フライディと私シリーズ第十三作
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4.
「まあ、ありがとう。可愛いお花」
 アンはチップとキャットが持っていった見舞いの花かごを見て喜んだ。キャットは病室を訪れてチップが小さいアレンジがいいと言った理由が分かった。アンの病室はかなり広い特別室だったにもかかわらず、部屋の中は既に花で埋め尽くされていたのだった。さっき行った店よりもここの方がよほど花屋みたいだとキャットは内心で思った。
「はじめまして、ミス・ベーカー。大変だったでしょう。もう大丈夫なの?」
「はい。全然たいしたことじゃなかったんです」
 キャットが真っ赤になった。チップが会議を放り出して飛んできて、おまけに秘書が叱責を受けた、そのきっかけはキャットが大学の構内で階段から落ち頭を打った事故だった。一瞬気を失ったもののキャットの意識はすぐ戻り、本人は脳震盪ではなく試験勉強のための徹夜のせいでちょっとぼうっとしただけだと主張し続けたが、念のためという理由で大学の校医がついて救急外来を受診し、あれこれ検査して、医者から24時間は要観察だがほぼ心配ないだろうという診断が出てようやくさっき放免された。
 しかし今回チップへの連絡が遅れたことで、チップがガーディアンを引き受ける時に提出した書類に書かれた連絡先が、直通の携帯電話ではなく大学構内にある理事室の電話番号だったことが発覚し、秘書はきつい叱責を受けることとなった。秘書のために付け加えておくと『殿下直通の携帯電話番号は公的な書類には記載しない』というルールがあるのも本当だった。しかし親代わりにもなるガーディアンの連絡先としてはやはり不充分だった。
「よかったわ、たいしたことなくて」
 そう言って微笑んだアンの横でアートが微笑んだのを見て、キャットも自然に笑顔になった。二人の間には確かに落ち着いた親密さが感じられた。
 
5.
 アンは色が白いことを除けばキャットが想像していたよりもずっと健康そうに見えた。キャットが丁寧に訊いた。
「レディ・アンはお加減いかがですか?」 
「ご心配ありがとう。検査入院だったから絶食が辛かったけど、幸い結果はよくてもうすぐ退院できるのよ。ちょっとはダイエットにもなったみたい」
 確かめるように頬を押さえたアンの横でアートがぼそっと言った。
「変わってない」
「アーサー殿下」
 アンが非難するようにアートの名前を呼んだ。アートは目をそらして返事をしなかった。チップが笑って言った。
「よく見ておいた方がいいよ、キャット。アートが怒られてるところなんて滅多に見られるもんじゃないからね」
「チップ!」
「チャールズ殿下!」
 今度はアートとアンで同時にチップの名を呼んだ。チップは二人を無視してキャットにウィンクをした。
「アートはずるいんだよ、いつも眉間に皺寄せてるから何か怒ってるんじゃないかと思って黙ってても周囲が気を使ってくれるだろ。僕なんかはいつも愛想がいいからぞんざいな扱いを受けるんだ、ほら、さっきみたいに」
 さっきキャットを居心地悪くさせたことのチップなりのフォローだったが、引き合いに出されたアートの方は眉間の皺が一層深くなった。アンは思い当たる節があるのかアートの横で頬を緊張させ笑いを堪えていた。その後もチップがアートの日常を面白おかしく話すのでアンはそっと横を向いて頬のひきつりを隠し、キャットは申し訳ないと思いながらも声を立てて笑った。
 
6.
「そういえばお前は会議を抜けてきたんじゃないのか」
 耐え切れなくなったのか、とうとうアートがそう言い出した。チップが笑った。
「ご心配なく。摂政殿下から至急の連絡があったので戻れるかどうか分からないと言って出てきたから。でもお邪魔みたいだからそろそろ退散するよ。アン、うるさくしてごめんね」
「とんでもないです。わざわざお運び下さってありがとうございます。ミス・ベーカーもありがとう」
 にこやかなアンと掃き出さんばかりのアートに見送られて、チップ達は病室を後にした。
 
「『アート』って呼ばないんだね」
「うん、二人の時は違うのかもしれないけど……いや、二人のときも呼んでそうだな、アンは。実際、結婚の話が持ち上がるまでほとんど話したこともなかった筈だし、二人がどの程度親しくしてるのかは謎だよ」
「でも、仲良さそうだった」
「分かった?」
「うん、アートが横にいるのにレディ・アンは緊張してなかったもん」
 キャットの観察にチップが噴き出した。
「そうだね、確かにアートが横にいて緊張せずにいるには相当親しくないと無理だ。君ですらしおらしくなるのに」
「君ですら、ってどういう意味よ?」
 キャットがチップを睨み上げた。不意にチップがキャットを抱きすくめた。突然の抱擁に驚くキャットの耳元でチップが囁いた。
「ああ、やっといつもの顔になった。本当に何ともなくてよかった。実はどうやって病院まで来たのかあんまり覚えてないんだ」
「心配かけてごめんね」
 キャットが力いっぱいチップを抱き返した。チップは片手でキャットをしっかりと抱いたまま、もう片方の手でキャットの頭を撫でた。チップがもう一度だけぎゅっと力を込めて抱いてから、キャットを解放した。
「このまま遊びに行こう、と言いたいところだけど君は試験があるんだっけ」
 がっかりした顔を上げたキャットに、チップは笑顔で言った。
「あんまりひどい成績取らないでくれよ。留年する学生の名前は理事会で報告されるんだからな」
 
 ようやく試験を終えてほっとしたある日、キャットはチップから二人で午餐をしようと誘われた。
 
7.
 王宮の、窓から気持ちよく日が差す部屋で、どこか上の空なチップと弾まない会話をしながら午餐を終えたキャットは、チップのエスコートで隣の部屋へ移動した。ソファにキャットを座らせ、並んで座ったチップがようやく今日の目的を口にした。
「ねえ、ロビン、例えばだけど……
 キャットが何の話が始まるのかとチップの目を覗き込んだ。
「僕が王位継承権を回復したら君はどう思う?」
「回復するの?」
「いや、例えばとして考えて欲しいんだけど」
 キャットは考えてみた。よくよく考えてみた。しかし何の感慨も浮かばなかった。そもそも何が変わるのかが分からないのだ。
「何が違うの? 警護がつくの?」
「そうだね……あとは外で食事するのにもいちいち店を選ばなくちゃいけなくなる。結婚する時には議会の許可が要るようになる。もちろんいいこともある。僕と結婚すると君はプリンセス(王子妃)と呼ばれる。子どもが男の子だった時には王位継承権を持つプリンス(王孫)になるし、男のいとこがいなければその子は将来の国王になって、君がキングズマザー(国母)になるかもしれない」
「フライディはどっちがいいの?」
 正面からそう訊いたキャットに、チップが笑いかけた。
「僕はどちらがいいと選べる立場じゃなくてね。でも君は選べるから」
「フライディッ!」
 
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