのだと密かに思っている。うーん、私って才能ある。
 心の中で百万回目くらいの自画自賛をしていたら、少年が急に言った。
「おねーさんは?」
「何?」
「男いるの?」
 少年の口からこんな質問が出たことにちょっと驚いた。その前に私が訊いたのと同じことを訊きかえされただけなので会話の流れとしては正しいんだけど。私の中の少年は男とか女とか関係なく、海や空の方を向いて話をする男の子だったから。
「いない。誰かいい人いたら紹介して」

「――俺がさあ」
 首をかしげてそう言った少年の視線は、海や空ではなく私に向いていた。

「定点観測してたの、砂浜だけじゃなかったって分かってたよね?」
 少年は、ううん、目の前のちょっとイケてる大学生は、怒ったように続けた。
「俺と付き合ってよ」

 すぐには返事ができなかった。――でも、だって。
「……年上だよ?」
「四つだけだろ」
「憧れのお姉さんってタイプじゃないよ?」
 少年がぷっと笑った。笑うな。
「知ってる。でもおねーさんは、俺の話をちゃんと聞いてくれたから。だから俺――」
 言葉を途切れさせた少年の、のどぼとけが上下した。初めて会った時はぷっくりしていた少年の頬は、シャープなラインを描いていた。もう女の子っぽくは見えない。

 雲に乗ってるみたいなふわふわした気分で私は、少年の言葉の続きをじっくり待つことにした。

end.(2011/08/26)

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