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チップとキャット 3

 ベスと二人でホテルの中庭に出て夜風に当たると、キャットのほてりも少しひいてきた。

 パーティ会場のまばゆい明かりが中庭を照らしていた。
 中庭を囲むように置かれたベンチに、それぞれ一組づつ男女が座っているのを見てキャットはくすっと笑った。
「どうしたの?」
「なんだかカップルシートみたいじゃない?」
 ベスもその言葉にくすくすと笑った。
「本当ね。こっちから見るとちょっと恥ずかしいけど、きっと座ってる方は他の人のことなんて気にしてないわね」
「ベスもそうだった?」
「何が?」
「カップルシートに座った時」
「経験ないわ。私、エドが初めての恋人なのよ。それまではデートもしたことがなかったから」
 えっ、と驚いた顔をしてキャットがベスを見直した。
「でもチップは? 婚約してたんでしょう?」
「父から『チップでいいか』って聞かれただけで、一度もデートはしてないわ、幸いにも」
「へえ」
 キャットは何と答えていいか分からなかったが、嬉しい気持ちは隠しきれなかった。

 たとえチップが過去の恋人の存在をことあるごとに強調してみせたとしても、それは霞の向こうのぼんやりとした存在でしかなかったが、ベスに一度も妬いたことがないと言えば嘘になった。チップとベスはよく喧嘩をするが、それだけ二人が親密だからとも見えるのだ。

 一度もデートしてないんだったら、本当に気にしなくてもいいのかもしれないと思ったキャットだが、次の瞬間にとんでもない光景を目にしてしまった。

「どうしたの、キャット?」
 急に立ち止まったキャットを心配して声をかけたベスも、同じ光景を目にした。

 男性の方は女性の肩に両手をかけ、女性は男性の腰に両手を回していた。ゆるく抱き合って、これからキスを交わす――あるいはもう交わしたかのように。目に入ったゴミを取るとかずれたコンタクトを探すといった誤解されやすい行動の途中にしては、二人が今いる道から外れた植え込みの奥は暗すぎた。
 ベスは無言で、ガーデンライトの光から少し外れた暗がりに静かに近づいた。

 見間違いだと言い訳できない距離まで迫ってから、普段より一オクターブは低い声でベスが呼びかけた。
「チップ、何をしているの?」

 チップはびくっとしてベスを見たが、連れの肩にかけた手のひとつはまだ残していた。
「パーティだけじゃなく違うエスコートも引き受けたの?」
「そういう言い方はやめてほしいな。ちょっと親睦を深めていただけだよ」
 チップがデメトリアの肩を抱き、ベスの刺すような目線から連れを庇うようにして道に戻った。
 少し離れた場所に立つキャットに気付いた時はさすがに一瞬驚いた顔をしたが、すぐ目を逸らしたキャットに声をかけたりはしなかった。

 デメトリアは顔をあげ、隠れるでもなく胸を張って、チップに肩を抱かれたまま並んで急ぐこともなくその場を離れた。
 もちろん彼女にはやましいところなど一つもないのだろう。未婚の男女がほんのちょっといい雰囲気を共有し――チップに言わせると親睦を深め――たところで、別のパートナーを伴ったただのいとこに非難されるいわれもない。デメトリアは別に王子をだまして庭に連れ出したわけではない。王子は自分の意思で彼女に付き添ったのだ。
 もし悄然と立ち尽くす少女が王子の新しい相手だと知らされたとしても、彼女はきっと「それは少女と王子の間の問題であって自分にとっての問題ではない」と肩をすくめるだけだろう。

 二人が消えてしばらくして、ベスがキャットに声をかけた。
「キャット」
「戻ろうか。エド達が心配してるよね」
 キャットがさっきの出来事には一切触れずに早口でそう言ったので、ベスは頷くしかなかった。
 キャットは少し顔色が悪いもののエド達のところへ戻ってからは健気に笑顔を見せた。
 帰りの車の中でもキャットは笑顔だったものの殆ど口をきかず、ベスはキャットを気にして上の空で、エドは二人の様子を気にして話を盛り上げようとしては空回りし、ベンはいつも変わらない無口のまま、和やかとはとても言いがたい空気のままベスの家に着いた。キャットとベスはそこで車から降ろしてもらい、二人の王子と別れた。

 玄関を入ったところでベスが真剣な顔でキャットに向き直ったが、キャットは顔に貼り付けた笑顔でベスをかわした。
「先に休ませてもらってもいい?」
「もちろんよ。ああ、もう、もし眠れなかったりしたら、いつでも部屋に来ていいのよ」
「ありがとう。ごめんね、せっかく誘ってもらったのにあんまりお喋りしなくて」
「キャット!! そんなこと気にしないでよ。だって」
「おやすみなさい」

 キャットはいつも泊まりに来た時に用意される、可愛らしい家具と天蓋つきのベッドが置かれているゲストルームに入って、明かりをつけずに窓辺に立った。

 チップにされそうになったキスのこと、チップがしていたかもしれないキスのことが頭の中をぐるぐると回って熱が出そうだった。

「今日は寝よう。明日考えよう」
 誰か綺麗な女の人がそう言ってた。テレビで見た古い映画の中で。
 そう自分に言い聞かせて、キャットは化粧をいい加減に落として上げた髪を解きパジャマに着替え、さっさとベッドに入った。携帯電話を手に持って少し考えてから、電源を切った。

 夢で一度夜中に起きたキャットは、目をごしごしっとこすってからまた、自分を守るように丸い姿勢をとって寝なおした。

 前夜が遅かったので翌日は昼過ぎまで寝て、午後からはキャットとベスでテニスをした。キャットは珍しくミスを連発して「ちょっと体が鈍ってるから走ってくる」と、それから延々とベスの家の広い敷地を走った。
 夕飯の後でキャットは早々に部屋に戻りベッドに倒れ込むようにして寝たので、夜のニュースで映ったデメトリアとチップの姿は見なくて済んだ。

 さらにその翌日はベスとキャットで買い物に行った。キャットが珍しく大人っぽい服を気にいって、店員の勧めで試着した。
 しかしカーテンを開いて出てきたキャットを見て、店員もベスも何と声をかけようか戸惑った。
 キャットがぼろぼろと大粒の涙を零していたからだ。

「ベス、どうしよう。全然似合わない」
「そんなことないけど……」
「やっぱりやめる」
 そう言ってキャットがまたカーテンを閉めた。試着室の中から泣き声が漏れた。
 この様子では服は買取ったほうがいいだろうと、ベスが店員に後で家に届けるようにと言い、着替えたキャットを車に乗せた。

「キャット、海でも見にいきましょうか」
「海は……駄目。いろいろと……山がいい……ごめんね、ベス……」
 タオルを握り締めたキャットがしゃくりあげながらそう答えたので、二人で見晴らしのいいドライブウェイを走り、山頂の城跡にやってきた。

「ここは四百年くらい前のご先祖さまが作ったお城の跡。戦争の時には篭城できるように昔はここに」
 朗らかにそう言いかけたベスが言葉を途切れさせ我が目を疑った。

 デメトリアと腕を組んだチップを先頭に、視察団があと二人、案内役と政府関係者、あとは警護官やプレスなどが脇を固め、目立つ集団が駐車場からこちらへ向かってやってきた。
 公式予定にはなかったこの寄り道を思いついたのが誰か分かれば名指しで呪ってやる、ベスは心の中でそんな穏やかでないことを考えた。

 城跡を見上げるようにしたチップが確かにこちらに気付いた、そう思ったベスがとっさに自分の横にいたキャットを確認すると、彼女は壁に隠れるように小さくしゃがみこんでいた。
「キャット?」
「逃げよう」
「逃げるって」
 キャットが頭を低くしたまま広場の端に向かって移動しはじめたので、ベスは仕方なく追いかけることにした。
 一度後ろを気にして振りかえり、チップがこちらを見ているのに気付いて思い切り顔をしかめてみせた。

「キャットが逃げることなんてないのよ?」
「う、うん。でもお仕事中みたいだし」
「キャット、一昨日の夜のことが気になるなら説明を求めるべきよ、ううん、チップには求められなくても説明する義務があるわ」
「ベス、お願い。大きな声出さないで」
「あの女にだらしのないいとこには私からも言いたいことが色々あるのよ」
「私……私、そういうのよくわかんないの」
「キャット、そんな風じゃチップの思う壺よ」
 そう言っている間に車にたどり着いてしまった。
「お願い。今日はもう帰ろう」
 キャットにそう懇願され、ベスは折れた。

 慎重派のベスにしてはずいぶんとラフな運転で家まで帰り、夕飯はいらないというキャットに軽い夜食を部屋に届けさせると約束して部屋に残し、ドアを閉めた。

 翌朝の朝食にもキャットは現れなかった。昼食までいらないと言うので心配してベスが見にいくと、キャットは熱っぽい顔をして四柱式ベッドの中にいた。
 ベスが額に手をやるとやはり熱があった。キャットが寝れば治ると言い張って付き添いを断ったので、ベスはそばに付く代わりに話を聞こうとエドを呼び出した。

「チップはいったい何を考えてるの!? 今回の『公務』ってあんなことまで入ってるの?」
 顔を合わせるなりベスに怒られたエドは、しゅんとなって答えた。
「僕も詳しくは教えてもらってないんだ」
「チップから納得のいく説明を聞かせてもらうまで、キャットには会わせられないわ。私はご両親からキャットをお預かりしてるんだから。
 あんまりチップがキャットをないがしろにするんだったら、お付き合いについても考え直すように説得するつもりよ」
 話しながら段々声が低くなっていくベスのふつふつと沸き立つような怒りに、エドが複雑な顔をして言った。
「ねえ、エリザベス。本当はエリザベスもチップのこと好きだったんじゃない?」
「えっ!?」
「そんなに怒ってるのは、もしかしてキャットのためだけじゃなくて」
 少し目を伏せてそう言うエドの手を、ベスが両手でぎゅうっと握った。
「馬鹿ね、エド。そんなことないわよ。いつも私だけ無視されてたから口惜しかったのは本当だけど、私は本当に本当にチップのことが嫌いだったのよっ!」
 ベスが力を込めてそう言った。

「告白どうもありがとう」

 エドが礼儀正しく少し開けておいたドアの向こうから聞き慣れた声がした。
 エドとベスは二人そろってドアの方を向いた。

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