一角獣と乙女 1

一角獣と乙女◆1

 一角獣(リコルヌ)に出会った。
 私の願いを叶えてくれるのはこの一角獣だと、一目で分かった。

 どうしてここにいるのか。
 一角獣が訊いた。私は答えた。
 願いをかなえてほしい。お父様に心の平穏を、弟に健康を、領民に飢えずに済むだけの収穫を。
 お前の願いは。
 そう一角獣が訊いた。お前自身のための願いはないのかと。

 私の願いは――

 目を開けると、夢の中で見たのと同じ瞳が私を覗き込んでいた。
「ご気分はいかがですか、カトリーヌ姫」
 声変わり前の高い声だった。見知らぬ顔の後ろには青空と木々が見えた。
 こんな小姓はいなかった筈だ。慌てて身を起こそうとして、脇腹の痛みに息を呑んだ。
「まだお休みになっていた方が……」
「お前は何者だ」
「私はメイユール家のシャルルと申します」
 メイユールの名は知っていた。父の領地から少し離れた自治都市フォーレの商家だ。城下にも店を出している。
「姫様がお一人で倒れ、怪我をされているご様子でいらしたので、恐れ多くも介抱させて頂きました。いったいどうされたのですか」
 目覚めてすぐの記憶の混乱はもう収まっていた。
「遠乗りに来ていたが、急に馬が暴れて振り落とされた。私の馬は?」
「このあたりにはおりませんでした」
「そうか。かたじけないが、誰か人を呼んできてくれるか。礼はあとでさせてもらう」
「それが、その……私もそのつもりで色々試したのですが、ここからは縄がないと上がれないようです」
「なに?」
「姫様は崖の下に倒れておいででした。私は崖の上から姫様を見つけて、お助けしようとここまで降りたものの上がることができなくなりました」
 シャルルは恥じ入った様子で下を向いた。身なりもいいし弁も立つようだがしょせんは子ども、体格は一人前の男には及ばなかった。私が支えて手がかりのあるところまで押し上げられないかと考えたが、腕を上げようとしただけでまたひどい痛みに襲われた。
「……まあいい。じきに城から迎えが来るだろう」

 そう言ったところで、シャルルが顔を上げた。
「カトリーヌ姫」
「なんだ、褒美か」
「いえ……その。姫様に結婚の申し込みをさせて頂きたいと存じます」
 返事ができずにシャルルの顔をまじまじと見つめた。シャルルはひげもないつるんとした頬を真っ赤にしていたが、まっすぐにこちらを見返してきた。
 気を取り直した私は口を開いた。
「断る。私は誰とも結婚しない。私の名を知っているならそのことも知っているだろう」
「姫様の名誉をお守りするためです」
「……どういうことだ」
「その、姫様をお助けしてから既に一晩が過ぎました」
「馬鹿馬鹿しい。お前は子どもだ」
「年若くはありますが、もう結婚を許される歳にはなっております」
 はっきり言わないところをみると、十四歳を過ぎていくらも経ってはいないのだろう。十四としたら私より七つ下だ。
 だが幾つであろうとかまわない。歳が足りていようがいまいが、私がこの者と結婚することはない。
 と思ったその時、シャルルが声を低くして続けた。
「姫様は昨夜、熱に浮かされておいででした。ご結婚を望まれない事情も伺っております」

 血の気が引いた。あれは……夢だったはずだ。
「私は、」
 シャルルが急に姿勢を正した。さきほど崖を上れずに恥じ入っていた時とは別人のように大人びた顔つきに変わった。
「メイユール家の三男です。姫様が私を婿にと望んで下されば、父は持参金を持たせて寄越すでしょう。もしお許しが頂けるのなら、姫様のお力になり弟君が成人されるまで領地の管理をお手伝いさせて頂きます。読み書き計算に不自由はありませんし、いくつか案もございます。もちろん父は商人ですから商売の便宜を図っていただくようにお願いするとは思いますが、お互いの家にとって悪い話ではないはずです」
「領地も城も私ではなく弟が成人した時に受け継ぐものだ。自分のものでもない領地のためにそこまでして、お前は何を得る?」
「知識を。――領地の管理が行き届くようになりましたら、教授を招いて勉強を続けさせて頂きたいと存じます」
「それだけか?」
「それ以外の野心はありませんが、父の下ではそれもままなりません。実益のない学問は父にとって許しがたい贅沢なのです」
 シャルルが一瞬目を伏せた。しかし再び上げた目に浮かぶ強い光に、視線を外すことができなくなった。
「必ず姫様のお力になると神かけて誓います。カトリーヌ姫。どうか、私に御手を与え、姫様をお守りする栄誉をお授け下さい」
「私が剣を使えることは知っているな。その私をお前が守るというのか?」
「未婚のままでは、いつか遠い土地へ嫁ぐよう命じられることがないとも限りません。そうなったら、弟君とも離れておしまいになります」

 シャルルが口にしたのは、私が密かに恐れていることだった。もしかしたら、熱にうかされて自分から話してしまったのかもしれない。他に何を知られているかと考え気がふさいだが、最初に断わった時とは事情が違ってきた。
 私は城を出るわけにはいかなかった。父と弟の世話を続け、今までどおりに城を切り盛りしながら持参金つきの婿を迎えるというのは、なんとも都合の良い話だった。なにより、主君の命よりもやむを得ない事情で嫁ぐ方が、いざという時に婚姻無効の訴えがしやすい。
 何も悩むことはない。メイユール家の商いは大きい。事情が事情だけに持参金は充分に見込める。今年の夏は雨が多く、畑の麦は刈入前に芽が出たものもある。持参金があれば、次の春まで領民が飢える心配はなくなる。
 一角獣の夢は、このことを告げていたのかもしれない。
 
 シャルルを見つめたまま、痛みが少ない方の手を差し出した。
「――メイユール家のシャルル。神ではなく私に、正直な取引をすると誓え。お前と契約しよう」
 シャルルは私から視線を外さないまま、与えた手を両手で受けた。
 お互いに目の奥を覗き、相手の思いを少しでも多く読み取ろうとしていた。
「確かに、承りました」
 シャルルは頭を垂れ、私の手に口づけを落とした。私はシャルルの視線から逃れたことで安堵し、さらに自分が安堵したことに腹を立てた。しかしこれで全ては決まった。

 シャルルに手伝わせ身なりを整えるか整えないかのうちに、崖の上から私を呼ぶ声が響いてきた。
「カトリーヌ姫はこちらにいらっしゃいます」
 シャルルが澄んだ高い声で答えた。

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