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入学初日

 大学の初日、今日友達になったばかりのフェイスとローズは、少し前を歩く学生に見覚えがあるのに気付いた。

「キャサリン!」
 ローズの声に振り向いた彼女は、思ったとおり今日のオリエンテーションで一緒になった新入生だった。名前は自己紹介の時に聞いていた。
「私を呼んだ?」
「ええ。キャサリンって呼んでいいでしょ?」
「いつもはキャットって呼ばれてるの」
「じゃあ私もキャットって呼ぶね。私のことはローズって呼んで」
 そう言ったローズは、キャットの人懐こい笑顔を一目見たときから感じのいい人だと思っていた。
「あなた留学生なんでしょ。私達これから市内観光に行くんだけど、一緒に行かない?」
 そう誘われたキャットが、目を輝かせて頷いた。

 ローズは親元から通っている地元レプトンっ子だった。たまたま隣の席に座った地方出身のフェイスと意気投合して友達になって、そのまま帰りに市内を案内する約束をした。二人とも友達が増えるのは大歓迎だった。
 キャットを交えた三人は、新生活への期待と興奮からはしゃいだ様子でおしゃべりな自己紹介をしあった。
 フェイスとキャットは同じように親元を離れて寮に入ると知り、お互いに寮の名前を言い合ったが、残念ながら同寮ではなかった。
「残念。私、まだ寮に行ってなくて、今日帰ってから急いで友達を作らなくちゃいけないんだ」
 キャットがそう言うと、フェイスが驚いて言った。
「荷物はどうしたの? 来週からもう講義が始まるでしょ? まさか今日着いたの?」
「荷物は先に届けてもらったけど大してないし、……今朝まではこっちにいる知り合いのところに泊めてもらってた」
 そう言ったキャットは、何故か急に不機嫌そうな顔をした。

「ここが大聖堂。……宗教施設に立ち寄るのが嫌だったら前を通るだけにしよう」
 ローズが気を使ってそう言ったが、フェイスもキャットも「大した信仰はないけど、観てみたい」と答えたので、高い天井に響く荘厳な音楽を楽しみながら、祈りを捧げる信者の邪魔をしないように静かに中を見て回った。
「素晴らしかった」
 外に出た時、それまで黙っていたフェイスが囁くようにそう言った。ローズが嬉しそうににっこりと笑ってから、いたずらっぽく言った。
「心を洗い清めたところで、今度は思いっきり泥にまみれにいこうか」
 そう言って今度ローズが連れて行ったのは有名なカフェだった。

 ゴッホの有名な絵と同名の「カフェ・ラ・ニュイ」は映画の撮影に使われたこともあるため、オンシーズンには観光客にも人気でいつも混んでいる。普段地元の人間は近寄らない店だ。

「この店に来たらまずこの泥の色をしたとびきりにがぁいコーヒーを飲まなくちゃいけないの」
 メニューを指してそう言ったローズが、自分にはさっさと違うものを頼んだので、キャットとフェイスが激しく抗議した。
「私は前にも来てるからいいの」
 ローズは澄ましてそう言った。
 半分は好奇心で、残り半分は意地でキャットとフェイスはその泥の色のコーヒーを頼んで、一口飲んでから咳き込んで大量に砂糖を足し、甘い大きなケーキを追加で注文した。

「ああー、たのしいっ!!」
 不意にキャットが両手を挙げて伸びをしながらそう言った。
「新しい生活が始まるってわくわくするね!」
 フェイスもそう答えた。
「まだ信じられない。自分がここにいて、大学生で、こうやって新しくできた友達と泥の色のコーヒーを飲んでることが」
 そう言ったキャットの不思議な微笑みの理由を、ローズとフェイスは追求しなかった。まだ会って数時間だ。これからずっと一緒に過ごせば彼女のことももっと分かるに違いない。

 コーヒーと、口直しのケーキで元気をチャージした三人はそこからまたローズの案内でおのぼりさんツアーに戻った。
 観光地にありがちな、どの店でも、いやどの観光地でも大して変わらないみやげ物を並べた店が軒を連ねる通りで、キャットが突然けたたましい笑い声を上げた。
「なにあれっ!」
 キャットが指した絵葉書スタンドには、たくさんの写真でできた絵葉書が刺さっていた。
「王族の皆様」
「ブロマイド?」
「ブロマイドっていうか……あなたの国にもあるでしょ、政治家の絵葉書とかと一緒」
「うんうん、そうだけど」
 そう言いながらキャットが楽しそうにスタンドを回して、今度は顔だけがコラージュされて台詞を言わされている葉書を順番に読み、笑いすぎてとうとう涙を拭くハンカチを出した。
「こんなの認められてるの? 怒られないの?」
「あんまりやりすぎたら言われるのかなあ。店によってちょっとづつ違うのもあるから、こっそり作ってるんだと思うけど。この国の王室は観光資源みたいなものだから、結構甘いんじゃない?」
「そうなんだ。ああ、おかしい」
 そう言ってキャットは次々とスタンドから葉書を抜いた。
 厚みのある絵葉書の束をレジに持っていく後姿を見ながらローズとフェイスは言い合った。
「そんなに珍しいのかな」
「友達に出すんじゃない? 四王子はメルシエの名物だし」
「それは確かに」

 買い物を終えたキャットが二人に合流すると、ローズが時計をみて言った。
「じゃあそろそろ本日の最終目的地に行こうか」
 フェイスが笑顔で頷いた。
「おばあちゃんに写真を撮って送るって約束してるんだ」
 キャットが歩き始めた二人に追いついて訊いた。
「どこへ行くの?」
「もちろん、王宮だよ」

 そう言われた時のキャットの顔を、残念ながら前を歩く二人は見逃した。

「おばあちゃんは昔の人だから王様とか大好きなんだけど、もうあんまり長い旅行とかできなくて。写真をたくさん撮ってきてくれって頼まれてるんだ」
 王宮の前に着いてすぐにそう言いながらフェイスはカメラを取り出して、あちこち撮影を始めた。
 さすがに歴史と公費が雪のように降り積もってできた建物だけあってどこも美しい。一般公開されている内部も、装飾や調度品のいちいちに小さな札がついてその来歴を解説していた。
 フェイスは面白がってドアノブまで撮影していたが、もちろん自分がここに来た記念写真を撮るのも忘れなかった。

 二人ずつになって撮影をして歩き出したところへ、後ろから声がかかった。
「三人一緒に撮ってあげましょうか」
 声に振り向いた三人は悲鳴を押し殺した。

 そこに立っている人の顔には見覚えがあった。さっきキャットが買いまくった絵葉書で同じ顔を何度も見た。
「チャールズ殿下? 本物?」
 フェイスが思わずそうつぶやいた。

 地元に住むローズは、たまにではあるがこういうことがあると聞いたことがあった。(この国の王室は観光資源みたいなものだと言われるゆえんだ)
 そんな幸運に出会えることに期待して何度もここを訪れる女性達の話も聞いていたが、まさか自分が行き当たるとは思わなかった。

「君達は大学生?」
「はい、今日入学したばかりです」
「どこの大学?」
「メルシエ王立大学です」
 ローズが代表で王子の質問に答えた。
 フェイスは感極まって言葉が出ずにただ王子に見とれ、キャットは一歩下がって立ち、どちらも口をきかなかったせいだ。
「そうか、僕の母校の後輩なんだね。せっかくだから少し案内しようか」
 王子がそう言うと、キャットが咳き込んだ。
「大丈夫?」
 優しくそうキャットに声をかけた後で王子が先に立ち、普段一般には公開されていない部分を案内しながらふざけた解説を付け加えたので、ローズとフェイスはくすくすと笑いながら聞き惚れた。

「大学では寮に入るの?」
「私は実家が近いので……二人は寮です。彼女は実家が遠くて、こちらの彼女は留学生なので」
 ローズが答えると、王子がにっこりと笑った。
「そう。寮生活って何だか響きがいいよね。そこでしか育めない友情とか、集団生活で学べる規律とか、他のことで心を乱さずに勉学に専念できるとか……僕の知り合いもそういうのに憧れるって言ってたよ」
「そうなんですか?」
 そこで王子が人の悪そうな微笑を浮かべた。
「まあ実際やってみないと分からないこともたくさんあるからね。色々と不自由だっていうのも人に言われただけじゃ納得できないだろうしね。いいんじゃないかな、一セメスターくらい不味い食事に悩まされるとよその食事がどれだけ美味しいか実感できるし。ようやく親元を離れたのにまた他人に管理される煩わしさも、楽しいデートの最中に寮の門限を気にして慌てて帰らなくちゃいけないのも一度味わってみないと……っと、これから入るお二人には失礼だったかな。申し訳ない」
 そう言って王子が口を押さえ、また極上の笑顔で笑いかけたので、フェイスはとんでもないとばかりに首を横に振り、キャットも無言で謝罪を受け入れた。

「さあ、ここが一般公開部分に戻る扉だ。寄り道をさせてしまってすまなかったね」
「とんでもないです! 殿下。ありがとうございました」
「おばあ……祖母に話してもきっと信じてもらえないと思います」
 ローズとフェイスが口々に言うのを聞いて、王子がまた微笑んだ。
「よかったら一緒に写真を撮っていく? おばあさまがご覧になれるように」
 そう言って王子はフェイスのカメラを受け取ってキャットに手渡した。そして自分が真ん中に立ち、ローズとフェイスと一緒に写真に写った。
「君はどうする? よかったらご一緒に」
 王子がそう言って微笑みかけたところで、キャットの忍耐はとうとう限界を越えた。

「嘘つきっ!!」
 キャットは王子にずかずかと近づくと、足を踏むくらい間近で爪先立つようにして、にこやかに見下ろす顔に向かってそう叫んだ。
「勉強の邪魔はしないって言ってたじゃないっ!」
「そんな言い方は心外だな。君に邪魔してるなんて言われる筋合いはないね。僕はただ自分の家にいるだけだよ」
「あんなにタイミングよく現れるなんて変だもんっ! どっかで隠れてみてたんでしょっ!」
「そりゃあ入場者は全員モニターでチェックされてるからね、どこかの気の利くセキュリティスタッフが僕に連絡することもあるかもしれないよね」
「やっぱりっ!」
「嘘だよ。今日のは本当に偶然だって。もしかしたら誰かすごくラッキーな子が一緒だったんじゃないかな?」
「そんな都合のいい偶然信じられないっ!」
 満面の笑顔で噛み付くようなキャットの抗議を受け流していた王子が、いきなり視線を外し、斜め上を見上げて言った。
「どこかでうるさい猫が鳴いてるみたいだなぁ。こんなところで迷子になったら大変だ。掴まえなきゃ」
 そう言ってキャットの手からカメラを取ると、ひょいっと抱き上げて肩に乗せた。

「フライディ!!」
 王子はカメラをフェイスに差し出しながら言った。
「この猫は僕が外に出すから、君たちはどうか気をつけて帰ってね。いつでも遊びにおいで」
「降ろしてっ!」
「またちょくちょく会うこともあると思うからよろしくね。僕も猫が大好きなんだ。前に拾った猫にロビンって名前をつけて」
「嘘つきっ! フライディの嘘つきっ!」
 そう叫んだキャットに向かって、王子がうっとりするような甘い声で答えた。
「僕が嘘つきなのなんて、今に始まったことじゃないだろう? 先に我慢できなくなったのは君の方だよ、勝ち負けで言えば君の負けだ、ロビン」

 そう言った王子は怒った猫のような唸り声を上げたキャットを抱えたまま、器用に片手でドアを開けて目を丸くしたローズとフェイスを一般公開部分へと促し、自分は肩に猫を乗せたまま笑顔でドアを閉めた。

 ローズとフェイスは閉まったドアを見つめ、しばらく無言だった。

 やがてフェイスが言った。
「今の……何だったの?」
「さあ……でもどうやら、刺激的な大学生活が送れそうな気がしてきた」

 ローズがそう答えて、二人はくすくすと笑い出し、笑いが笑いを呼び、最後は涙を拭きながら宮殿を後にした。

end.(2009/04/16)

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