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ショートショート Be My Valentine

「ねえ、フライディ。本当は何のためにここ買ったの?」
「もちろん君と愛欲の日々を送るためだよ、ロビン」
「うそつきっ!」
 
 さっきからこちらを向かないフライディの背中に向かって、そう叫んだ。よく平気であんな白々しい嘘がつける。
 フライディがやっとこちらを振り向いた。防塵マスクの奥からくぐもった声がした。
「ねえ、ロビン。もう少しだからいい子で待っててくれよ。やっと晴れたんだ、あとペンキだけ塗らせてくれたら後でちゃんと埋め合わせをするから」
「埋め合わせなんて要らない」
 フライディが防塵ゴーグル越しにわざとらしく眉を寄せ、悲しそうな顔をして見せた。そんな顔したって信じないんだから。フライディのうそつき。きっと1/1スケールのおもちゃが欲しかっただけなんでしょう。
 
 フライディはこのところ何故かDIYにはまっている。私に『工作が苦手そうだ』と言われたのでよほど傷ついたらしい。確かにここにはうるさく言う侍従もひやかしたりけなしたりする兄弟もいないし、歴史的に重要な建物でもないから、思うがままにできる。フライディが私有財産をどう扱おうが私が口を出すことでもない――それがデートの時以外なら。
 
 大学のレポート用に読んでいた本を横に置き、椅子から立ち上がった。フライディが慌てて防塵マスクを外した。
「まだ帰るなよ、ロビン」
「ちょっと昼寝」
 フライディがほっとした顔をした。きっと私がこの場を離れたらすぐまたマスクをかけ直して続きをするつもりだろう。私ってちょっと寛容すぎる彼女かもしれない。そう思いながら頭を枕に乗せ、硬い文章を追って疲れた目を閉じたらあっという間に眠りが訪れた。
 
 誰かの気配で目が覚めた。部屋は暗く、目を開けても何も見えない。夢を見ているような気分でまた目を閉じたら、誰かが枕のすぐ脇に片手をついてマットレスが沈んだ。
 そっと、羽根のようなキスがおりてきた。静かに体を起こした誰かはベッドサイドを離れてドアを開けた。廊下からの光で長い影が部屋の中に伸びた。
「フライディ」
「起こしちゃった?」
「戻ってきて」
 
 手を差し出して、ひなたの匂いのするシャツを抱きしめた。放っておかれても白々しい嘘をつかれても、やっぱりフライディの腕の中は一番安心できる場所だ。
「愛してる」
「僕もだよ」
「いつもあんな風にキスしてくれてるの?」
「眠ってる時にキスすると、君は幸せそうに笑うんだよ」
 今までに何度そんなキスを受けたんだろうと思ったら、胸がぎゅっと痛くなった。幸せすぎて苦しい。
「さっきの仕上がったんだ。見に来てくれる?」
 その言葉に昼間のがっかりした気持ちが少し甦ったけれど、ここは素直に頷いた。
 
「これ……何?」
 それは強いていえばサッカーボールに似た小屋のようなものだった。真っ赤に塗られ、"Be My Valentine"とバレンタインデーの定番メッセージが書かれていた。バレンタインデーはもう何ヶ月も前に終わったはずだけど。
 
「見て分からない? 君へのプレゼントだよ」
「何に使うもの?」
「正十二面体の犬小屋に決まってるだろう。犬が飼いたいんだって言ってなかった?」
 言ったかもしれない。……でもフライディはこの調子で私が語った夢を全部叶えてしまうつもりなんだろうか。うっかり島が欲しいとか船が欲しいとか言わなかったか考えてみたけど、言わなかったという確信はもてない。
「ねえ、何でこんな形してるの?」
 せっかく作ってもらったけど、実際のところ犬にとってあまり快適な小屋には見えなかった。
「それは僕のこだわりだよ、もちろん。言っただろ、立体図形の模型づくりは得意だって」
 笑い出したら止まらなくなった。そんなことのためにむきになって、私を放ってまで季節外れのバレンタインデーのプレゼントを作る必要なんて全然ないのに。笑い続ける私にフライディが訊いた。
「どんな犬がいい?」
「ゆっくり考える。でも名前はバレンタインに決まり」
 フライディがぎゅうっと私を抱きしめたので、負けずに抱きしめかえした。
 
「ねえ、埋め合わせしてくれるって言ってたよね?」
「君のお望みのままに」
「じゃあね……」
 
 耳元で告げたうんとささやかな私の望みは、フライディによってあっという間に叶えられた。
 
end.(2010/02/13)

画像:正十二面体 / 田中秀太郎(お借りした参考画像の著作権は製作者に帰属します)

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