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Night and Day 1

1.キャット

 月曜日の朝、左手に指輪を光らせたキャットがキャンパスに現れると、めざとい友人の間でさっそく大騒ぎになった。

「キャット、これどうしたのっ!?」
 ローズの手はねずみとりよりも素早かった。
 キャットはぱちりと左手を挟まれた状態で、いたずらを見つかった子供のようにつっかえながらいいわけをした。
「こっ、これは誕生日に貰ったの。ほら、お父さんとお母さんからはピアス」
 キャットが自由になる右手でダイヤのピアスを示したが、残念なことにそちらの話題は一瞬で終わった。
「本当だ、綺麗なピアス。でもキャット今まで指輪したことなかったよね?」
「それに何かいいことあったでしょ。顔が輝いてる」
 キャットの返事を待たずに皆が口々に言った。

 顔が輝いているのは私じゃなくて皆の方じゃないの、そう思いながらしばらくの間キャットは真っ赤になって口をむすんでいたが、キャットの口が開きかけたところで周囲の声はぴたりとおさまった。
 居心地の悪い静けさの中、キャットが小声で言った。
「肯定も否定もしません」

 キャットは続いて起きた嵐が過ぎるのを辛抱強く待った。

 週末のあの宝物のような思い出を、そんなに簡単に誰かに言うことなんてできない。言って分かってもらえるとも思えない。でも何もなかったと否定するのは嫌だった。これ以外に返事のしようがなかった。

 今にして思えばルームメイトのフィレンザの態度は本当に大人だった。きっと何か察していただろうに、昨夜門限ぎりぎりに寮に戻ったキャットにただ「楽しい週末だったみたいね」とにっこり笑って言ってくれた。だからキャットは土曜日の誕生日パーティで起きた面白い出来事を話すだけで、空白の日曜日については語らずに済んだのだ……。

 しかしもちろんここにいるのも、フィレンザとはタイプが違うもののキャットの友人であることに違いはない。多くを語らないキャットを責めて困らせるようなことはしなかった。
 今はもう目の前にいるキャットはいないものとして、それぞれの思うところを話し合っていた。
「そうだよね、婚約したとしても発表前には言えないよね」
「この指輪でプロポーズってことはないんじゃない?」
「でも何かはあったでしょ」
「ぜったい雰囲気違う。ピアスと指輪のせいじゃなく」
 それにしてもどうして皆こんなに勘がいいんだろう、そう思いながらキャットはその場からどうやって逃げ出そうかと周囲を見回していた。そしてちょうどいい口実を見つけた。
「あっ、ちょっとごめんね。私、リックに聞かなくちゃいけないことがあったんだ」
 ローズの手に挟まれたままだった左手を抜いて、キャットはリックを追いかけた。
 
「リック、待って」
 友人と話しながら歩くリックに追いついたキャットが、後ろから声をかけた。リックは嫌そうな顔で一瞬だけ振り向いた。
「リチャードだ。急いでるから待てない」
「来月のボランティアテニス教室に寄付を募ってたでしょ?」
 キャットは笑顔でリックの友人に会釈し、リックの返事は無視して、止まってくれないリックを追いかけながら話した。
「家で小切手を預かってきたんだけど、いつ渡せばいい?」
「今日の練習に来るならその時にしてくれ。領収書を用意しておく」
「分かった。ありがとう、リック。急いでる時にごめんね」
 にこりとして戻っていくキャットの後姿を目で追いながら、友人がリックをつついた。
「あの子なんて名前?」
「キャサリン・ベーカー」
「ああ、あの子が例のシンデレラか……今度紹介してくれよ」
「断る。そんな危ない真似できるか」
 リックはきっぱりと言い、ぐずぐずとまだ後ろを気にしている友人を置いて早足で歩き出した。

2.チップ

 月曜日の朝アートが食堂に入ると、珍しくチップが先にテーブルについていた。
 いつもなら自分が一番で手に取る新聞がチップの手にあるのを見てアートが顔をしかめた。

「おはよう。アート」
「おはよう。落成式は無事済んだらしいな。……読んだ新聞はちゃんと揃えろ」
 雑に揃えた新聞を手渡されたアートが文句を言った。
 チップが前置きなしで言った。
「そろそろ王宮を出ようかと思うんだ」
「駄目だ」
 即答だった。
 新聞から目を上げもしなかった兄に、チップはわざと軽い口調で言ってみた。
「王位継承権を放棄した僕が王宮に住み続ける必要はないんじゃないかな」
「逆だ。王位継承権を放棄したお前が理由もなく王宮から出たりしたら、何か王室内でトラブルがあるのじゃないかといらぬ心配をされる。せっかくの祝賀ムードを壊す気か」
「王太子のご成婚に水を差すつもりはないさ。僕もちょっぴり幸せになりたいとは思ってるけどね」
「駄目だよ」
 食堂の入口から不機嫌そうな声が飛んできた。
「アートの次は僕だからねっ」
「おはよう、エド。今日はずいぶん早いな」
「エリザベスは本当ならもう結婚してたんだからね。これ以上待たせるわけにはいかないよ」
「分かってるよ、うるさいな。お前こそ修士はちゃんと取れるんだろうな」
 チップの切り返しにエドの顔色がこころもち悪くなった。
「取れるさ。もちろんだよ。僕が何のためにこんなに頑張ってると思ってるんだよ」
「二人とも騒ぐな。朝食がまずくなる」
 新聞の向こうからアートの声がした。
 チップが海軍に入隊するまでは、こういう言い合いは毎朝のことだったから慣れたものだ。

 小さい頃から彼ら兄弟に両親と朝食を共にする習慣はなかったから、アートは毎朝まとめ役としてこうして(もっと幼い頃は腕力にも物を言わせて)兄弟ゲンカを収めてきた。
(しかし……)
 アートは考えた。
 結婚したら兄弟とは別の場所に朝食を用意させよう。週に一度くらいは兄弟と一緒に朝食を取る日があってもいいが、他の日は夫婦の会話をしながら二人で――
 不意に目の前に紅茶を注ぐアンの幻が浮かび、アートの鼓動が早くなった。
 アートは自分の姿を隠してくれる目の前の新聞に無言で感謝した。

 チップもテーブルの向かい側で考えていた。
 いつまでも兄貴風を吹かれるのは気に入らないが、もうしばらくここにいるしかなさそうだ。
 兄弟がこうして王宮内で顔をあわせて話をするメリットは決して少なくない。毎朝顔をあわせるとは限らないが、お互いの予定を知り様子を見て公務を調整し合うこともできる。

 最初から多分駄目だろうとは思っていた。ひとこと言っておけば外泊が増えてもそれほど文句も言われないだろうという計算もあったが、それよりも――

(駄目でも言いたかったんだ)

 今朝チップは明け方に目を覚ました。
 昨日の朝のことを思い出したら、ベッドの中に一人きりなのがとても不自然に感じられてそれきり眠れなくなった。手を伸ばしても冷たいシーツしか触れないのが嫌で早々とベッドからも出てしまった。

「僕が求める幸せなんてささやかなものさ。別に皆を差し置いて結婚したいって言ってるわけじゃない。それを寄ってたかって邪魔するなんてひどい兄弟だな。毎朝キャットが僕のために焼いてくれるパンが食べたい、それだけのことがどうして叶わないんだろう」

 チップは大きな声で誰にともなく言ってから紅茶のカップを口に運んだ。
 最後に食堂に入ってきたもう一人の兄、ベンはチップの話の最後だけを耳にして悪意なく訊いた。
「また寮を出るように頼んで断られたのか?」

 アートとエドは遠慮もなく笑ったが、紅茶にむせていたチップはそれを怒ることもできなかった。
 

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