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Necessity 3

 キャットは真っ青になった。
 例え話だとしてもこれはあんまりひどすぎた。

「私はバディじゃなかったの?」
 キャットがチップに強い口調で畳み掛けた。
「バディでしょ?」
「ロビン」
 チップがなだめるように名前を呼んだ。
 しかしチップはキャットの問いに答えていなかった。
「フライディ。前に言ってたじゃない、ずっとずっと離れずに一緒にいようって」
 キャットは最初のショックから立ち直り、チップの手を両手で強く握り締めてなじった。
「ひどいじゃない。私またバディに置いていかれちゃうの? バディなら何があっても絶対手を離さないって言ってよ」
「ロビン」
「言って!」
「『何があっても』」
「『絶対手を離さない』」
「『絶対手を離さない』」
 チップがキャットの言葉を繰り返した。

 ほっとしたキャットの両手から力が抜けた。
 握ったままの手を見つめながらキャットが小さな声で言った。
「約束だよ、バディ」
 返事の代わりに強く強く抱かれたキャットはきつい抱擁に耐えた。

 しばらくしてチップは拘束の腕を緩めて嗚咽のような溜息を洩らした。
「ロビン、ごめん。はっきりしてから話そうとも思ったんだけど、君が何て言うか――怖かったんだ」
「フライディの馬鹿。愛してる」
 お互いの不安を消すためのキスがキスのためのキスに変わるまで、二人は離れなかった。
 
 やっと落ち着いたところでキャットが、フライディの肩に頭を載せやすい場所を探しながら言った。
「さっきの例えばの話」
「うん」
「フライディと一緒にいられるならどっちでもいい。私も絶対手を離さないから」
「君がそう言ってくれてすごく心強いよ」
 抱き寄せられたキャットが、肩からチップを見上げてにやっと笑った。
「もしフライディが私のこと嫌いになっても絶対離れないからね。覚悟して」
 チップもにやっと笑い返した。
「それはお互い様だよ、ロビン。――何か冷たいものでも飲もうか」
 
 すぐに飲み物が届けられ、それからチップ達はまた二人きりになった。
 飲み物がテーブルに置かれる間だけ形ばかり離れた二人は、ドアが閉まったとたんに距離を縮め、チップは膝の上にいつものようにキャットを乗せた。

 それぞれ喉をうるおしてから、チップがさっきの話の残りを語り始めた。
「さっきの話はね、まだ何も決まったわけじゃないんだ。でもアートから話が出たから君の考えを確かめておきたかった」
「アートはどうしてそんな話したの?」
「アンにプロポーズを断られたみたいだ」
「えっ?」
 キャットが驚いて落としかけたグラスを、チップがすばやく受け止めテーブルに置いた。
「おかげでアートはずっと不機嫌だ。ついてる侍従はいつもの三倍働いてるよ。それからアートが僕達弟を集めて自分が結婚しなくてもいいかって訊いた。さっきの話は、僕自身よりも僕の息子が王位継承権を持てるかどうかが問題になってるんだ」
 
「……ねえ、フライディはレディ・アンに会えない?」
 キャットが言った。
「どうしたの?」
「おかしいよ。あんなに仲よさそうだったのに断るなんて。検査の結果もよかったって言ってたじゃない」
「何か別の事情があるのかもしれないよ。気持ちが変わることもあるだろうし、いざとなると王太子妃になる覚悟ができなかったのかも」
「だって元々王太子妃候補だったんでしょ? それにアートは五年も通ってたんでしょ。断るならもうずっと前に断ってたんじゃない?」
 普段のキャットならこういう時のチップの言葉は素直に受け入れるのに、今回は珍しく譲らなかった。

「どうしたの、ロビン。やけに粘るね」
「だって、私達と私達の子供の将来に関わるんだよ!」
 キャットがそう言った途端に、チップが口元を片手で覆った。
「強烈だ」
「え?」
「『私達と私達の子供』ってすごくいい言葉だね。ごめん、顔が緩んで戻らない」
「えっ!」
 自分の言葉をチップから返され、キャットがみるみる赤くなった。

「ねえ、もう一回言ってくれないか?」
「やだ」
「赤くなった君はロブスターみたいですごくチャーミングだよ」
「やめて! もう離して!」
「嫌だ。絶対離れないってさっき約束したじゃないか」
「もうっ、フライディ!」
 ふざけたチップと暴れるキャットの攻防はまたしばらく続いたものの、結局またキャットはチップの膝の上に戻った。
 
 膝の上のキャットに向かってチップが昔話を始めた。

「僕が六歳の冬、雪が降った日だった。アートとベンと三人で庭に出た。池の上に氷が張ったのを見た僕は一番乗りで飛び乗った」
 キャットが話の先を予測して眉をひそめた。
「割れたの?」
「うん。割れた。落ちたときは心臓がきゅーっと握られたみたいで声も出なかった」
 チップが今ここにいることで、その時に心臓が止まらずに済んだことははっきりしていたから、キャットは続きを促した。
「それからどうなったの?」
「ベンが僕をひっぱり上げてくれた。マンガみたいに歯が鳴ってびしょぬれで凍えた僕はまずアートに死ぬほど怒られて、次に侍従に同じくらい怒られた。まともに喋れるようになってから、怒るだけで助けに来てくれなかったじゃないかって僕はアートを責めた。そしたら『第三王子を助けるために王太子と第二王子が揃って危険を冒せるか』ってまた怒られて僕はアートのことなんか大嫌いだ、もうアートとなんか遊ばないって啖呵を切った。アートも庭で遊ぶような歳じゃなくなってたし、それがアートと一緒に遊んだ最後の思い出になった」
 キャットがそっとチップに寄り添った。
「今はアートのこと嫌いじゃないよね?」
「うん。それから十年近く経ってからかな、あの時アートは来てくれなかったけどベンが来るのを止めなかったって気がついた。その場にいるのに何もできないっていうのも辛いものだって分かった」
 キャットは三人の姿を想像してみた。六歳と十歳の弟二人は池の中、それを岸で見守る十三歳の王太子。
 キャットにはどんな気持ちがするのか想像できなかった。
「何ていうか……タフな人生だね」
 
「軍隊と一緒だよ。ある程度の犠牲を払っても任務は遂行しなくちゃいけない。そのために司令官は持ち場を離れちゃいけないんだ。代わりがいないからね。アートはやっぱり王太子だ」
 チップが何でもないというように答えた。

 でもこう答えられるようになるまでに十年近くかかったのだから、やっぱり何でもなくはなかったのだろう、とキャットは思った。
「フライディは?」
「僕は生まれも育ちも第三王子だ。アートとベンがいるからってどこかでいつも安心してる」
「私のバディには代わりはいないんだからね」
 キャットが叱るような口調で言った。
 チップがキャットを抱き寄せた。
「君は本当に僕をいい気持ちにさせるのが上手いな。愛してるよ、ロビン」

 キスで一旦話が中断したが、チップがまた続けた。
「アートは絶対持ち場を離れない。僕みたいに女の子にすがりついたりできるタイプじゃない。もし何かの行き違いがあるんだとしたら、君の言うとおりアンと話をした方がいいかもしれないな」
「そうでしょ?」
 ぱっと顔を輝かせたキャットに、チップが笑いかけた。
「君も一緒に行くんだよ」
「えっ?」
「そもそも君のアイデアだ。アンの家の庭園は有名だから君も一度見ておくといいよ。一般に開放するのは年に数日だけだから、国中の園芸好きの憧れの場所なんだよ。訪問の目的は庭を見せてほしいってことにしよう」
「えーっ、私、庭のことなんて何も分からないよ」
 キャットは慌てたがチップは意に介さなかった。

 その日チップはアンに手紙を出し、正式な訪問の日程を取り決めた。
 

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