読切◆触手の恋
以前「異類恋愛譚」の一部として掲載したものを独立させました
触手は初めて恋をした。
相手は皆の憧れの剣士だ。ほぼ毎日、触手が育つ沼のそばへやってきては触手の仲間達を倒して修行に励んでいる。皆が競って手を伸ばし彼を自分だけのものにしようとするが、彼は決して負けない。仲間は彼に斬られると幸せな悲鳴を上げ魔力を散らし倒れていくが、まだまだたくさん控えているのですみっこに生えた触手が彼の眼にとまることは当分なさそうだった。
(触りたいなぁ。自分のものにしたいなぁ)
触手はぼんやりと考える。
一般に触手がもつ感情はあまり多様とはいえない。快不快の感情しかもたない仲間も大勢いる。しかし中には豊かな感情を持つものもいて、そういう仲間は今の触手と同じように「彼を絡めてつかまえ、自分の根で囲い込んで吸収したい」という思いを抱いていた。
触手はそんな仲間を押しのけて彼に近づく勇気に欠けていた。
せめて一度でも彼の腕に蔓を絡めることができたら、触手はもうそれだけでいいと思えるのだが。
そんな風にかなわぬ恋を患う触手にとって最大のチャンスは最大のピンチと同時にやってきた。
いつもの剣士が、後ろを振り返りながら駆けてきた。腕を押さえた指の間から赤い血がしたたる。沼の水で傷を洗う剣士は、彼の血を嗅いで喜びに身をくねらす触手達を一顧だにしなかった。
彼が気にしていたのが何なのかはすぐに分かった。このあたりで初めて見る狼の大きな群れが血の匂いをたどって現れたからだ。リーダーをしんがりに、舌を出して笑ったような顔がいくつもいくつも彼に近づいてきた。
剣士は臆病でなく、腕もそう悪くなかったが、なにしろ数が多かった。それに怪我のせいで普段より消耗がひどかった。沼を背負って追い詰められた剣士はじりじりと後退し、今までになく触手に近づいた。
(今なら……触れる)
後ろからそろりと剣士に近づいた触手は、剣士が振り向く前に一気に巻きついた。
「しまったっ! くそうっ、離せっ」
痛恨が滲む声で剣士が叫ぶ。その剣士を触手は高く持ち上げる。
(やった、やった! 触れた、彼に触れた!)
狂喜する触手の心の中で二つの想いがぶつかった。
このまま沼に沈め溺れさせて自分の根で大切に囲い込んで守りたいという気持ち。
それとは相容れない、彼に嫌われ憎まれたくないという気持ち。
狼たちは獲物を横取りした触手を囲んで唸った。
触手の拘束から逃れようともがく剣士は、両刃の剣で我が身を傷つけながらも絡まった蔓の何カ所かを斬っていた。
残りの蔓だけで耐えられるかは分からないが、もし彼を救うことができれば喜んでもらえるかもしれない。もし失敗したら嫌われたまま彼までも永遠に失うことになる。
先頭の狼の体が急にたくましくなった。魔力で筋肉を強化したようだ。
触手は、もう迷っている暇がないと悟る。
狼が飛びかかってくる一瞬前、触手は大きくふりかぶって剣士を高い木の上に投げた。
どうやらうまく横枝につかまれたらしい。落ちてくる様子はない。
体当たりをうけた主蔓が裂け、そこから魔力がこぼれ出すのが分かったが、触手は満足していた。
せめて一度でもと願ったことは叶った。もう思い残すことはない。
魔力が尽きかけもうろうとする触手は最後に思った。
(次は触手じゃなくて……綺麗な花になりたいなぁ)
そしてしばらく時が流れる。
「おー、お前どうしたのこれ、花なんか飾っちゃって」
「うるせーよ。ばーちゃんが好きだった花なんだよ。たまたま出た先で咲いてるの見かけたから根っこから掘ってきた」
そう言って剣士は猫背になってかいがいしく花の鉢に水をやる。
「いやー、お前に花、似合わねぇー」
「ちげーよ。この草、花が終わるとちんまい実をつけるんだよ。この辺じゃ売ってないからちょっと食べたくなってさ」
「どんな味すんの?」
聞かれた剣士は、少し照れた顔で言った。
「甘酸っぱい、素朴な味だよ」
「美味いの?」
「俺は好きだよ」
その次の瞬間、窓も開けていないのに小さな花がそよそよと揺れたことには、剣士も部屋を訪れた友人も気付かなかった。
(私も好きよ)
小さな花は誰にも聞こえない声で、剣士に向かってそっとそうつぶやいた。
end.(2014/02/09初出・2019/02/24分割再アップ)
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